第31話

文字数 5,128文字


 美琴の横浜デート。
 雨上がりの少しひんやりとした午後に、関西から来た叔父さんと。

 年下の男子高校生なんかより、面白い叔父さんのほうが私は好きだな、と美琴は意地悪なことを考え、みずから「ごめんね、カズキ君、冗談だから」とつぶやいてみたり。
 女子なんて、わけわからない生き物。身体は勝手に重くなったり、痛くなったりするし。こんな生き物に、なんでみんな関心を寄せるんだろう?
 それだったらカタツムリやクラゲの観察でもしていた方がずっとよくない?

「え、クラゲがどうしたって?」
 晴彦叔父が美琴を見て質問。
「なんでもない」
「食べたいのか?」
「あれ、わざわざ食べに行くもの?」
「どうだろうなぁ。でもまぁ、美味いクラゲは美味いよ」

 美琴は、無口なクラゲの優雅な泳ぎをイメージしながら、清楚に両手を振り動かす。クラゲと清楚、不思議と悪くない組み合わせ。

 今日の美琴は、いつになく清楚感まる出しだった。
 昼に高校から急いで帰ってくると、母のアドバイスでチェック柄のワンピースに白いボレロに着替えて、少しだけ化粧っぽいこともして出発。
 こういう”普通少女”の姿をするのはひさしぶり、と美琴は思った。母がいうとおり、こういう姿は似合うし、自分でも嫌いじゃない。ただし、安易に清楚な外見をしてしまうと、他人からよけいなちょっかいを出される、それが死ぬほどイヤなだけ。

 二人はちょっとしたデート気分で美術館に寄った後、港のあたりを散歩した。
「ねえ、私、本当に、その誰かと会わなきゃいけないの?」
「おいおい、今さらなに言うんだよ、そのために段取りつけたのに」
「なんか、そういうの、やっぱり、やだな」
「知ってる知ってる。ミコは男嫌いだからな」
「そんなことないけど」
「何している人かも聞かないし」
「興味ないもん」
「まあ、ミコのところは、兄がいい人すぎたのかもしれないな」
「まあね」
「昨日、墓参りしてきたぞ」
「ほんとに?」
「ずいぶんきれいにしてあって、おどろいたよ」
「そのくらいしか、してあげられることないし」
「やっぱりおまえか?」
「だからって、閑してるとか思わないでよ」
「女子校だろ。男友だち、いるのか?」
「いますよ、もちろん」
「つきあってるのか?」
「まあ、そう言っても過言ではないわ」
「おまえ”過言"って意味、知ってんの?」
「しらなーい」

 二人は、街灯がつき始めた街の道をたどり、城のような中華料理店に入った。活気ある広い店内に、無数の美味な匂いが交錯する。
 何もなければ、美味な中華を思う存分食べまくるところだったが、美琴には重い気苦労があった。その気苦労が、少し遅れてやってきた。
 男性は、ぱっと見、だらしがない外見。高校生とはいえ初対面の女性と会うというのに、髭もろくにそってないし、髪はぼさぼさ。ブルーのシャツもまるで徹夜明けのように襟がよれている。
「悪いね、いそがしいところ」
 叔父の最初のひと言がそれだった。
 何をそんなに忙しがっているのか?

