九章 7
文字数 2,116文字
*
夢が去ったとき、ワレスの意識は、この永劫の闇に封じられてから、もっとも明快に覚醒した。
——神たるシリウスをとりもどせ。
祖父のあの言葉が、今こそ深い意味を持つ。
(シリウスが半神なのは、母アヴィリアメーナが完全体ではなかったからだ。もし、彼女の魂が完全ならば、シリウスはホーリームーンとホーリーサンのあいだに、神として生まれていた)
とびちった無数のアヴィリアメーナの魂を、ホーリームーンは今も探し続けている。すべての魂のかけらが集まったとき、女神は復活する。そして、シリウスは神として生まれなおすことができる。
(おれが神になれば……どうなる?)
神の力なら、この時のない世界から
ワレスの意識はふたたび時空のかなた、三千世界をさ迷った。ありとあらゆる時の流れの、ありとあらゆる時代へ。母の魂を求めて。
女神の魂を持つ者は、ひとめで見わけられた。平凡な見目形であっても、内なる輝きは隠しようがない。
その輝きから、多くの人々が救いを求める聖女と呼ばれることも少なくなかった。あるいは、輝きを恐れる者から魔女と糾弾 され、非業の死をとげることも。
ワレスは彼女の生によりそい、死を待った。彼女の魂が人の器から解放され、輪廻の虚空に翔ぶ瞬間、つかまえ、さらう。
女神のかけらを魔法の瓶へ閉じこめるように、自身の魂のなかに封じた。十、二十、五十、百……その数が千を超えたとき、ワレスは彼に再会した。天馬の神。ホーリームーンに。
「シリウスか。ひさしいな」
ひさしいも何も、彼の知るシリウスはとっくに死に、何度も転生したあとだ。が、半永久的な寿命を持つ彼にとっては、それはまばたきするあいだのことなのかもしれない。
彼は姿の変わった息子になんの疑念も持たないようだった。ワレスの外面ではなく、魂の根源の形を見ているのだろう。
同時に、ワレスも無意識にそうして彼を見ていた。
そして、ワレスはとてもおどろいた。彼は若い。彼の魂の熟成は、人で言えば二十と少しぐらい。ほんの青二才だ。どおりで言動が直情的だ。いくども人の生をまっとうしたワレスのほうが、はるかに老成している。
「そなたも、アヴィリアの魂を集めていたのか」
「まだ千ほどですが」
ワレスが内にかかえていた女神のかけらを渡すと、ホーリームーンは少年のような微笑を見せた。
「これで、三千一極一正百澗千八十四溝五百六十一穣十六じょ九千九百二十垓二百七十八京九百二十三兆四千百七十二億五千六百一万九千九百四十三」
ホーリームーンはワレスの渡した魂を内に飲むと、そのまま行ってしまいそうになった。
「待ってください。ホーリームーン。あなたと話したい」
「わかっている。私とアヴィリアのあいだに生まれなおしたいのだろう?」
「そのことではありません」
彼は時間にせくようすで、苛立ちを瞳に見せる。
「ああ、そうか。囚われているのだな。助けてほしいのか?」
ワレスは苦笑して首をふった。
「いえ。私が聞きたいのは、空の王のことです。私が生まれる前に滅ぼされたと聞くが、じつのところ、あれはなんだったのですか?」
「そんなことが気になるのか?」
「以前、妙な幻を見たので」
「あれは一口に言えば、我らとは異なる高位の次元から来た寄生虫だ。三千世界に根を張り、養分を吸いとる。そなたらの次元はもとより、三千世界も滅ぼしかねぬので、我らが駆除した。今はもう『嘆きの影』しか残されていない」
手招きするホーリームーンについていく。
星のまたたく宇宙の海をさらに高くあがると、青い星が無限につらなる三千世界が眼下に見えた。その中心に、うっすらと黒い渦がある。
生まれることをゆるされなかった空の王の無念の亡霊だ。あまりにも高き次元より飛来せしものなので、根絶やしにされたのちも、嘆きの念がその場に焼きついている。
それは、ほのかに歌っている。影となった今も。
——わたしはゆるされざるもの。存在の生まれながらに悪しきによりて、醜き根のまま絶たれしもの。咲きたかろうに。咲きたかろうに。千の茎の万の葉陰に。血のごとく赤く。
その歌声を聞くうちに、ワレスは幻惑 をおぼえた。
「シリウス」
ホーリームーンが呪縛をやぶってくれた。
「あれはただの亡霊だ。ほっておけば、いずれ消える。我らのがわにも犠牲はあったが、戦は上首尾に終わった。敗者の声に耳をかたむけるな」
「はい……」
ホーリームーンの魂は若い。だから、冷徹な勝者であれるのだろうか。いや、ワレスが個人的に、あれにひじょうに近い嘆きの声を知っているから、心を動かされるのかもしれない。
(生まれながらに悪しきゆえ、醜きまま絶たれしもの……)
なぜか、グローリアを思いだす。
(似ている。以前、幻を見たときにも思ったが)
ワレスの心のゆらぎを、ホーリームーンは感じとった。
「シリウス。死んだものは、同情しても蘇りはしない。それより一刻も早く、アヴィリアの魂を完成させよう」
「そうですね」
ワレスにとっても完璧なペガサスとなり、翼を得ることは重要だ。
だが、なぜだろう。
空の王の歌が忘れられなかった。
夢が去ったとき、ワレスの意識は、この永劫の闇に封じられてから、もっとも明快に覚醒した。
——神たるシリウスをとりもどせ。
祖父のあの言葉が、今こそ深い意味を持つ。
(シリウスが半神なのは、母アヴィリアメーナが完全体ではなかったからだ。もし、彼女の魂が完全ならば、シリウスはホーリームーンとホーリーサンのあいだに、神として生まれていた)
とびちった無数のアヴィリアメーナの魂を、ホーリームーンは今も探し続けている。すべての魂のかけらが集まったとき、女神は復活する。そして、シリウスは神として生まれなおすことができる。
(おれが神になれば……どうなる?)
