一章 4

文字数 1,938文字



 シリウスが王宮へ帰ると、中庭でリアックに出くわした。リアックはシリウスの友人であり、剣を教えた弟子であり、同じ近衛隊の仲間でもある。
 なかなか勇ましく、男らしい顔立ちも悪くない。欠点といえば、夕闇の仄暗さの暗紫色の髪が、ややチェンジャーを思わせることぐらいか。

 リアックはチェンジャーではないが、長い汚染などの影響が、正常な人間の身体にも出ているのだ。

「シリウス。堅物のあんたにそんな顔させるとは、よっぽどいい女だったんだな」

 シリウスの場合は三日で百人斬りだが、そこは黙っておく。

(そんな顔をしていただろうか? 恋わずらいのような?)

 いや、グローリアのもたらす脅威について危惧していただけだ。悩ましい顔つきになっていたとしたら、そのため。

 無言でいると、リアックは口笛を吹いた。

「まさか、ほんとに? ヴァージニア姫にでも知られたら、えらいさわぎだぜ」
「そばかす姫か」
「それを言ってやるなよ。ご当人は気にしてるんだから」
「なぜ? チャーミングだと思うが」
「うーん、前々から思ってたんだが、やっぱり、あんたのセンスは常人とは違うね。こりゃ、昨日の女もどうだかな」

 すっかり、リアックが宿の女と勘違いしているので、シリウスは話をあわせた。グローリアのことは誰にも告げず、一人で始末したほうがいい。

(私を受け入れてくれた民たちのために、この国を守らなければならない)

 ウラボロスは美しい。この街には澄んだ水とゆたかな実りがある。木々には花が咲き、人々は健康でほがらかだ。刹那的だが、けんめいに生きている。生きぬく生命の美しさを、シリウスは愛していた。

「ところで、私がいなかったあいだに変事はあったか?」

 これでも、リアックは王宮近衛隊の常任総隊長だ。シリウスは非常任隊長。ひらたくいえば、ふだんのリーダーはリアックで、緊急時だけシリウスが指揮をとる。この国だけの奇妙な制度が、もう何百年も続いている。

「このところ流行病もないし、魔物の侵入もない。ただ三日前から、カルバラスの街から伝書がとだえてる。砂嵐のせいかもしれないが、陛下は案じておいでだ」
「あのあたりは疫病が多いからな」
「塩の砂漠に近いから、しょうがないが」

 カルバラスは隣国だ。
 小国の集まるこのあたりでは、馬を一日走らせれば、となりの国というところも少なくない。
 それらはすべてペガサス信仰国だ。かつて神殿のあったウラボロスは、周辺国の聖地であり、政治の中心でもある。伝書鳩やその他の手段で、親密な交流がある。

「陛下はこっちから偵察隊を送るご所存だ。カルバラスは湖岸の入口でもあるし、重要な位置を占めてるからな」

 先刻の崖下に海のようにひろがる巨大なアリア湖。その西の果てがカルバラスだ。そのむこうには広大な塩の砂漠が人の侵入をさまたげている。

 対岸には国交のない敵国がひしめいていた。サイレーン、レグーン、ユイラなどといった国だ。近ごろはユイラが版図(はんと)を拡大しているが、それらはまだ対岸の火事だ。

「その件については、あとで陛下と話してみよう。ほかには何か?」
「変事ってほどじゃないが、ぺシェルが頭をかかえてた」

 ぺシェルは街をかこむ城壁を警備する城門部隊の隊長だ。盗賊や魔物の侵入をつねに警戒している。年若い国王やその妹姫の機嫌をとっていればいい近衛隊とは、比較にならない荒仕事である。

「城門で何かあったのか?」

 城門の外へ来いといったグローリアの言葉が思いだされ、シリウスはドキリとした。

 リアックは続ける。
「おれはそろそろ流浪民をどうにかすべきと思うね。やつら、増えすぎだ。城壁の外には木組みの小屋までできてるって言うぜ。それで、いざこざが絶えないんだ」
「十年前に一掃したばかりだが」
「十年もたてばね。そりゃ増えるさ。やつら、しぶといからな」

 同じ人間のことなのに、リアックの口調は、まるでネズミか害虫に対するような蔑みが感じられた。

 国が滅びれば、多くは戦勝国の奴隷としてつれていかれる。が、働けない者たちは打ちすてられる。奴隷になっても、年老いればすてられる。国を失うのは、それほど悲惨なことなのだ。

「人の生きられる土地は少ない。どうしても流浪民は今ある都市の近くに集まるしかないからな」
「こっちの畑を荒らすんだ」
「ぺシェルはそれで頭を悩ませているのか?」
「いや、それが昨日、流浪民たちが派手にさわいでたんだ。偵察に行かせた一個小隊がそれきり帰ってこない。訓練を受けた二十人の兵士が、かんたんにやられるわけないんだが」

 それは気になる話だ。

「一人も帰ってこないのか?」
「ああ。ぺシェルは決めかねてる。次の一隊を送るべきかどうか」
「私が行こう」

 嫌な予感がする。
 グローリアが関係しているとはかぎらないが……。
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