九章 3

文字数 1,807文字

 *


 そこは真の闇で、人間の目では何も見えない。
 だが、ミラーアイズをもってすれば、見えない闇などない。

のおぞましい姿がハッキリ見てとれた。鱗状にささくれた皮膚。ねじれた手足。ただれた肉。触手や触角のように、はみだした臓物。毛穴から何かがうごめいている。両肩から腰まで、片側には不快なビラビラした何かが、もう片方には半透明の赤ん坊の手のような突起物が、いっぱいならんでいる。原型をとどめぬまでにゆがみきった、醜怪な



 しかし、まちがいなく、それは人間だ。神の血を持つ者——半神だ。

(神の血に焼かれたもの……)

 思いだした。これは、あいつだ。
 ワレスがまだシリウスだったころ、グローリアと二人で封印した魔神。グローリアの義兄に憑依していた悪魔だ。
 神の血が濃すぎるゆえ形は焼かれたが、その肉体は神に等しく、シリウスたちに殺すことは不可能だった。

 だから、封じたのだ。
 時の流れのはざま。川の流れに打ちよせられた砂州のように、時流の滞った場所。そこには時間がない。時間軸でしか見つけることのできない

に封じ、何重にも鍵をかけた。

(おまえか。グラノアで、王都で、邪神の島で、おれたちの前に現れた魔王)

 見れば、魔術の鍵が一部やぶられていた。そこから

ないし

は、思念を発し、十二公国女王や、ハイドラの兄をあやつっていたのだ。

 そこまではわかる。
 しかし、いったい、どういうことだ?
 なぜ、この神のできそこないから、グローリアの気配を感じる?

 正視にたえない狂気を誘う産物が、ワレスのほうへにじりよってくる。

 ワレスは錯乱(さくらん)し、逃げ場を探した。あるはずがない。ここはすべての時間、空間から閉ざされた地なのだから。
 封印の鍵を全部とかないかぎり、永遠に時の止まった場所で死ぬことすらできない。

 魔王が壊した封印のすきまから、外へ飛ばすことができるのは、せいぜい表層の意識体だけ。

 ハイドラはたぶん、このすきまを利用して、転送の術で、レリスの魂をここへ送りこもうとしたのだ。以前から、レリスの肉体に魔王の意識を乗り移らせようとしていたから……。

 醜悪なものは、巨大な小山のような体を、ワレスに接するほど近づけてきた。
 ワレスは顔をそむけ、心を閉ざした。正気を保つために、深く眠りについた。

 眠りのなかでは、さまざまな夢を見た。夢というより、時間軸で見ていたのだろう。時の流れのある世界でのできごとを。

 見たいのは、忘れてしまったシリウスの記憶のもっとも肝要な部分。だが、半睡状態の意識では、うまく時の流れを見透かせない。

 かわりに、ワレスが消えた現在(いま)を見た。レリスの身代わりになったあとの時間だ。

 その世界で、ワレスは死んだことになっていた。やはり、ワレスの現状は、ハイドラの魔法で、魂だけが封印の内側へ飛ばされてきたようだ。残った肉体はカラッポ。だから、死んだと思われたのだと察した。

 ワレスはラ・スターの城でおこなわれる自分の葬儀を、不思議な気分でながめた。
 レリスは我を忘れて泣き叫んでいた。


 ——やめて。何するんだ。柩になんて入れて……ワレスが息ができないじゃないか。ワレスは生きてるんだ! おれと行くって約束したんだから!


 ああ、レリス。お願いだから、そんなに泣かないでくれ。おまえの涙は見るに忍びない。

 また一方、こんな夢も見る。
 グラノアを旅していたときに、ワレスは一度、シリウスの意識に覚醒した。炎にまかれた館のなかで、魔王に相対し、会話した。

「シリウス。わたしよ。わからないの?」
「グローリア……なのか?」
「そうよ。二人でアイツを封じたとき、アイツが一瞬早く、わたしとアイツの魂を入れかえたのよ。わたしはアイツの体へ。アイツはわたしの体へ。わたしはこの五千年、ずっとあの暗闇のなかで、死ぬこともできずに、アイツの体に閉じこめられている。わたしの体を乗っ取ったアイツが、わたしの生まれ変わりとして、わたしの肉体をわがもの顔で占領してる。お願い。わたしを助けて。シリウス。わたし、耐えられない。たぶん、もう狂ってるの」

 そうだ。約束した。おまえを必ず救うと。

(そうか。わかった。それで、ハイドラは王都を出たあと、急にレリスを裏切ったのか。王都で魔王に会ったとき、その事実を知らされたからだ)

 では、ほんとにここにいるのは、グローリアか。今でも、いくど生まれ変わっても、愛し続けてきた、おまえ……。
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