一章 1

文字数 2,477文字


 その日は二旬に一度の輸送隊が来る日。
 いつもの赤いリボンが風にゆれる窓から、ワレスは外の景色をながめていた。
 夕刻。落日の色が、今日はやけに鮮烈。何かの起こる予兆のように。
 ワレスの感傷を嘲笑うかのごとく華やいでいる。

 輸送隊は帰っていった。ハシェドをつれて。ここから馬で三日もかかる後衛の砦、カンタサーラ城が森林警備隊の本拠地だ。

 今日もハシェドは赤いハンカチを結んでいった。
 でも、どうなのだろう。
 彼はワレスより二つ年上だから、そろそろ故郷へ帰りたいのではないだろうか。ハシェドは天涯孤独のワレスとは違う。彼の帰りを待つ家族がいる。

(じっさい、おれもしつこいよな。いつまでこうして、あいつを縛っても、事態は変わらないのに)

 それでも近ごろは、以前よりハシェドの顔を平常心で見られるようになった。
 いくらか恋情もおさまったのだろうか?
 それはそうだ。もう八年になる。彼を愛し始めてから。別れてからでさえ、五年。

(おれがあいつにすがるのは、一人になりたくないからだろうか。今でも誰かとつながっていると感じたいから?)

 ワレスは嘆息しながら窓枠に結んだリボンをほどいた。
 扉が外からたたかれ、クルウが入ってきたのは、そのときだ。長年、右腕となってくれたクルウは、ワレスのことならなんでも知っている。ワレスの行為を見て苦笑いした。

「いいかげん、分隊長を自由にしてあげてもいいんじゃありませんか? 彼は元来、同性愛者じゃない。結婚して、子どもも欲しいでしょう。あなたから解放してあげなければ、あの人は自分から逃げだすことはできません」
「わかってる」

 ワレスは自分を、父親に叱られた子どもみたいな気分にさせるこの年上の部下を、かるくにらんだ。

 クルウは荒くれ者の多い砦の傭兵のなかでは、めずらしく正真正銘の騎士の家柄だ。冷静沈着で慎重な性格のクルウを重宝してはいるが、ときおり言いくるめられて悔しくなることもある。

 もっとも彼は、今ではゆいいつの心をゆるせる友だから、本気で腹を立てるわけではない。クルウが自分を心配して言ってくれているのはわかっているのだ。

「おまえの言うことは、いつも正論だよ。それで、何か用か?」
「はい。物見やぐらの見張りがおかしなことを言うのです。東門から入城を願う人間が来たと……今、真偽をたしかめに、ホルズを送ったのですが」

 ワレスは黙りこんだ。

(人間? 東門から……?)

 そんなバカなことがあるはずがない。
 東門の外は魔族の森だ。魔物以外、来る者などない。


 ——かの地より、運命が……。


 あの幻の言葉が脳裏をかすめる。

「人間……? ほんとに?」
「おそらくは人に擬態する魔物でしょう」
「そうだな。そう考えるのが妥当だ」

 でも、もし、ほんとに人間だとしたら? あの予言が真実だったなら……?

 あんなものは夢だ。幻聴だ。気落ちしすぎて頭がどうかしてたんだと思うが、あきらめきれない気持ちが胸をゆさぶった。

「おれが行って確認してみよう」
「あなたが出るほどのことはないでしょう」
「おれが行くのが一番、確実だ。そうだろう? おれは『人に見えないものが見える男』だから」

 幼いころには父の暴力の種でしかなかったこの双眸も、砦に来てからは大いに役立ってくれた。

 ワレスのこの目はミラーアイズというらしい。魔法がふつうに日常のなかにあった時代では、ときおり見られた古代人の特徴の一つだと、砦の魔法使いが教えてくれた。

 この目は亡霊や魔法生物のようなものから、人間の体内まで、なんでも見てとることができる。
 ただし、ワレスは魔法使いではないので、その力を完全には制御できない。自身が危機におちいったときや、意識を極度に集中したときだけ、その力が具現した。

「何も好んで危険にとびこむことはないと思いますが、言いだしたら聞かないあなたですから」
「そう心配そうな顔をするな。かんたんには、くたばらないよ。だが、おれにもしものことがあれば、そのひきだしに青いリボンが入っている。次に輸送隊が来たときに窓に結んでくれ」
「隊長……」
「わかってたんだ。いつかは、おれから、こうしなければいけないことは」

 クルウはワレスの表情を見て、なだめるような微笑を見せた。ワレスが泣きそうな顔でもしていたのだろうか。

「だからって自殺行為はなしです。さあ、甲冑くらいはつけてください。酸をまきちらすような魔物なら、どうするんです」

 せっつかれて、しかたなく重苦しい甲冑をまとう。クルウはその上、ワレスに従う一個分隊まで用意した。

「たかが五百人の長の守りには大げさすぎる。魔物が出るたびにこんなことしてたんじゃ、キリがないぞ」
「はいはい。ほっておくとムチャばかりするのは、どこのどなたですか」

 まったく、どっちが隊長だかわからない。

 ワレスはクルウが手渡してくる配給の(かぶと)を手にとり、装備の確認のため、姿見に映る自分を見る。

 八年前、砦に来たころと、ちっとも変わっていない。これはユイラ人の民族的な特徴だ。神殿に捧げる像のように、優美な四肢。なめらかな白い肌。いつまでも二十歳の青年のように若い。ワレスのように金髪碧眼はめずらしいが、美青年じたいは少なくない。

 だが、中隊長の真紅のマントをはおり、東門前まで来たときに見たのは、ワレスの予想をはるかにこえた、とびっきりの美青年だった。長年、美貌を売って暮らしてきたワレスでさえ、数瞬、見とれた。
 黒髪はユイラ人にはよくあるものの、七色に変化する瞳の色は、ぞくぞくするほど神秘的だ。

(彼だ。彼が、おれの運命だ)

 ハッキリわかった。

 これまでに出会ったことはない。あきらかに初見だが、彼を知っている。いつか、どこかで、ずっと昔から。まるで魂に刻まれた記憶だ。心の底から、なつかしさがこみあげてくる。

(まいったな。運命の相手くらい、女であってほしかったよ)

 まあ、しょうがない。
 相手は少女のように麗しい陶器の肌の美形だ。そのくらいは、ちょっとした手違いだと思おう。

「まちがいなく人間だ。名前は?」
「レリス」

 それが、彼との出会いだった。
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