五章 5
文字数 2,161文字
シリウスの意識はもうろうとし、その人物を見わけることもできない。
だが、声はグローリアのようだ。彼女は命じた。
「今のうちに、シリウスを縛って」
シリウスはとりかこまれ、捕縛された。
男装して王冠をかぶったグローリアが、シリウスをのぞきこんでいる。
「ルービンはずっと前から、わたしの手先よ。さっきの神酒には大量の芥子汁が仕込んであったの」
視界もおぼろなシリウスだが、時間軸を通してなら、周囲を見ることができた。
「グロ……リア」
「わたしの声が聞こえるのね。嬉しいわ。さぞや悔しいでしょうね。あなたの大好きな人たちが仕組んだ罠におちて。目も見えているの? それなら、いいものを見せてあげる」
グローリアが王妃の座から誰かをつれてきた。
シリウスの見知らぬ少女。いや、クリュメルに似ている。だが、これはクリュメルではない。まぎれもない少女だ。美しいストロベリーブロンド。そばかすもきれいに消えて……。
(そばかす? まさか、これが、ヴァージニアさまだというのか?)
それにしては容姿が変わりすぎている。それに、まだ幼いのに、吐き気がするほど妖艶で、まるでグローリアの小さな複製だ。
シリウスの頭の芯が、ギラリと痛む。
「き、さま……姫に、何を……」
「わたしが男たちからしぼりとった精気を、ほんの少しわけてあげたのよ。わたしが抱くと、女はみんなこうなるの。わたしは男からは精気をもらい、女にはあたえるの」
「き……さま——」
「怒ってる?」
『姫はまだ九つなんだぞ!』
ろれつのまわらない自分の口に苛立って、シリウスは思念で言葉をぶつけた。グローリアか硬直する。
『わたしだって五つだったわ!』
津波のようなグローリアの思念が襲いかかってきた。
『わたしだって、あんなに助けを求めた! 泣き叫んだ! でも、誰も助けてくれなかったじゃない。わたしはまだ自分が女だとすら知らなかったのに!』
『グローリア……』
『あのとき、わたしは死んだ。誰もが愛する無垢なグローリアは死んでしまった。かわりに生まれたのが、わたし。こうなったわたしを、父は地下の牢獄に閉じこめた。おまえはもう生きていてはいけないと言って。父はきっと、すぐにわたしが死んでしまうと思っていたんでしょうね』
『あの、洞窟の……』
『そうよ。鍾乳洞の出口をふさいで逃げられないようにした、天然の処刑場。迷路になった暗闇には処刑人がいるのよ。殺して始末するかわりに、そこになげこまれた、チェンジャーがね』
シリウスはゾッとした。
グローリアに感応したあの夢のなかで、背後に迫ってきた異様な気配。
『あれは、チェンジャーだったのか』
『そう。囚人はエサ。チェンジャーたちのね。生きながら手足をひきちぎられ、血肉をむさぼり食われる。でも、チェンジャーたちは、わたしを殺さなかった。わたしはあいつらの仲間だからって。たしかに、わたしはあいつらにさわられても、体が腐りも変化もしなかったし』
『おまえが半神だからだ。汚染に対して耐性が——』
グローリアは聞いていない。
ただ、容赦なく彼女の思念が、シリウスの心に刺すように入りこんでくる。
『それがどういうことか、わかるでしょ? わたしは男の精気を吸わないと生きられないんだから。わたしは五つのときから、そうやって育ったのよ』
それは痛ましい事実だ。彼女がゆがむのはしかたないことなのかもしれない。
『お兄さまが救ってくれた。あの闇から』
グローリアの圧倒的な感応力が、まるで今、目の前で起こっているかのように過去の像をむすぶ。
——グローリアか?
長い幽閉の果てに、とつじょ現れた光。
まぶしかった。それだけで、グローリアにとって、兄の存在は絶対になった。
兄にとっても、成長したグローリアは、もはや弟ではない。グローリアは神の子で、二人に血のつながりがないことは明らかになっていた。
「私の妃になれ。グローリア。愛している」
幸せな、つかのまの日々。
けれど、この世のあらゆる男を惹きつけるグローリアが、一人の男と幸福になれるはずがない。早々に兄の騎士と肌をかわしているところを見つかってしまう。
怒り狂う兄を前に、グローリアは戸惑った。
「おまえの肌をほかの男にふれさせたな?」
「いけないことなの?」
「……哀れな。おまえには誰も教える者がいなかったのだ。今回だけはゆるそう。だが、二度めはないぞ」
「わかりました」
グローリアは一室に閉じこもった。誰の目にも入らないように。そうする以外、ふせぎようがなかった。
男の精気を吸って生きるグローリアは、兄のあたえてくれるわずかの精気では、とうてい長らえることはできない。日に日にやせほそり、体は冷たくなっていく。眠っていることが増えた。もうじき死ぬと言われた、五歳のときに戻ったのだ。
兄は当然、藥師を呼んだ。が、それは男だった。
ある日、グローリアは藥師にさらわれ、むりやり奪われた。長いあいだ我慢していたグローリアも自分を抑えることができなかった。藥師を吸いつくしてしまうと、街をさ迷った。まるで人の血を求める魔物だ。探しにきた兄が、グローリアの浅ましい姿を目撃することになる。
「きさまは犬だ。美しい顔のメス犬だ!」
ふたたび、地下へ堕とされた。
兄がグローリアの魔力を、自身の野望に利用する気を起こすまで……。