 菊川氏と名乗った男は、じつは新米の医師だった。2年前に大学を出たばかり。当直続きで、月に一日でも休みがあればいい方。その月一の休みが、今日だった。ついさっきまで眠っていたとのこと。
 ゲームデザイナーと新米医師、畑違いの関係だったが、出会いはゲームだった。いわば今日はゲームのオフ会だったのだ。そのオフ会に、叔父が親戚の娘を連れてきた、という状況。
 次々に運ばれてくる中華料理を口に運びながら、男性二人の会話の八割九割はゲームの戦術に関するものだった。美琴はホッとした。それがわかっていたから叔父も彼女を誘ったのだ、と。
 ただ、他に理由がないことでもなかった。
「ミコ、菊川君はな、音楽も本当に好きなんだ。大病院の息子さんだし、なんならおまえの音大進学とか、サポートしてもらえるかもしれないぞ」
「え?」
 ついにきたか、と美琴は身構えた。
「僕も、正直、夢はあったんですよ」と菊川氏が朴訥と語った。「ピアノは好きだったし、シュバイツアーみたいに、医師であり演奏家である、みたいな人生とかやりたかった。でも、さすがに、ムリでした。まあ、今はバイトの身で、たいして金があるわけでもありませんが、未来ある人を個人的に助けるのは、やぶさかではないつもりですよ」
「でも、それって、ただお金を出してくれるだけの話なのでしょうか?」
 美琴は片肘をつき、わざと大人びた態度で質問した。
 叔父は明るく笑って「それは君たちしだいさ」と返した。
 美琴は、怖じけることなく、新米医師の目を見返した。
 彼の瞳は、やさしくて、知的。どこか憂いをたたえているのは、すでに医師という仕事上で、悲しい体験をくり返していたからかもしれない。今日はボサボサ髪の疲れた姿だったが、悪い人ではなさそう。この人の妻になるのも、ワンチャンありだろうか……
「はっきり言って、私は、なんの約束もできませんよ」
「それはわかっているつもり」と菊川氏は攻撃的な女子高生をいなすように優しくうなずいた。「でも、なんか、わかる気がした。タカさんが『会えば協力したくなるいい子だから』って言ってましたが」
「私、いい子なんかじゃないです」
「ミコは」と、叔父が横から説明した。「いい子じゃないふりをしている、いい子なのさ」
「ちがいます。でも、私はいい子じゃないから言うけど、もし可能なら、経済援助は助かります。援助交際も、否定はしません」
 はっきり断じた美琴は、水餃子を口にほ折り込み、相手をにらんだまま噛み砕いた。
「まあ、そう強がるな」と叔父は苦笑した。「なにか演奏、用意してきたろ?」
 叔父に問われると、美琴はうなずいて、スマホをとりだした。
 美琴が無愛想にさしだしたスマホに、菊川氏は自分のイヤホンをとりだしてシャックに指す。
 美琴が講堂のピアノで録音してきたショパンのバラードだった。
 「バラ4か。なんか、不思議な音だね?」
「プレイエルです」
「は?」
 菊川氏は方耳からイヤホンを外した。
「いま、なんて?」
「プレイエル。ショパンが愛用していたピアノ」
「そんなの、持ってるの?」
「学校にあるやつです。自分で持ってるわけないでしょ」
「失礼」
 菊川氏は、イヤホンを戻し、なんだ本物じゃないか、と笑みをもらした。女子高生と親しくなれるからと身構えてしまったが、真面目な話なら、むしろ気が楽。投資しても、ゲーム業界の内情を伝えてもらえば、株で元を取れるだろう……
 安心した菊川氏は、ふと意識を失い、頭を垂れた。本当に眠ってしまった。
 しかし、すぐに気がつき、あわてて「ごめん、自然なタッチのいい演奏だね」ととりつくろった。
「平凡な演奏ですみません」
「いやいや、立派な才能だよ」
 美琴は肩をすくめた。
 叔父は「先生は寝不足だな」とフォローした。
「すみません、演奏が本物なのはわかります。むしろ良すぎて、意識が飛んでしまった」
「休み無しの上に、ゲームまでイベントあとだもんな。先生には貴重な休みだし、もうお開きにしますか」
「すみません、疲れてる上に、酒が」
「まあ、ムリせず。またよかったら、夏休みに二人で旅行でも行くといい」
「叔父さん、何その話!」
 美琴はあわてて否定したが、叔父は動じずに続けた。
「強制はしないけど、可能性の話だね。ありっちゃ、ありだろ。ふたりの相性までは私にはわからんが、もし、美琴が、軽率な男にひっかかるくらいなら、ずっといいと思うよ」
「いやいや、ミコちゃん、気にしなくていいよ」と菊川氏は片手を上げて制した。「僕はしばらく仕事漬けなんだ。デートなんかしたくてもできない。隙を見てゲームするだけで精一杯。でも、ホント、イヤらしい話じゃなくて、もし君がよければ、僕はもう少し親しくなってもいいと思うよ」
 美琴は赤くなって「悪いのですが、私はそうは思っていませんから」と断言した。心の中で『カズキ君、これなんとかしてよ、もう』と愚痴をもらしながら。
「悪いのですが、私、さっき、いきおいで口にした、援助のことも……」
「わかってるよ」と菊川氏は、さながら患者に病状を説明する医師のように優しく言った。「僕は、もし援助するとしても、君の音楽家としての才能に投資するんだからね。演奏を聴いたから、はっきり言える」
「どういう意味ですか?」
「音楽、好きなんでしょ?」
「私、クラシックの演奏家は、もうあきらめていますが」
「音大進学は?」
「それは……」
「あと、歌は?」
「え……歌?」
 意外な問いかけに、美琴は目をパチパチとした。美琴は、カラオケもふくめ、人前で歌ったことは一度もなかった。いつも一人で自作曲を歌っているだけで、家族と中学の音楽の先生をのぞけば、歌のことを知っている者は誰もいないはずだった
「君は、声も、しっかりしているように感じたから。実際、いろんな可能性、あると思うよ。投資と考えても、ぜんぜん悪い話じゃない」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、困ったときは遠慮なく。これはただの人助けじゃないし、いやらしい話でもない。君は出したもの以上のものを、きっと返してくれるすごい人さ」
「いや、それは、ちょっと買いかぶりすぎかと」
「僕は、じつは個人的にある有名なアイドルを知っていてね。その人の目の輝きと、君の目は似ている」
「は、はあ……」
「僕は今、内科と眼科の勉強を主にしていて、目には興味があるんだ」
「目の病気の方ですか?」
「いや、そこに宿る才能だよ。目って、すごいんだ。神秘的だし、脳の窓と言う人もいる」
「私、才能、ありますか?」
「ある。ハンパじゃないくらいある。しかしそれをどう活かすかは、べつの問題だ」
「ですよね。わからないことばかり」
「ガンバって。みんなが才能あるわけじゃない。応援するよ。さて、ハルさん、今日は誘っていだいてありがとうございます。僕はそろそろ帰らせてもらいますよ」

