二章 3

文字数 2,179文字

 *


 この女を殺さなければ、もっとたくさんの命が失われる。愛しい者たちの血が流れる。
 シリウスには確信があった。

 ふたたび、シリウスが剣をかまえたとき、テントの外で喚声があがった。

「チェンジャーだ!」
「こいつ、青貝の実を食べやがったんだ」
「さわると腕が腐るぞ」

 チェンジャーならば即刻、殺さなければならない。

 シリウスは急ぎ、テントを出た。
 さわいでいるのは村の男たちではない。青いマントは宮殿の兵士だ。カルサスのほかに、まだ昨日の生き残りがいたのだと考え、シリウスは喜んだ。が、それはすぐに恐怖に変わる。

「リアック!」
「シリウス。やっぱり来たぜ。おれの力がいるだろ?」

 リアックと彼の部下だ。

「なぜ来た! 今すぐ城へ帰れ!」

 なんとしても彼らにグローリアを見せてはいけない。その前に帰らせなければ、カルサスの二の舞になる——

 だが、遅かった。
 シリウスの背後で衣ずれの音がした。と思うと、リアックたちの目がぼんやりしてくる。目には見えない何かに急速に捕らわれ、あやつられていくかのように、よろめき、ふるえ、しだいに紅潮してくる。

「残念ね。彼らはもう、わたしを見てしまった」

 シリウスは唇をかみしめた。まだハルベルトの血で赤くぬれた剣を高くかかげる。
 その剣の刀身には、文字の形に切れこみがあり、シリウスが剣をふると風がまきおこる。特殊な剣の形状により起こる風に、シリウスの思念波をのせるのだ。

 リアックたちは風にというより、シリウスの念の力に吹きとばされ、気を失った。リアックも、グローリアも、うつろな流浪民の男たちも。
 あたりに立っているのは、シリウスだけだ。

 シリウスはリアックや兵士たちを片腕に一人ずつ抱え、城門まで何度か往復した。門番に彼らをあずけ、かたく命じる。

「今後、彼らを門から出してはならぬ。これは非常任隊長としての命令だ」

 そのあとふたたび、流浪民の村に戻った。そのときには、グローリアの姿はなかった。どこかのテントにもぐりこんだのだろうか? まだ遠くへは行っていないはず。

 シリウスは目を閉じ、精神の視野をひろげていった。周囲のあらゆるものが透明になっていく。シリウスの体から光が発し、その光にさらされたものが清水のように澄んでいく感覚だ。

(……いない。この村には。村の外へ出たか?)

 もっと透過の輪をひろげる。人間の足で行ける範囲は、とっくにこえている。それでも、どこにも、グローリアの姿はなかった。

「そんな、バカな」

 いったい、どこへ行けるというのだ。この短時間に。

 シリウスはうろたえた。だが、事実は変わらない。何度たしかめても、グローリアは見つからない。彼女は消えてしまった。


 *


 動揺したシリウスが、ともかくウラボロスに帰ると、そこでも問題が起きていた。意識をとりもどしたリアックたちが、門番に外出をこばまれて、こともあろうにクリュメルに直談判していたのだ。

「ですから、チェンジャーがいたのです。我々はそれを始末しようと。シリウスがジャマしたのです。我々を行かせてください!」

 必死の表情で訴えている。

(それほどまでに会いたいか。嘘をついてまで。近衛兵のおまえが任務をさぼって城外へ出たことでさえ、規律違反なんだぞ)

 シリウスは広間へ入ると、リアックのとなりにひざまずいた。

「チェンジャーは私が責任をもって始末いたしました。あの地には、ほかに変化した者はおりません」

 まだ幼い子どもだった。空腹に耐えかねて青貝の実を食べてしまったのだろう。髪は老人のように白くなり、腕は異様にねじれてコウモリの羽のようになりかけていた。

 チェンジャー。
 つまり、変化した者だ。
 毒素の強いものを食べたり、塩の砂漠の毒に長時間さらされると起こる。

 人間が似ても似つかぬ化け物になり、母や父、友人たちを襲う。ひどい場合はチェンジャーがふれただけで、ほかの人間まで熱病にさせ、生きながら腐らせ、やがては自分自身とけていく。
 治す方法はない。見つけたら抹殺するしか処置はなかった。

「殺害し、青貝の森に埋めました」
「ならばよい。両人ともさがれ」

 クリュメルに宣告されても、リアックは険しい眼差しで、シリウスをにらむ。そこには今朝までの友情と親愛はない。彼は別人になってしまった。

「ひとりじめするつもりだな!」

 王の面前もはばからず、シリウスにつかみかかってくる。

「くそッ! そうはさせるか!」
「よさないか。リアック」

 クリュメルがあきれかえっている。
「私の前で何事か? 侮辱しているのか?」

 クリュメルまで癇癪(かんしゃく)を起こしたので、やむをえず、シリウスはリアックを金縛りにした。

「リアックはチェンジャーを見て気が昂っているようです。なにとぞ寛大なご処置を」
「ゆるさなければ、私は寛大ではないことになるではないか。もういい。さがれ」

 不機嫌なクリュメルの前から、リアックをかかえて退去した。

「リアック。お願いだ。彼女のことは忘れてくれ。あれは魔性の女だ。彼女の力は、おまえも、このウラボロスも滅ぼす」

 しかし、リアックは眼差しで反抗していた。
 しかたなく、シリウスはリアックを兵舎に入れておいた。シリウスの金縛りがとけるまでには一両日かかる。そのあいだにグローリアを見つけ、始末するしかない。

 けれど、一日じゅう探しても、やはり、グローリアは見つからなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み