四章 4

文字数 1,798文字

 *


 リアックは憤っていた。
 昼に自室へ帰ったとき、扉の鍵があいたままになって、グローリアが消えていた。
 ずっと探しているのに、夜になっても行方がわからないのだ。

 見つかったのは中庭で倒れていた兵士たちだ。全員、気が狂っていた。ヘラヘラ笑い、ヨダレをたらして口をあけているだけの



 リアックはこれまで、グローリアが自分に対して手かげんしていたのだと知った。あんなにすごくて、まだ……。

(おれはアイツが王妃になるための手駒として生かされてるわけか。くそッ)

 だが、利用されているとわかっても、グローリアをあきらめることはできない。なぜ、自分はいつから、こんなふうになってしまったのか。

(変だな。おれ、前は胸のデカイ女が好きだったのに)

 ふと、だまされているような疑念が頭をかすめる。でも、その感覚は一瞬で去った。室内にホリディンがかけこんでくる。

「見つかりました!」
「どこだ?」
「それが、とんでもない場所で。まだ私も見たわけじゃありませんが」
「おれが行く」

 ホリディンが確認をためらったのにはわけがある。

「女官たちの話では、今夕、王がどこからか女をつれ帰り、二人で寝室へ入ったのだということです。そのとき、すでに王は半狂乱だったと……」

 みなまで聞かず、リアックは部屋をとびだした。

(あの売女。おれに王妃の冠をねだっておいて、なんのつもりだ!)

 まっすぐ王宮をめざす。
 近衛隊長のリアックは誰にもとがめられることなく、後宮の王の寝室まで行くことができた。
 寝室の前には大勢の女官が集まり、涙を流したり、扉をたたいたり、途方に暮れている。

「リアックさま。陛下のごようすが変なのです。あきらかに下賤(げせん)な生業の女などつれられて……」
「わかった。おれに任せて、みんな、さがっていろ」

 リアックは扉をあけようとしたが、鍵がかかっている。

「陛下! ここをおあけください!」

 大声を出すと、内から扉がひらき、白い女の手が招く。なかに入ると、グローリアが立っていた。

「グローリア……」

 その姿を見て、とたんにリアックの怒りはかき消えた。
 麗しいおもてに浮かぶ笑みのなかに、今朝まではなかった精神の荒廃を見た。それまで崖っぷちでウロついていたのが、ついにその境界をとびこえてしまったような、どうしようもない深い絶望がしみついている。
 彼女のなかに残っていた、最後の人間らしいものが崩壊してしまったかのような……。

「どうしたんだ? グローリア」

 リアックが優しく問いかけても、彼女は肩をすくめて笑う。

「どうもしないわよ。わたし」
「しかし……」
「それより、ねえ、聞いて。わたし、王妃になるの。この子がね。わたしを王妃にしてくれるんですって」

 寝台のなかを見て、リアックは愕然とした。十五の少年が、まるで老人のようだ。なんという変わりようだろう。昨日は薔薇色だった頬が、たった一日で骨と皮にやつれ、両眼は落ちくぼみ、深いしわが刻まれていた。急に四十も五十も年をとったように……。

「王に……何をした?」
「別に。いつものようにしただけ。ちょっとやりすぎたかしら。でも、この子だって喜んでたわ」
「グローリア!」

 リアックはグローリアの腕をつかむ。

「どうしたんだ! 昨日までのおまえじゃないぞ」
「どうもしないわよ!」

 イライラしたように、グローリアはリアックの手をふりはらう。

「明日よ。明日、王妃になるの。正午に戴冠式をあげる。誰にもジャマさせない。やっと王妃になれるのね。わたし……」

 やはり、ようすがおかしい。
 それはグローリアの形をした幻に見えた。うつろな、がらんどうの焼き物。なかには何もない虚無ばかり。

 今、手を伸ばさなければ、彼女は自分にはつかまえられないどこかへ行ってしまう。誰にも手の届かない、はるか虚空へ。ただ失墜(しっつい)するためにのみ、ゆらゆらとただよっていく。
 そんな気がした。

「しっかりしろ。グローリア。こんなの、おまえらしくないぞ。おまえは悪い女だが、でも、こんなじゃなかったはずだ。なんか、変だ」
「うるわさいわね。わたしは誰だっていいのよ。この子だって、あなただって、ほかの誰かだって。王妃にさえなれたら、それでいい」

 カッと憤怒(ふんぬ)がかけめぐる。いや、何を言ってもグローリアの胸には響かないことが、悔しかったのかもしれない。

「わかった! 明日を楽しみにしてろ!」

 言いすてて、リアックは王の寝所をとびだした。
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