六章 7
文字数 2,984文字
ハンカチで涙をふくと、けろりとして、ジョスリーヌは言いはなった。
「じつはね。あなたに相談があるの。ジュリアスのことなんだけど、誰かに命を狙われてるみたいなの」
「そんなこと、なんで、おれに言うんだ」
「あなた、得意だったじゃない。謎解きって言うのかしら? よくジェイムズといっしょに事件の犯人を捕まえていたわ」
「あれは、あんたやジェイムズが、むりやりさせてたんだろ」
「そうかしら。けっこう楽しんでたわよ、あなた。ところで、ジェイムズには会っていかないの?」
「ジェイムズには砦で会った。あのとき和解したから、もういいよ。フィアンセと結婚したんだろう?」
「うまくやってるわ。可愛い子どもが四人」
「よ……多いな」
「ジュリアスのほうが、はるかに美少年ですけどね。ねえ、お願いよ。ジュリアスを助けてあげて」
わがままなジョスリーヌが、他人のためにここまで必死になっているのは、めったに見られるものじゃない。おれに無断で生まれた命がどうなろうと知ったこっちゃないと、言ってやってもよかったのだが、長年の恩人におがみたおされれば、否とは言いづらい。
ワレスが怖々レリスを見ると、最初より険しい表情ではなくなっていた。
「わかった。これが、あなたへの最後の恩返しだ。あくまで、あなたへの感謝の気持ちだからな」
「もう、いじっぱり」
レリスを部屋に残し、ジョスリーヌを馬車まで送った。二人きりになると、ジョスリーヌは言った。
「ジュリアスはわたくしの生きがいよ。あの子に最高の教育をあたえ、最高の男に育っていくのを見ると、嬉しい反面、切なくなるの。わたしはほんとは、ワレス、あなたにこうしてあげたかったのだと思って。わたしのところへ来たときには、あなたの傷は深すぎた。せめて、あと五年……できれば十年早く、あなたに出会っていたかった」
そんなことになっていれば、十歳のワレスは無防備に彼女を愛し、その運命によって、ジョスリーヌを殺していただろう。死なせる人が違っていただけだ。けっきょく傷つき、一人でさ迷っていたことに変わりはない。
「あなたは充分、おれを愛してくれたよ」
ジョスリーヌは背伸びして、ワレスの頬を両手でつかむ。
「あなたがまた人を愛せるようになったのなら、わたくしのしたこともムダではなかったのね。あの人と、お幸せに」
くちづけを残し、ジョスリーヌは帰っていった。部屋に戻れば、今度はレリスをなだめなければならない。
「ジョスリーヌに協力してやってもいいか?」
「そんなこと、なんでおれに言うんだ」
「おまえが一番、大切だからだ」
「ほんとに?」
「ああ。誓う」
「それなら……いい」
いつものレリスなら、もっと
ぐずる
かと思っていた。聞きわけがいいのはありがたいが、よこがおはさみしげだ。そんな顔をされれば、抱きしめたくなる。抱きしめて、くちづけて……そう。愛のない愛を、誰が信じられる?「レリス……」
ワレスは伸ばしかけた手を、ぐっとにぎりしめた。
たった一度、あやまった選択。あのとき、レリスを選び、ウィルを見すてた。今また十五で死んだかわいそうな少年を忘れ、レリスを選びそうになる。
すべては、あの一度のあやまち。
あのとき、ウィルの手をとってさえいれば、こんなに苦しい思いをすることはなかった。今も、これからも、一生涯、ワレスとレリスのあいだには、少年の亡霊がつきまとう。
「レリス。やっぱり決めた。砦への報告を終えたら、おまえの故郷へ行くよ」
レリスの目が輝いた。
「あとになって、やめたなんて言いだしたら、ゆるさないからな」
「言わない。約束する」
おかげで、また夢を見た。
今度の夢はひどく断片的だ。
シリウスは兄を救いたいというグローリアの願いを叶えるために戦っていた。
彼女の兄を救うには、もはや殺すしかなかった。彼に取り憑いたものを器ごと壊すしかない。それは今やいくつもの国を制圧し、随一の大国となったユイラに攻め入ることにほかならない。
だが、すでに、グローリアの味方はシリウスだけではない。キャスケイドもいたし、サラマンダー族のカリウル(サラマンダーの……だから、レリスは……)や、ワーウルフのクライなど、旅のあいだに仲間になった半神や神の生き残りが集まっていた。
シリウスをふくめた十二の騎士が、グローリアを守った。いつしか十二騎士、あるいは神聖騎士と呼ばれていた。神がかりの力を持つ者たちだ。人間の軍隊相手には一騎当千。
それを見て、ユイラ王の乱心に恐れをなした異国の王たちは、グローリアのユイラ第二王子の血統を名目に集い、
長い道のりだった。
決して容易ではなかった。
けれど、ようやく成し遂げた。グローリアは皇帝の座についた。兄を救いたいという彼女の願いは、結果的に広大な皇帝国を築いたのだ。
シリウスの役目は終わった。彼女の望みは叶えた。彼女を守る神は、今や大勢いる。シリウス一人いなくなっても困らないだろう。
シリウスは彼女のもとを去る決心をした。
「ウラボロスの生き残りの民が、街を再建しようとしているらしい。私は彼らのもとへ行こうと思う」
グローリアは泣いて懇願したが、最後にはゆるしてくれた。シリウスの心がゆらがないことを知り、あきらめたのだ。
「わたしたち、出会いが悪かったのね。ウラボロスのことがなければ、あなたはわたしを愛してくれた?」
「ああ」
「抱きしめて、くちづけて、一つになってくれた?」
「ああ」
「もう一度、やりなおせたらいいのに」
「それはムリだ。生まれ変わりでもしないかぎり」
「わたしたち、約束したわね。あの崖の上で。今度、生まれてくるときは、人間になって愛しあいましょうって」
「ああ」
「今でも誓える?」
「誓う。何度、生まれ変わっても、必ず、おまえを愛すると」
それは数千年にもおよぶ、長い呪いの始まり。
でも、しかたない。おれはそれだけのことをおまえにした。
おまえは父にすてられ、兄にすてられ、ずっと孤独で、誰かに愛されたくてしかたなかったのに。おれはおまえを孤独のなかに置き去りにした。
かたわらにいながら、血だまりのなかで泣くおまえを、ただ見ていた。もう泣かなくていいのだと、抱きしめてやらなかった。
グローリアが一度だけ、シリウスをだまして、つながりを求めたのは、そのせいだろう。
シリウスが去る前、別れの杯に芥子汁をまぜて意識をうばった。芥子の夢のなかで、シリウスは彼女と満ちたりた時をすごした。
ずっと耐えて苦しんでいたが、ほんとはシリウスも彼女を求めていたのだと、グローリアにも、それで理解できたのだろう。シリウスの愛が口先だけではないことを。決して哀れみや同情ではなく、彼女自身に惹かれたのだと。
シリウスが去ってしばらくのち、彼女が子どもを生んだと聞いた。双子だ。シリウスによく似た男の子と、グローリアに似た女の子。一人はグローリアが、もう一人はシリウスが育てた。
けれど、グローリアが死ぬまで、シリウスは二度と彼女に会うことはなかった。
半神とは言え、人間に近い肉体しか持たないグローリア。
十二柱の騎士にみとられて、静かに逝った。
遺された騎士たちは、グローリアのあとを追うため、神の寿命をすてた。自身の神力をそれぞれ石に封じ、人となったのだ。
やがて、一人、また一人と天寿をまっとうした。シリウスも……。