神の力なら、この時のない世界から
翔ぶ
ことができる。シリウスの今は持たない翼によって。ワレスの意識はふたたび時空のかなた、三千世界をさ迷った。ありとあらゆる時の流れの、ありとあらゆる時代へ。母の魂を求めて。
女神の魂を持つ者は、ひとめで見わけられた。平凡な見目形であっても、内なる輝きは隠しようがない。
その輝きから、多くの人々が救いを求める聖女と呼ばれることも少なくなかった。あるいは、輝きを恐れる者から魔女と
ワレスは彼女の生によりそい、死を待った。彼女の魂が人の器から解放され、輪廻の虚空に翔ぶ瞬間、つかまえ、さらう。
女神のかけらを魔法の瓶へ閉じこめるように、自身の魂のなかに封じた。十、二十、五十、百……その数が千を超えたとき、ワレスは彼に再会した。天馬の神。ホーリームーンに。
「シリウスか。ひさしいな」
ひさしいも何も、彼の知るシリウスはとっくに死に、何度も転生したあとだ。が、半永久的な寿命を持つ彼にとっては、それはまばたきするあいだのことなのかもしれない。
彼は姿の変わった息子になんの疑念も持たないようだった。ワレスの外面ではなく、魂の根源の形を見ているのだろう。
同時に、ワレスも無意識にそうして彼を見ていた。
そして、ワレスはとてもおどろいた。彼は若い。彼の魂の熟成は、人で言えば二十と少しぐらい。ほんの青二才だ。どおりで言動が直情的だ。いくども人の生をまっとうしたワレスのほうが、はるかに老成している。
「そなたも、アヴィリアの魂を集めていたのか」
「まだ千ほどですが」
ワレスが内にかかえていた女神のかけらを渡すと、ホーリームーンは少年のような微笑を見せた。
「これで、三千一極一正百澗千八十四溝五百六十一穣十六じょ九千九百二十垓二百七十八京九百二十三兆四千百七十二億五千六百一万九千九百四十三」
ホーリームーンはワレスの渡した魂を内に飲むと、そのまま行ってしまいそうになった。
「待ってください。ホーリームーン。あなたと話したい」
「わかっている。私とアヴィリアのあいだに生まれなおしたいのだろう?」
「そのことではありません」
彼は時間にせくようすで、苛立ちを瞳に見せる。
「ああ、そうか。囚われているのだな。助けてほしいのか?」
ワレスは苦笑して首をふった。
「いえ。私が聞きたいのは、空の王のことです。私が生まれる前に滅ぼされたと聞くが、じつのところ、あれはなんだったのですか?」
「そんなことが気になるのか?」
「以前、妙な幻を見たので」
「あれは一口に言えば、我らとは異なる高位の次元から来た寄生虫だ。三千世界に根を張り、養分を吸いとる。そなたらの次元はもとより、三千世界も滅ぼしかねぬので、我らが駆除した。今はもう『嘆きの影』しか残されていない」
手招きするホーリームーンについていく。
星のまたたく宇宙の海をさらに高くあがると、青い星が無限につらなる三千世界が眼下に見えた。その中心に、うっすらと黒い渦がある。
生まれることをゆるされなかった空の王の無念の亡霊だ。あまりにも高き次元より飛来せしものなので、根絶やしにされたのちも、嘆きの念がその場に焼きついている。
それは、ほのかに歌っている。影となった今も。
——わたしはゆるされざるもの。存在の生まれながらに悪しきによりて、醜き根のまま絶たれしもの。咲きたかろうに。咲きたかろうに。千の茎の万の葉陰に。血のごとく赤く。
その歌声を聞くうちに、ワレスは
彼
の訴える幻視に囚われそうになる。「シリウス」
ホーリームーンが呪縛をやぶってくれた。
「あれはただの亡霊だ。ほっておけば、いずれ消える。我らのがわにも犠牲はあったが、戦は上首尾に終わった。敗者の声に耳をかたむけるな」
「はい……」
ホーリームーンの魂は若い。だから、冷徹な勝者であれるのだろうか。いや、ワレスが個人的に、あれにひじょうに近い嘆きの声を知っているから、心を動かされるのかもしれない。
(生まれながらに悪しきゆえ、醜きまま絶たれしもの……)
なぜか、グローリアを思いだす。
(似ている。以前、幻を見たときにも思ったが)
ワレスの心のゆらぎを、ホーリームーンは感じとった。
「シリウス。死んだものは、同情しても蘇りはしない。それより一刻も早く、アヴィリアの魂を完成させよう」
「そうですね」
ワレスにとっても完璧なペガサスとなり、翼を得ることは重要だ。
だが、なぜだろう。
空の王の歌が忘れられなかった。