八章 7

文字数 2,120文字

 *


 ラ・スター侯爵のとつぜんの死。
 ジュリアスを助けるために時間軸を使ったのは、やはり、祖父だったのだ。おそらくは、その死の瞬間に。

 一度きりしか会えなかったが、父に代わる慈愛をワレスにくれた人。彼の死は明らかに急すぎた。とても自然死とは思えない。

(殺されたんだ。奥方に。おれやジュリアスの暗殺に失敗したときの用心か。おれに爵位が渡ってしまう前に、侯爵を殺せば、譲位を阻止できるからな)

 予感はしていたのだ。今、別れると、もう二度と会えないような……。

 侯爵夫人は帰ってきたワレスを見て、蒼白になった。

「侯爵夫人。オービエンス男爵はあなたの甥だそうですね。男爵が私の息子ジュリアスを拉致し、殺害しようとする現場を捕らえました。あなたが命じたのではありませんか?」

 夫人は歯を食いしばっていたが、やがて、ひらきなおった。

「そんなこと、わたくしは命じませんよ。甥が独断でしたことでしょう」
「伯母上! それは、あんまりな——」

 男爵が口をはさむ。夫人は一喝した。

「お黙りなさい! 知らないと言ったら知りません」
「では、男爵は縛り首ですね。私が当主になったあかつきには」

 侯爵夫人はせせら笑った。

「あなたが侯爵? あなたのような、どこの馬の骨とも知れぬ、ならず者がですか? イリアスの息子だという証拠が、どこにありますか?」
「証拠はあります。ここに、家族の細密画が」

 ワレスは銀の懐中時計に似せて細工した細密画をとりだした。ワレスが家出するとき、父のふところから持ちだした、ゆいいつのもの。
 父イリアス、母ジュリオ、ワレサレス一歳と記されている。これだけは砦を出るときにも持ってきたのだ。

 しかし、夫人はそれをいちべつして嘲笑した。

「そんなものは、いくらでも、でっちあげることができます」

 なかなか手ごわい。
 すると、遅ればせながら真相に気づいたライアンが、沈痛な表情で、ワレスたちのあいだに入る。

「母上。もうおやめください。証拠も何も、彼の姿を見れば一目瞭然ではありませんか。父上の若かりしころに生き写しです。父上が若返られて、そこに立っているのかと思うほどに。父上が彼を次期侯爵にと望まれたなら、そうすべきです」

「おまえは黙っていなさい。ライアン。母はあなたのために言っているのですよ。殿がなんとおっしゃろうと、こんな素性の知れぬ男など認められません」

 やれやれだ。
 ワレスだって、今さら侯爵になんてなりたくない。
 たとえば、ワレスが少年時代にこの事実を知っていれば、叔父や侯爵夫人を殺してでも当主になろうとしただろう。だが、今となっては、自由を拘束する爵位なんて無用の長物だ。
 ワレスが欲しいのは、レリス。レリスとの新しい生活だ。

(質素でいい。田舎の小さな家に愛する人と暮らすことが、おれの夢だった)

 自分のせいで愛する人が死ぬと知ってから、ワレスには決して叶えられるはずのない夢だ。
 ようやく、それが現実になろうとしている。爵位なんていらないと言ってやってもいいが、しかし、ここで手をひけば、またもジュリアスの命がおびやかされる。けりをつけるには、夫人の願望を完全に打ちくだくしかない。

(夫人が、じいさんを殺害した証拠が見つかればな)

 と、そこで、
「とにかく休ませてくださいませんこと? わたくし、今日はもうヘトヘト」

 ジョスリーヌが言ったので、話しあいは翌日に持ちこしになった。ワレスもそのほうが都合がいい。

 その夜、客室で眠るワレスは、また夢を見た。
 今回のそれは、シリウスの記憶ほどに鮮明ではなかった。ラ・スターの城で、数千年のあいだ、くりかえし輪廻する自分の夢だ。

 グローリアの生まれ変わりと出会い、愛情に満ちた人生を送ることもあった。が、そうではないほうが多かった。運命のいたずらだろうか。たがいに惹かれあいながら、うまくいかずに生涯を終えることが、ままあった。

 でも、いつも恋焦がれるのは、グローリア……。

 しかたないのだよ、と誰かが耳元で言う。見ると、枕元に祖父が腰かけていた。その姿は、うんと若い。ワレスと同じくらい。それでも祖父だということがわかった。

「侯爵」
「我々はシリウスの分身だから。グローリアの願いを真に叶えるまでは、この血が絶えることはないのだ」
「やはり、そうなのですか」
「彼女には大きな秘密がある。もうじき、そなたにもわかる」

 一つ忠告しようと、祖父は言った。

「神たるシリウスをとりもどすのだ。そうするしか、グローリアの願いを叶えるすべはない」
「神たるシリウス?」
「本来、そうあるべきだったシリウス」
「よくわかりません」
「わかるはずだ。おまえは、シリウスの器となった者だから」

 祖父の姿は微笑みながら、澄んで淡くなっていく。逝ってしまう。遠い世界へ。

 祖父はおだやかに笑った。
「私は充分に生きた。つらい経験もしたが、楽しいこともたくさんあった。最後にそなたに会えたしな。ワレサレス。グローリアの願いを叶えてやってくれ」

 祖父の気配は遠のいていった。
 目ざめると、朝になっていた。

(もっと、いろいろ聞きたかった。あなたと語りたかった)

 それにしても、本来あるべきシリウス。神たるシリウスとは、なんのことだろう。
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