七章 2

文字数 2,194文字



 ジュリアスはムッとした。

「僕は人に憎まれるようなことはしてない」
「たとえば、帝立学校に行かせてもらっているらしいが、そこで貴族の息子に恥をかかせたことはないか?」
「ない……と思う。僕は第二校だから、授業で貴族の子弟に会うことはない」

 第一校は貴族のための騎士学校。第二校は平民の金持ちの息子たちが行く学校だ。ちなみに第三校は女子校。

「でも、第一校との剣の対抗戦があるな。優勝なんてしてないだろうな?」
「……僕は、三位だった」

 ジュリアスは悔しそうだ。

「そのくらいでちょうどいい。ああいう場で平民が目立ちすぎるのは反感を招く」
「そんなことない。アルザスもエメテルも、ユークリッドも感心してくれて、仲よくなった」
「貴族の息子たちか?」
「だから何?」
「暴漢はともかく、夜会にしろ、狩りにしろ、平民がかんたんにまぎれこめる場所じゃない。しかも、それぞれ主催者は異なっていたと、おまえは言った。つまり、それらの場所に招かれて当然のやつが、おまえを狙ってるんだ。相手は貴族ってことさ」

 ジュリアスは納得してだまりこんだ。

「しかし、恨まれているおぼえがないなら、恋かな? おまえが特定の誰かと懇意(ごい)なことを、快く思わないやつはいないか? 恋敵や、親どうしの決めた婚約者がいる子息とか」
「恋敵なんていないけど……」

 ジュリアスの頬は、ほんのり赤くなった。一人前に恋人はいるらしい。

「相手が令嬢なら、その子の持つ財産がらみかもしれないぞ」
「そりゃ、ルーシィは伯爵家の一人娘だけど、僕は財産が欲しいわけじゃない」

 ワレスは思わず聞きかえした。

「……ルーシィ?」
「アウティグル伯爵家のルーシィだよ。僕らは幼なじみなんだ」

 アウティグル家のルーシィ……。

(ルーシサス? いや、違う。おれのルーシィは死んだ。それに令嬢だと……)

 数瞬のあいだ、思考が空中遊泳したように定まらなかった。ジュリアスが変な目で見ていることに気づいて、とりあえず、ごまかす。

「あとで伯爵に会いに行ってみる。とうぶん、おまえの外出には、おれもついていくからな。夏休みだからって、勝手に出歩くな?」

 ふてくされた顔で、ジュリアスは立ち去った。

 ワレスはしばらく一人で書斎のデスクにすわっていた。心を落ちつけて考えれば、一人息子のルーシサスが亡くなったので、伯爵は新たに子どもをもうけたのだ。死んだ息子の愛称を娘につけたのは、ルーシサスへの愛情から。ルーシサスが死者の国から生き返ったわけじゃない。

 アウティグル伯爵に会うには、およそ厚顔無恥(こうがんむち)なワレスでも、かなりの勇気がいった。
 ルーシサスがあんな死にかたをして、ワレスは里親の伯爵のもとを、なんのあいさつも書き置きもなくとびだした。あわせる顔がなかったからだ。

 覚悟を決めて、ワレスが二十年ぶりに伯爵家をおとずれると、伯爵は快く迎えてくれた。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 ワレスが十七で屋敷をとびだしたときの伯爵は、今のワレスより少し年上。二十年たってもあまり変わっていなかった。(びん)にまじる白い髪をのぞけば、あのころのままだ。

 伯爵のおだやかな笑みを見て、ワレスはホッとした。一人息子の死の痛みは、時がやわらげてくれたようだ。

「お元気そうですね。アウティグル伯爵。とつぜん、おジャマして申しわけありません」
「何を言っている。ここは君の家だ。いつでも帰ってくればいい」

 ワレスがだまっていると、伯爵は手招きして、奥へ続く廊下を歩きだした。

「ルーシサスを失ったときには、奥が君にひどいことを言った。すまなかったね。今では、あれも後悔している。君が砦で死んだと聞かされたときには、奥は号泣した。君を殺したのは自分の言葉だと思ったんだ。悪いのは私なのに」

 違う。悪いのは……。

「悪いのは、おれです」

 伯爵は苦渋に満ちた笑みをかすかに浮かべる。

「ルーシサスと君が惹かれあっているのは知っていた。だから、私の息子はあんな方法をとったのだろう? ルーシサスは私と君の関係に気づいていた。死を持って、私を責めた」

「違う! ルーシサスはあなたを責めたことなど一度もない。おれが神殿をぬけだすために、あなたを利用したことも、自分の望む教育を受けるためにみずから進んで、あなたの愛人になったことも、ルーシサスは知っていた。おれが、そういう人間だということを。そんなふうにしか考えられなくなっていたおれを、ルーシサスは哀れんだ。それで……」


 ——どうしたら、信じてくれる?

 ——おまえが……死んだら。


「ルーシサスを殺したのは、おれです。おれが彼を殺した」

 ルーシサスのことを思うと、今でも苦い悔恨と喪失が胸をしめつける。涙を流すワレスの髪を、伯爵はそっとなでた。

「もういい。ワレサ。君は苦しんだ。私も、奥も苦しんだ。ルーシサスを失って、誰もが苦しんだ。でも、一つだけ言えることがある。こんなにも長いあいだ、君や私たちが苦しむことを、はたして、ルーシサスが望んでいただろうか? 私たちのルーシィは、そんな子だったろうか?」
「いいえ……いいえ。伯爵」
「ルーシサスは誰よりも君に笑ってほしかったはず。そうだろう? ワレサ」

 そうだ。ルーシサスはワレスに愛する心をとりもどすために、みずからの命を捧げた。前を見て、もう一度、光のなかへ歩みだせと、彼はワレスに言いたかったのだ。

「おいで。ワレサ。君に会わせたい人がいる」
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