十章 1

文字数 2,105文字

 時間だけはかぎりなくあった。実質的に、ワレスの上には時が流れていないのだから。
 ひたすら女神を探し、集めた。いつから、なんのためにそうしているのかも忘れそうなほど。

 グローリアもワレスの形代を抱くことで満足しているのだと思っていた。愛しい人を抱くうちに、少しずつグローリアの正気が戻りつつあることなど、彼女のそばにいないワレスが気づくはずもない。

 何億か、何兆か、あるいは何京。ワレスも相当数の女神のかけらを集めた。
 ようやく、その日は来た。
 無限にも思えた魂のかけらが、一つ残らず集まった。女神は復活した。

 同時に、ワレスは自分の魂が彼女の胎内にとりこまれるのを感じた。
 ワレスの存在は、もともと、こうあるべきだった。半神のシリウスは生まれる前に失われた者。失われた半身が、彼をあるべき存在に還すため呼んだ。

 母の胎内で、彼は夢を見た。シリウスの生涯を。いくども転生して生きた、ラ・スター侯爵の生涯を。そして、ワレスの生涯を。
 やがて生まれ、ペガサスの戦士となったが、片時も、あの人を忘れたことはなかった。愛しいレリス。愛しいグローリア。

「父上、母上。やはり、私は行きます」

 十八歳の誕生日。彼は旅立ちを決意した。

 三千世界の一つ上。ペガサスの故郷。父クリュスプトゥルと、母アヴィリアメーナの元来の世界だ。
 彼は今日まで、ここで何不自由なく暮らしてきた。ドーム都市のなかで、科学と超能力に裏打ちされた、高い文化水準が彼を育んだ。父も母も愛してくれた。
 しかし、あの人のことを見すてることはできなかった。

「わざわざ低位の世界へ行くのか? たしかにあの世界では、我らの力は神にも等しい。だが、本来あるべきではない世界での生は、ゆがみを招く。存在そのものが不自然なのだ。まともな人生を送れるはずがない」
「わかっています。それでも行かなければ」

 父は嘆息した。母は泣いた。だが、彼の決意は変わらない。

「しかたあるまい。あの世界で魂の誕生を得た、それが、そなたの運命なのかもしれない。空の王が残した根のトンネルも、今では修復が進んでいる。行くことはできても、戻ることはできぬかもしれぬぞ」
「いたしかたなきことです」
「そこまで言うならば、もはや止めはしない。我らが息子、クリュスタメーナに幸運を」

 父母の祈りを受けて、彼は旅立った。

 ペガサスの故郷は長きに渡り、雪と氷に覆われていた。いわゆる氷河期だ。苛酷な地だからこそ、ペガサスたちは魔法の力を有するようになった。

 彼はその力で吹雪から自分の身を守り、すべるように積雪の上を進んだ。空は厚い雲に閉ざされ、視界は白一色。だが、透視を使えば、澄んだ青空のもとよりクリアに見渡せる。

 雪山の谷間にたどりついた。そこに空の王の残した傷跡があった。クレバスのように見える小さな裂けめ。以前はもっと大きな洞窟だったという。

(ここをくぐれば、三千世界だ。帰りはない片道旅行。だが、おまえがいる)

 彼はそこで、十八年間、つねに自分のものではないような違和感をもって呼ばれた、ペガサスの名をすてた。迷うことなく、次元の裂けめに身をおどらせて。


 *


 三千世界に降りたとたん、ワレスは時の川の袋小路に肉体ごとひきこまれた。あの封印の扉の内だ。そういえば、この次元のワレスの時間は、この場所に捕捉(ほそく)されているのだった。

「シリウス……やっと、起きた」

 あいかわらず、あの姿のグローリアに抱かれていたので、正直、ウンザリする。彼女のことは今でも愛しいが、正気を奪うほどの外貌はいただけない。しばらく透視をやめて、身の毛のよだつ彼女の触感から意識をそらした。

「呼んでも……いつも、眠って、ばかり。イヤなんでしょ? わたしが、こんな姿になったから……」

 それは嘘ではないが、この女はヤケになると何をしでかすかわからない。常習的にヒステリーを起こす恋人のあつかいには慎重を要する。

「グローリア。おまえがツライのはよくわかる。おまえを救う手立てを考えていたんだ」

 そう。それが一番いい。
 グローリアも、レリスも救う。どうにかその方法がないだろうか。

(これまでのおれは、いつも後悔ばかり。二つに一つの選択を迫られれば、人の力では一方を選ぶしかない。でも、今なら、どちらか一方をすてるのではなく、二つを同時に選ぶことも可能かもしれない)

 すると、また、あの感覚がよみがえる。大切なことを忘れているという、あの感じ。

(なんだろう。まだ思いだせないことがある。シリウスの記憶。一番、大切なことだったはずだ)

 何か手があった。
 その方法を思いだせないだけなのだ。

「グローリア。おれは行かなければならない。だが、それは、おまえを救うためだ。おれを信じて待っていてくれ」
「いやアアァッ。行かないで! シリウス——シリウスッ!」

 泣いてすがられれば、たとえ、どんな姿であろうと、心が吹きちぎれる思いがした。
 やはり、愛しい。
 なんなのだろう? 自分のこの、どっちつかずな気持ちは?

「すまない。必ず助けてやる。今は行かせてくれ」

 ワレスは翼をもちいて翔んだ。かつて、半神の自分がかけた封印の鍵を、すりぬけるのは容易だった。
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