 菊川氏と別れた二人は、料理店からほど近いホテルの部屋に引き上げた。
 美琴は、本当に別々の部屋だったことに、くすぐったいような、ヘンな気分になった。子どものころは、みんなでいっしょに寝るのがつねだった。マクラ投げしたり、昔話したり。とにかく信頼できる人だった。もう一人の年の離れた兄のように。
 その信頼が、性的な意味で裏切られることも、世の中にはなくはないことのようだし、もし迫られたら、美琴は断れる立場にないことも理解していた。正直、この旅行に誘われた時点で、覚悟はしていた。むしろ、叔父さんが最初なら、それはそれでありかもしれない、とまで考えていた。
 しかし通路で別れぎわに、
「ちゃんと幸せになるんだぞ。兄のぶんもな」
 と肩をつかまれて、気持ちのこもった言葉で釘を差されると、美琴は急に涙があふれてきた。
「ありがとうございます」
「なんでも相談に乗るからな。忘れるなよ」
「あの……ハルさん……」
「なに?」
 相談したいことは、あった。相談したら、年長者として、たよりになってくれたかもしれない。でも、長い話だ。今から全てを説明するのは無理だし、それに、カズキ君がいるから。
「いえ、なんでもないです」
「ふん」と叔父は鼻で笑った。「おまえ、少し幸せそうだな」
「はあ?」
「逃げてるだけじゃなく、なにかを守ろうとしているように見えたぞ」
「ナニソレイミワカンナイ」
「ま、保険だ。何かあったら遠慮せずにオレのところにくればいい」
「何かあったら、父と母に相談しますよ」
「親に言えないこと、って意味だ」
「なにそれ。クラゲの生態かなにかですか」
「おい、ミコのほうが酒飲んでないか?」
「飲ませたのは誰ですか」
「恐ろしい切り返し憶えたな」
「子供じゃありませんから」
 叔父はため息をついて「子供じゃない、か。よく言ってくれるぜ」と首を振った。
「感謝してます。私、ほんとに、涙、出るなんて。てか、なんか、止まらないし」
「わかってる、気にするな」
「あと、もしかしたら、本当に何か相談すること、あるかもしれません。そのときは、よろしくお願いします」
「もちろんだ。海の物でも、山のものでも、なんでも持ってこい」
「食べ物、ですね。食べられるならいいけど……」
「なに?」
「でも、もし、食べられない、という相談だったら?」
「拒食か?」
「飢餓」
 とっさに口をついて出た言葉。
「ほへ? なぜ饑餓?」
 と叔父が首を傾げた。
 美琴は鼻をすすってから「なぜでしょうね、私もわかりません」と冷たく微笑んだ。

 少しはずかしくなり、それで会話を終わりにして、美琴は部屋に引き上げた。
 シンプルながら眺めのいい高層階のシングルルーム。都会の無数の明りが眼下に広がっている。
 部屋を暗くして、カーテンを全開にすると、空を飛んでいるような気分になれた。
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