六章 6
文字数 1,958文字
ワレスは憤りを抑えきれず、侯爵家をとびだした。エミールが追ってきたのは、ワレスの行くさきをたしかめるためだ。
「エミール。おまえまで女どもの味方か? 言っておくが、おれはあんな子ども、認知する気はないからな」
「ジュリアスはいい子だよ。隊長だって、きっと可愛く思う」
「そういう問題じゃない。おれの尊厳が無視されたことに憤慨しているんだ」
「あんたってば、ちっとも変わってないね。ほんと、プライド高いんなから。ジュリアスのほうが、ずっと素直だよ」
「あいにく、おれは甘やかされて育っちゃいないんでね。とにかく、エミール。おまえも帰れ。おまえたちに新しい生活があるように、おれにもおれの今がある」
昔から動物的に勘だけはいいエミールだ。ピンと来たらしかった。
「……恋人がいるんだね」
「なかなかヤキモチ妬きなので、乱されたくない」
エミールは苦笑いした。
「ほんと、変わってないなぁ。あんたがそういう人だから、カースティはあんたの代わりに、ジュリアスを生んだんだ。女はいいよね。そういう方法があって。おれには、あんたに代わる人が現れるのを待つしかない。まだ見つからないけどね。でも、ジョスは好きだし、ジュリアスも好きだし、あの家の居心地はいい。ねえ、隊長。カースティをゆるしてやりなよ」
「それはおれとカースティの問題だ。もっとも、もう会う気はないが」
「どっちみち、あんたの屋敷、今はジュリアスのものだ。あんたが死んだって聞かされたからさ。遺産としてジュリアスに渡った」
「おれは認知してない」
「だからさ。そういう問題を解決するために、話しあいが必要だろ。また来るよね?」
「いや、認知はしないが、そういうことになってるなら、都合がいい。おれはもう皇都へは来ない。そのつもりで、さっきは別れを告げに行ったんだ」
「また砦へ行く気なの? ほんとに死ぬよ。いつか」
どこへ行くかは言わないほうがいい。
これで決心がついた。レリスとともに行こう。たとえ恋人としてふれあうことがゆるされなくても、彼のそばにいられれば、それだけで……。
ところが、その夜、ワレスは女狐の襲来を受けた。ジョスリーヌは宿の部屋に乗りこんでくると、レリスの前もはばからず、昔のことや今のことを暴露して泣きわめいてくれた。
「ひどいじゃない。この薄情者。わたくしに断りなく、また砦へ行くんですって? あなたって人はどうしていつも、そんなに自分勝手なの? あなたが死んだと聞いたとき、わたくしがどれほど嘆き悲しんだと思うの? わたくしの涙を返しなさい」
女侯爵のおかげで、レリスの視線が痛い。
「ジョス。ここではなんだから、外で話そう」
「どこで話そうと、わたくしの自由よ」
「まったく、エミールのやつ。やっぱり告げ口しやがったな」
「あなたと違って、エミールは優しい子ですもの」
「ああ、そう。あなたに紹介した甲斐があるよ。だいたいな、勝手なのはあなたのほうだろう? ジョスリーヌ。おれのことを十年以上も、よくもだましてくれたな。カースティが一人で行方をくらまし、子どもを生めるわけがない。あんたが手助けしたんだ。そのあとも、ずっと援助して。そうなんだろう?」
「ええ、そうよ。だって、あなたの子どもだって言うんですもの。ほっておけるわけないじゃない」
「おれへの裏切りだとは思わなかったのか?」
「思わないわ」
貴婦人はきっぱり断言した。
「あなたの子どもなら、わたくしだって欲しかった。でも、わたくしは授からなかった。だから、あの子をわたしの子だと思うことにしたのよ。あなたがいつか、どこかへ行ってしまうことはわかっていたから」
遊び好きの年上の女の態度をくずさなかった彼女が、初めて、ワレスの前で泣きだしたので、ギョッとした。彼女が自分をケガしたノラ猫のように思い、いたわってくれていたのは知っていたが、決してその気持ちは友情以上のものではないと、ワレスは思っていた。
「……あなたはおれを愛人の一人としてしか見てなかったじゃないか」
気まずい思いで言ってみると、
「ずっと愛してたわよ。でも、あなたは束縛されるのを嫌っていた。少しでも愛してるそぶりを見せたら、あなたは行ってしまったでしょう?」
それは当たっている。
あのころ、ワレスはルーシサスを死なせてしまったことを、ずっと悔やんでいた。自暴自棄になり、他人に優しくされることをこばんでいた。自分にはその価値はないと信じていた。ルーシサスのもとへ一日も早く自分も行きたいと、それだけを考えて。
「わかった。おれが悪かったよ。ジョス。あなたには感謝している」
「では、ジュリアスのこと、ゆるしてくれるのね?」
「あなたは策士だな」
ゆるす、ゆるさないはともかく、今さら生まれてきてしまったものを殺すわけにもいかないし、はたしてどうしたものか。