第52話

文字数 3,592文字

 閉館30分前のアナウンスが流れ、図書館らしい癒やしの音楽が流れ始めた。外はもう暗くなっていた。

 カズキは、睡魔のつまった大全集攻略作戦は、ひと眠りで見切りをつけ、とりあえずこの部屋にある資料の概要をつかもうと努めた。
 たとえば、兎内村に特徴的な産物があったなら、産物資料からおおざっぱな位置を特定できるかもしれない。
 あるいは、山や川など、特徴的な地形。
 つかみ所のない調べ物をつづけながらも、時間をムダにしたかというと、そうではなく、カズキはひとつの仮定にたどり着いていた。

 コノハがミコさんのところに来たのは、コノハの術式が過去におこなわれた場所と、ミコさんの行動範囲が、重なっていたからではないのか?
 もしそうだとしたら、可能性はグッと狭まるはず。
 ただし、このアイディアには、ひとつ決定的な問題があった。
 ミコさんの中にいるコノハは、今、ミコさんと行動を共にしている。もし兎内村と同じ地形があったなら、当然、気がつくはずだ。
 しかし今は気がついた様子はない。
 ということは、この仮定がまちがっているか、あるいは通りがかっていても気がつかないくらい地形が変わってしまっているか、のどちらかだ……

 いつもどおりの穏やかな図書館ではあったが、コノハがもたらした死の波動により、二人の心のうちは切迫していた。
 二人は図書館を出ると、駅まで歩きながら、今日の成果を報告しあった。
 先にカズキが「過去と現在、位置が同じ説」を説明すると、美琴は好意的に受けとめた。
「そうかもしれない。なんとなく、そんなに遠いところじゃないって感じはしていたし。でも、だめなのよ。正直、コノハも、見覚えのある場所はない、って。さすがに昨日今日始まったことではないし、途方にくれる、って感じよね」
「あとで、メールでいいので、兎内村の特徴を教えてもらっていい? 丘とか、川とか。建物や道目ができる前の地形から類推してみる」
「わかった。今夜、送るよ。私のほうだけど……」
「どうでしたか?」
「ヤバイよね」
「なにが?」
「えっと……まあ、いろいろと……」

 美琴が言いよどんでいる間に、二人は公園の入り口にさしかかった。公園を突っ切った方が近道なので、そちらに入ったところ、奥にタバコを吸っている二人の大柄の男がいた。
 美琴の足が止まった。
 そこにいた二人は、美琴が中学時代にトラブルとなった相手。その中でも、最悪の二人。
 こんなところでパニック?
 いや、発作ではない。
 二人は現実にそこにいた。

「お? あいつ、澤野井じゃね?」
「ほんとだ。おいおい、偶然だな。ひさしぶりじゃん。元気?」

 これはリアル。
 最悪。 
 カズキ君が、厳しい目で相手をにらんでいる。

「なに、そこの人、彼氏かなにか?」
「ああ、なるほどね。高校生なら夏休みのはじまりだもんな」
「おまえ、幸せそうでよかったぜ。ぶっ壊しがいがあるってもんだ」

 美琴とカズキはそれぞれの高校の夏制服。
 対する男二人は黒Tシャツとピンクアロハ。

「なあ、せっかく会っちまったんだから、このまま素通りってわけにはいかねくねえか?」
「だな。そんな水くさいこと普通しねえよ。おい、こいよ、美琴。そんなのほっといて遊びいこうぜ、ちょうど閑してたんだ」
 美琴はきつい目をして二人をにらんだ。
「私、そういう閑はないので」
「うそつけ。男といちゃついて歩いてるだけじゃん。歩いてるだけじゃつまんないだろ? オレたちと遊ぼうぜ。どっちが楽しいか考えりゃわかんだろ」
「100回くらいいかせてやるぜ。一生忘れられない夜にしてやる。気持ちいいって死ぬほどさけばしてな」
 二人がゲラゲラと笑う。
 美琴が、このゲス野郎に、何という捨て台詞を吐くべきか、と考えた瞬間、カズキが先に飛び出していた。
 飛びかかった、ということではない。なぐるふりをして、身をかがめて、横に走り抜けた。とみせて相手の腹に膝を入れた。
 100回くらいいかせてやるぜ、と凄んだ男が、腹部を押さえてアスファルトに倒れこんだ。
 カズキの中で、本気で守るべきものを意識したとき、使ったことのないスイッチが入っていた。
 しかし、もとよりカズキにできることは、そこまで。
「おい! てめえ、いきがってんじゃねえぞ。なにこずるいことしてやんだ。戻ってこいや。女殺すぞ」
 無傷な方の男が、美琴をつかまえた。抵抗する美琴の胸を、男はブラごとつかんで振り回す。カズキが殴りかかったが、一瞬で腕をつかまれ、ねじって、固められてしまった。
 桁違いに腕力のある男は、美琴を振り回したまま、ほとんど片腕での対応だったが、それでもカズキには抗いようがなかった。
「ふん、よえーな。言っとくが、先に手を出したのはおまえの方だからな。指の何本か折れたって、しかたがねえな。正当防衛ってやつだし」
「やめろ。指だけは」
「じゃあ、頭がいいのかよ。そんなことしたら死んじまうだろうが。落とし前は指ってのが世間の相場なんだよ。……って、いてぇ!」
 美琴がブラを鷲づかみにしていた腕に噛みついた。
「美琴、てめえは離れてろ、男の骨を折ったらゆっくり遊んでやっからよ」
 力任せにふり投げられ、転んだ美琴だったが、すぐに立ち上がり、両足をふんばり、右手を前にさし出した。
 カズキは、とっさに叫んだ。
「だめだ、コノハ、それはやっちゃいけない!」
 しかし、美琴の身体は、すでに淡く輝き始めていた。
 その中のコノハも本気だった。
 絶対に守らなければならないものがある。
 ギター奏者の指だけは絶対に。

