六章 3

文字数 1,718文字



 その夜、おだやかな気分で、手をにぎりあって眠った。
 ひさしぶりに、シリウスの夢を見た。

 湖面に激突する寸前、シリウスはグローリアを抱きとめた。水中に没しながら、二人はシリウスの作る泡のシールドのなかで、胎児のように丸くなった。

『おれと行こう。おまえが苦しまなくていい場所へ。おまえが望むなら、この世の果てまででも』
『ええ……シリウス。あなたと行くわ』

 それで、おれたちは長い旅に出たんだったな。おまえがもう浅ましい生きかたをしなくてもいいよう。おれの光をわけあたえれば、おまえは人の精気を吸わなくても生きていけた。

 ほんとは二人なら、どんな荒野でもよかった。でも、世界のどこかに神狩りを逃れた半神たちの国があると聞いた。

 神が去ったあと、力の弱い翔べない神たちは、人間にその力を狙われ、争うようになり、果てには狩られた。

 そういう神の生き残りや半神たちの国。そこでなら、グローリアの魔力も効かないだろうと考えた。

 そこでなら、おれたちでも幸せになれると信じて……。

 だが、結果はどうだった?
 しょせん、半神はおれたちと同じ半端者。グローリアの魔力は半神の男にも効いた。
 半神たちはグローリアを恐れ、殺そうとした。

(そうだ! ここで、キャスケイドだ)

 半神たちの長をしていたハイドラ族のホーリーキャスケイド。
 一人だけ完全な神で、時空を飛翔することができた。彼は同じハイドラ族の少年が翔べるようになるまで、この世に残っていたのだ。

 その彼が、グローリアに懸想(けそう)した。彼女に害なす半神を次々と血祭りにあげた。半神たちの国は滅びた。たった一人の裏切り者によって。

(ハイドラが、キャスケイド。あの水蛇の生まれ変わり)

 半神の国が滅亡すると、シリウスたちは行くさきを失った。半神の国よりさらに東の奥深くへ逃げてもよかった。
 だが、そのころ、ちょうど変なウワサを聞いた。ユイラの王が狂ったというのだ。

 グローリアがいなくなったのちも、彼女の義理の兄は疾風怒濤(しっぷうどとう)の快進撃を続けていた。

 しかし、征服した国の捕虜のなかでもとくに美しい者を、生きたまま皮をはぎ、人前にさらしものにするのだとか。胎児を妊婦のお腹からひきずりだして、母親に食わせるのだとか。残忍な風評が絶えなかった。

「兄上はそんな人じゃないわ。冷酷に見えるけど、それは戦略として有効だからよ。意味もなく残酷なことをして喜ぶなんてありえない。ただのデマよ。ちょっと、たしかめに行くだけ……」

 血のつながらぬ兄のことを、グローリアは今も忘れられないようだった。

 兄のもとへ戻りたいというグローリアを、シリウスは止めることができなかった。それは、シリウスがある決意をしていたからだ。


 私は一生、おまえを抱かない。それが、おまえのために滅びたウラボロスの民への、私にできるゆいいつの償いだ。


 それは()しくも、ワレスがレリスに対して決意したのと同じ誓い。

 グローリアを抱かない。
 その決心が彼女を孤独にさせていることを、シリウスは知っていた。

 シリウスがどんなに言葉をつくして愛をささやいても、グローリアの心は不安にふるえている。愛のない愛を誰が信じられるだろうか。
 シリウスが彼女にふれないのは、彼女への愛が哀れみにすぎないからだと、グローリアは感じている。

 グローリアの気持ちが兄に戻るのではないか。そしてまた野心家の王の手先として、殺戮に手を染めるのではないか。
 そんな危惧をいだきながら、グローリアを止めることができない。

「大丈夫よ。遠くから見るだけ。わたし、あの人のもとへは帰らないわ。わたしがこの体であるかぎり、あの人はわたしを愛してはくれない。それは、わかってる」

 やはり、グローリアにとって、ほんとに愛しい男は、幼いころに優しくしてくれた兄だけなのかもしれない。

 それで、グローリアの要望を通すことになった。
 けれど、ユイラの王を探しに行く必要はなかった。半神たちの国は、前々からユイラ王の狙うところだった。瓦解したその国へ乗りこむべく、むこうからやってきてくれた。

 キャスケイドの力を借りて、ユイラの軍隊から逃げることはできた。だが、シリウスも感じた。王は以前の王ではなくなっていた。
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