第23話

文字数 2,471文字

 ゴールデンウィーク中にカズキの元に届いた差出人不明の一通の手紙。


《いつも遠くから見ています。ふと耳にしたあなたの会話は、ボケと本気が同居しているようで、すごく面白いんじゃないかなと感じられ、忘れられなくなってしまいました。私は毎年家族と海に行くのですが、今のところ完全に子供扱いです。でもいつか、素敵な人と二人で海に行って、見返してやりたいと思っています。突然こんなお手紙を差し上げてもうしわけありません。ご迷惑とは思いますが、どうしても伝えたくて。いつか本当にお話できる日を夢に見ています。 匿名少女》


 もちろん”誰かのいたずら”という可能性については、カズキも一番に考えた。彼が通うのは男子校だし、遠くから見ている女子など、そもそも一人もいるわけがない。女子っぽいラブレターなど、とどく道理がない。
 ならば、男子からか?
 世の中には、同性に恋い焦がれるというパターンもあるとは聞いているが、しかし手紙の書体が明らかに女子のものだった。乙女チックで、それでいて軽快な勢いがある。そこまで女子に染まりきった男子がいるだろうか? カズキには、そんな心当たりはまったくなかった。
 しいていえば、最近カズキが入部した文芸部の部長が、いたずら好きなタイプではあった。いたずらだとしたら、彼しかいない。しかし彼のノートと、謎の手紙では、書体が全くちがっていた。そこはしっかり確認したが、どう見ても意図して作れるレベルのちがいではなかった。

 では、やはり中学時代の知り合いからか?
 それが可能性としては一番ありえそうに思えたから、カズキは、かつてのクラスメートや、少し遠い関係ながら、良い意味で記憶に残っている女子のことを回想してみた。
 一度、渡り廊下で、意外な人から声をかけられたことがあった。
 中三の秋。
 その日、カズキはギターコンクール直前で、学校から直接ギター教室に向かうために、楽器ケースを肩にかけて急いで帰ろうとしていたところだった。
「海和クン、がんばってね」
 と、隣のクラスの神崎さんが声をかけてくれたのだ。
 彼女の名前はもちろんカズキも知っていた。定期試験ではいつも学年10位以内に入る秀才女子。けれども同じクラスになったことは一度もなかった。彼女は、外見はとても普通で、賢く善良な小市民的女子。
 その普通さゆえに、カズキは異性として意識したことは一度もなかった。ほとんど会話もしたことがなかったし、なんならあいさつなしで通りすぎても不思議ではない相手だった。
 そんな人から、あきらかにコンクールの事情をわかっている様子で「がんばってね」と温かい声をかけられてしまった。急いでいたカズキは「ありがと」と応えただけでその場をあとにしたが、あとになって、妙に気になった。
 とはいえ、その後も卒業まで、彼女とは特に何もなかった。
 ふり返ってみれば、誰かを『普通』と説明するなんて、明らかに失礼なことだ。きちんと思い返せば、神崎さんは、前向きで、頑張り屋で、カズキのギターの苦労を察してくれる珍しい異性だった。もし同じ高校に進んでいたら、高確率でつきあっていただろう。彼女もギターを始めて、デュオ結成に至ったかもしれない。
 しかしカズキは、男子校に進んだ。おかげで高校生になってから、神崎さんだけでなく、中学時代の女子とただの一度も会話をしていない。いや、そもそも"同世代の女子”という生物と、全く会話をしていない。
 そこには彼なりの事情があったことだった。
 中学時代のカズキには、好きな人がいた。『好きな人がいた』というよりも『異性を好きになる自分に直面した』と言い表した方が、より現実に近かった。初恋……たしかに話には聞いていたが、そんな男子的生理反応が始まったことに、おどろきつつ翻弄された。
 たとえば、その女子のことを思うと、つらくて食欲がなくなった。まるで食道が病にかかったかのように、じんじんと苦しくなる。食べるという行為が、どうしょうもなく品のない、動物的行為と感じられてしまう。
 彼女が早足で立ち去るときのしなやかな後ろ姿、体操着を盛り上げる胸の豊かさ、独特の細い声、そういうものが心の中で何度もよみがえる。
 人を好きになるという重苦しい反応。
 そして、男子としての性的な現実も彼は知る。
 最初はそれが、つながりがあることだとは、気がつかなかった。誰も教えてくれなかったから。しかし、身体の反応と、外からの情報を突き合わせていくことで、だんだんと事実を紐解いていった。
 異性を意識すること、それは性的な行為を経て、子供を作っていくことにつながる反応であり、欲求なのだ、と。
 それでも、彼はその一線を、大切にするべきだと考えた。
 中三の冬、時間的に追い込まれた気分の彼は、年賀状を書く勢いで、好きな人に手紙を送った。
 それは一種の恋愛論のようなものだった。いろいろと考えてしまうがすぐに男と女の関係になるのではなく、もっと大切なものを育む方向で考えたいとか、そもそもなんでこんなことを考えてしまうのかとか、何を望めばいいのかわからないとか。
 しかし、そんな男子の思慮深い誠実さも、女子にかかれば、一言で終わりだった。
「すみません、ほかに好きな人いるので」

 男子校に進むこと、それは自分なりの誠実さの表れ、という考えがカズキにはあった。
 高校の最初の一年間は、ずっとその女性のことを考え続けた。男子高校のサッパリとした現実に身をおいて、遠く離れた存在になりながらも、内心は深い恋にはまったまま。
 そして、高校二年が始まった。
 新しいクラスで、偶然、所属していなかった”部活”に誘われ、新しい居場所も得ることができた。
 過去をふり返らず、前向きに生きていこう。
 そう考えはじめた矢先の、謎のラブレター。
 これは、未来からの声であり、新しい何かへの、希望に満ちた入り口にちがいない。
 では、いったい誰からなのか?
 男子高校生ライフの中で、唯一心当たりがある女子といえば、通学時に見かける、あの他校の素敵な女子生徒しかいない……
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