 カズキは、その瞬間が、むしろ宇宙的なものと感じた。
 自分が寄って立つ街も、国も、星も、はかないアワのように感じられた。
 比べるとしたら、そういうことだ。
 現実よりもより強い何かが、美琴の腕から、ゲスな男の心臓につながった。
 美琴が手をにぎると、男はたまらずカズキを放し、わき上がる噴水のように空中に嘔吐した。
 眼球が反転し白くなった。
 両手を宙にさまよわす。

 カズキは、美琴にかけよって、その腕ごと、強く抱きしめた。
「もういいから。大丈夫だから」
 
 呪縛が解かれると、男は気道に入った嘔吐物で激しく咳き込んだ。それが落ちつくと、腹部に手をあてて座り込んでいた相方に「いくぞ」と声を絞り出した。
「なにがあったんだ?」
「しらねえ。ただ、何かわからないものを美琴が打ちやがった」
「催涙みたいな?」
「かな。まあ、持ってても不思議はねえな。おまえこそ大丈夫か?」
「一瞬呼吸止まったが、そんだけ」
「よし。いくぞ」
「いいのか? 正当防衛はこっちだぞ、通報してやろうぜ」
「警察沙汰は苦手なんだよ。それに、女はあいつだけじゃねえ」
「ていうか、美琴って、すげーブスになったよな」
「ああ。男もできて、あそこもずぶずぶだろ」
「けっ。きったねえあばずれに用はねえっつうの」
「むしろ病気うつされずに済んでラッキーだったぜ」
「メンヘラ女が、性病女か。地の底這いずりまくってるな。くせーくせー」
「ほっといて、あそびいこうぜ」
「だな」

 美琴は泣き崩れた。
 いろんな理由がごちゃ混ぜになっていた。
 なんの関係もないし、性的な関係も一切なかったが、「知り合い」としなければならない最低の男たちがいることを、カズキ君に知られたこと。
 いやな過去に、カズキ君を巻き込ませてしまったこと。
 しかも、あやうく、なにより大切なギタリストの指をダメにしてしまうところだったこと。
 
 しかし一番の衝撃は、ずっとコノハと内面で語らいながらも、まだ心のどこかでは「これは病気が作り出した別人格」と思っていたことが、完全にくずれた事実。
 男への本物の攻撃によって、コノハの存在が証明されてしまった。
 屈強な男は、確かに白目をむいて、噴水のように嘔吐した。
 その事実に、逃げ道がなくなった。
 コノハが人殺しをしてしまったのと同じことを、美琴もやりかけた。

 美琴は涙が止まらなかった。
 自分が受けた暴力以上に、コノハの善良な存在と、近づく死が、まごうことなき事実と知って。
 ふりしぼるように嗚咽を続けた。

 カズキは、地面にしゃがみ込んで涙する美琴を抱え上げて、ゆっくりと近くのベンチに移動させた。
 そのまま美琴は、髪もシャツも下着も乱れたまま、彼の肩にしがみついて泣き続けた。

 カズキは、どうなぐさめたらいいかわからず、黙って美琴の髪をそっとなでた。
 それでいいさ。
 全部、受けとめるから。
 悪い夜じゃない。
 事実、勝ったんだ。
 どんな最低なことだって、僕たち二人、いや、三人がいれば、良きものに変わる。
 変えてみせる。
 浄化なんて贅沢な言葉は似合わないかもしれないけど、僕たちは決して弱くない。

「僕は、コノハも、ミコさんも、好きだから」

 泣きながらクスッと笑った美琴は、ひくひくと続く呼吸の痙攣をなんとか押さえ込んで、顔を上げて、カズキと唇をかさねた。
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