八章 2

文字数 2,297文字



 ワレスは宿へ急いだ。
 レリスはいなかったが、デッドをつかまえた。

「デッド。今すぐ、レリスを見つけてくれ。大至急だ。おれの息子がさらわれた」
「むす……ああ、かわいそうにな。あにき。おれがあなたから、あにきを奪いとれる器じゃないのが、ほんとに悔しい。と言っても、おれのは崇拝ですけどね」
「くわしい事情は手紙に書いておく。レリスを見つけたら渡してくれ」
「無視ですか……この図々しさが、おれにもあればなぁ」

 まだ言ってる。

 デッドがブツブツ言いながら階下へおりていくのを見送って、ワレスは手紙を書きだした。

 とにかく一刻を争う。ジュリアスには人質の価値があるから、すぐには殺さないだろう。が、エミールと御者はそうではない。命の保証はなかった。すでに殺されているかもしれない。とは言え、馬車が血で汚れていなかったらしいから、少なくとも、さらわれた時点では生きていたはず。

 と考えて、ワレスは不審に思った。

(変だな。町なかで馬車を襲うのは、そうとう目立つ。辺境の荒野じゃないんだぞ。皇都のどまんなかだ。走っている馬車を止めるには、道をふさぐか、馬を殺すか、御者を殺すか。真夜中ならともかく、日暮れ前だ。人目があるし、道をふさげば通行人が文句を言う。となると、御者が自分の意思で馬車を止めた……か?)

 ワレスは手紙をいったん置き、デッドを追って階段をおりた。宿の前で追いつく。

「デッド。すぐにつかまるヤツが、誰かいるか?」

 レリスの手下たちは、ジューダのもとで船乗りや店員として働くことになった。なので、エスパンの港でむこうの仕度に数人残り、ジューダの船にも数人。皇都までついてきたのは十人に満たない。それらも今は店の準備で忙しい。

「今日はおれたち、自由行動なんですよ。あにきとジューダの旦那が商工会議所に行ってるんでね。みんな、近所のなじみの酒場にいるに決まってる」

「じゃあ、目端のきくやつを一人、おれのところによこしてくれ。レリスにはちょくせつ、ラ・ベル侯爵家に行くよう伝えてくれればいい。手紙はカースティに渡しておく」
「了解です。侯爵」

 なにげなくニックネームを言われて、ワレスはその皮肉に苦笑した。

(侯爵ね。まさか、ほんとにな)

 ワレスが宿で手紙を書いていると、やってきたのは、ネイラだった。
 デッドの人選に、ワレスはうなった。よりによって、こいつをよこしたのかという気持ちと、なるほど人を見る目があるという両方の感嘆だ。

 ネイラは年で言えば、ジュリアスと大差ない。まだ十四だ。

 しかし、これがなかなか末恐ろしい少年だ。なにしろ、背徳の都ダーレス育ちの孤児なので、ぬけめがない。レリスにひろわれたときには、すでに大人の機嫌を見る天才だった。

 それが今では、ワレスや山賊やチンピラや、周囲の悪い大人からさまざまなレクチャーを受け、知識と技だけは一流の大悪党である。ナイフなげ、カード賭博、鍵あけ、縄ぬけ、すり——なんだってできる。

 可愛い顔を利用して、ふだんは猫をかぶっているので、いよいよ始末が悪い。

「ご用ですか?」
「たしかに、これはおまえむきの仕事かもしれないな。ネイラ、おまえ、貴族の屋敷で働きたくないか?」
「えッ? そりゃ、もちろん」

「だろうな。おまえなら、そう言うと思った。おまえの働きいかんによっては、侯爵家で教育を受け、将来は騎士に引き立ててもらえるかもしれない」
「おおッ! 夢みたい。夢みたい」

「おまえの性格をかんがみると、ジョスのもとに送るには、じゃっかん不安要素もあるが、相手は大金持ちの大貴族だ。気前はいい。こそこそ泥棒するより、まじめに仕えたほうが利潤は高いぞ」
「ああっ、大金持ち、大貴族。いい響き! ジューダさんの下で店番するより、ずっといい」

「では、おまえに重大な任務をあたえる」
「はいはい」

 ワレスが内容を耳打ちすると、ネイラの顔つきは変わった。ややウンザリしたようす。

「やっぱり、危ない仕事か」
「大金持ち。大貴族。騎士になれば城の一つもくれるな」
「お城! やります。やります。つまり、その御者が怪しい態度を見せたら、気づかれないように、あとをつければいいんでしょ?」

「敵のアジトがわかったら、レリスに伝えろ。いいか? おまえの働きに二人の命がかかっている」
「はーい」

 贅沢と豪奢と退廃が大好きなダーレス育ちの少年は、すでに恍惚としている。それを馬の鞍の前に乗せ、ラ・ベル侯爵家にひきかえした。

 思ったとおりだ。
 ワレスが屋敷に戻った直後に、脅迫状が届いた。持ち帰ったのは、昨日の御者だ。青い顔でふるえているが、なぐられたり乱暴された形跡はない。脅迫状の内容は、やはり、ワレスに一人で指定の場所まで来いというもの。

「どうするの? ワレス。行くの?」

 正装に着替えてエントランスホールに現れたジョスリーヌが、脅迫状を見て顔色を変える。
 ワレスは御者に聞こえるように、わざと大きな声で言った。

「いや。予定どおり、ラ・スター家へ行こう。脅迫状には日の暮れまでにと書いてある。往復しても、急げばまにあう」

 御者は急にソワソワし始めた。

「あ、あの、侯爵さま。私はさがっても、よろしゅうございましょうか?」

 ジョスリーヌは何も知らないから、鷹揚(おうよう)にうなずく。

「おまえも休みなさい。今日はボランをつれていくから」

 御者は落ちつかなげに去っていった。じつにそつなく、ネイラが追っていく。

(やっぱりそうか。あいつが敵の手先だな)

 ワレスがラ・スター家へ行くと聞いて、あわてて仲間に連絡をとろうというのだ。
 尾行をネイラに任せ、ワレスはジョスリーヌの従者として、ラ・スター侯爵の城へむかった。
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