七章 3
文字数 2,085文字
ワレスは伯爵に導かれ、家族のティールームへつれていかれた。
かつては、ワレスもそこで毎日のようにお茶を飲んでいた。となりにはルーシサスがいて、伯爵夫人や、出仕のない日には伯爵も必ずそこにいた。あたたかい微笑みとやすらぎが、そこにあった。ルーシサスを中心にして。
今、伯爵が扉をあけたとき、ワレスは目を疑った。一瞬、あのころへ時間をとびこえて帰ってきたのかと思った。
花盛りのテラスに続く、光に満ちた室内。
そこに、ルーシサスが立っていた。かたわらには少年のままのワレスも。
光のなかで笑いあう彼らは、窓枠を背に、まるで一幅の宗教画だ。
「ルーシィ」
思わずつぶやくと、ルーシサスはふりかえった。
「誰?」
少女の声だ。
それで魔法が解けた。いっきに時が戻り、現在が帰ってくる。
それはルーシサスではなかった。ルーシサスに瓜二つだが、少女の服を着ている。
彼女のとなりに立つのは、生意気なワレスの分身だ。一人で外出するなと言っておいたのに、ワレスに反抗して、さきまわりしていたのだ。こっちに気づいて、ぷっと頬をふくらませている。
「あっちへ行こうよ。ルーシィ。庭で遊ぼう」と言って、少女の手をひき、庭へ行ってしまった。
室内には、ワレスと伯爵と、円卓のところにすわる伯爵夫人だけが残された。
「私たちの娘、ルーシィ=メイだよ。おどろくほど、ルーシサスに似ているだろう? まるで……」
まるで、ルーシサスの生まれ変わりのように……。
「私たちはあの子を、ルーシサスのぶんも愛することで、ルーシサスとともにある。ルーシサスの魂は、今も私たちのそばにいる」
ワレスは涙をこらえて、うなずいた。
シリウスの魂がシリウスの血のなかに蘇るなら、ルーシサスの魂も、きっと、ルーシサスの血のなかに。
ワレスが窓のむこうの二人をながめていると、スカートのすそをひるがえし、少女が帰ってきた。ワレスの前に立ち、おもてをのぞきこんでくる。天使のように愛くるしい笑みで。
「大人のジュリアスね。どうして、そんなに悲しそうな目をしてるの? これをあげるから、泣かないで」
たおった花を一輪、さしだしてきた。
「ありがとう」という声は、かすれて、ささやきになる。
もう一度、言いなおそうとしたときには、ジュリアスがやってきて、少女をつれだしてしまった。
「あいつと話しちゃダメ」
「ええっ、なんで?」というような会話が、少しずつ遠ざかる。
「天使のような子だろう?」
「ええ」
何もかも、あのころと同じ。
ルーシサスがいたから微笑みにあふれていた。今また、あの子がいるから、ワレスは伯爵や夫人と抱きあい、たがいをゆるし、同じ愛しい人の死を
「ゆるしてね。わたしをゆるしてね。ワレサ」
「すべてを水に流しましょう。夫人。誰も悪くなかったんだ」
涙のあとには微笑みがあった。
「それにしても、まさか、私の……息子が懇意にしていただいているとは思いませんでした」
「君がラ・ベル侯爵と親しいと知ってから、しばしば近況を聞かせてもらっていたのだよ。息子がいるとなれば、会いたくなるじゃないか」
「知らぬは本人ばかりなりですか。長旅のすえ、ようやく祖国に帰ってみれば、あんな大きな息子がいたんですから、こっちは死ぬほどおどろきました」
「いいじゃないか。ジュリアスは君に似た綺麗な子だ」
伯爵が言ったので、一瞬、ワレスは彼の本心を疑った。
伯爵は女性を愛せないわけではないが、生まれつき男性のほうをより好ましく思う性質だ。ワレスはなれていたし、伯爵の人柄がよかったので、彼のことは嫌いではなかった。が、ジュリアスに目をつけられているのかと思うと、胸の奥をざらついた舌でなめられたような不快感が、サッと走った。
(……おどろいた。いちおう、おれにも父性なんてもの、あるんだな)
ワレスの視線にあって、伯爵はあわてて言葉をおぎなう。
「あの子たち、お似合いだと思わないかね? 二人を結婚させようと、私たちは思っている。幸い二人もたがいを好いている。あの子たちの幸せそうなさまを見ると、私たちの心もなごむ」
三者三様で自分が誰かを殺したと思っていた。
夫妻はあのころの時間を巻きなおしたように、酷似した二人が幸福になることで、自分たちの罪をあがなおうとしている。その気持ちは、ワレスもいっしょだ。
しかし、それが、ジュリアスが命を狙われる原因だろうか?
「二人の結婚を快く思わない人がいますか?」
「いや、いないと思うがね。後見人のラ・ベル侯爵も喜んでいる」
「しかし、ジュリアスは平民です。アウティグル家の縁者にしてみれば、おもしろくないのでは?」
「それはあるまい。この縁談で、ラ・ベル侯爵家と縁戚になれるのだから、むしろ名誉だ。侯爵はジュリアスを養子に迎え、アウティグル家に見あう爵位を叙位するとおっしゃっている」
ジョスリーヌがそこまで考えているとは思わなかった。ジュリアスは決して地位も財産もない子どもではなかったのだ。
こうなると、ラ・ベル家、アウティグル家、両方の財産がからんでくる。意外と、ジュリアスの敵は多いのかもしれない。