六章 5
文字数 2,430文字
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皇都には十年以上も住んでいたから、ワレスには知りあいが多い。
しかし、ほとんどは今では顔をあわせにくい相手ばかりだ。不義理をしてしまった里親。ほかの男と結婚して幸せになっている元愛人。ケンカ別れした友人……。
そのなかで、ゆいいつ今でも交流があるのは、ラ・ベル女侯爵ジョスリーヌ。
ルーシサスのことがあってヤケになっていたころ、ワレスをひろって、めんどうを見てくれた後見人であり、愛人でもある。砦に行ってからも、彼女とだけは手紙のやりとりをしていた。
彼女のもとをおとずれたのは、なつかしかったせいもある。が、もっと実質的な相談もあったからだ。ワレスの皇都にある屋敷の管理を彼女に任せていたのだ。その処理について話したかった。
レリスの故郷でともに暮らすのか、まだ決心はつかないが、屋敷がどうなっているのかは気になる。あの屋敷には特別な思い入れがある。以前に死んだマルゴが遺してくれたものだからだ。
ところがだ。十年ぶりにたずねた侯爵家で、ワレスは驚愕の事実を知ることになった。だいたい、屋敷に入ったときから、使用人たちのワレスを見る目がおかしかった。
「やあ、カムラン。ひさしぶりだな。あんたのご主人に会いたい」
ワレスの顔を知っている家令のカムランに声をかけると、彼は仰天したのち、なぜかソワソワした。
「……生きていらしたのですか。あなたは砦で亡くなったと聞きおよびましたが」
「ああ、それで門番のトマスも、馬丁のモーゼスも、おれを幽霊に会ったような目で見るのか。ジョスリーヌは居間か? まさか、まだ寝室ってことはないだろう?」
ワレスが勝手知ったる屋敷のなかを案内なしで歩こうとすると、カムランはあわてた。
「お待ちください。ただいま、主人に意向を聞いてまいりますので」
どうも、ワレスをジョスリーヌに会わせたくないようだ。かつての愛人がわがもの顔でやってきては困るというわけか。
ワレスはジョスリーヌのことは、ただの愛人というより、友人であり、姉であり、母でもある人だと思っていた。が、ジョスリーヌのほうはすっかり心変わりしているのかもしれない。
ムリもない。彼女と別れてから十年もたっているのだ。ジョスリーヌの制止をふりきって砦へ行き、あまつさえ死んだと知らせが来れば、誰だって愛想もつきるというものだ。
「心配しなくても、尾羽うちからして彼女に泣きつきに来たわけじゃない。別れのあいさつを告げたいんだ」
カムランがあわてたのはそういう理由ではないと、まもなくわかった。
吹きぬけのエントランスホールをかこむ二階の回廊で、一つの扉がひらき、少年が顔を出した。
「カムラン。どうかしたの? さっきから、さわがしいけど」
その少年のおもてをひとめ見て、ワレスは絶句した。どおりで、カムランが行かせまいとするはずだ。
少年は十二、三だろうか。貴族の子息みたいな服を着て、育ちのよい顔つきをしている。だが、見ひらいたそのその目は、ワレスと同じ、光を照りかえすミラーアイズだ。造作もワレスの顔から石膏で型をとったように瓜二つ。どこからどう見ても、少年時代のワレスだった。
「……母親は誰だ? まさか、ジョスリーヌじゃないだろうな?」
もしそうなら侯爵子息だ。今さら素性の知れない父親など出てきてもらっては迷惑だろう。しかし、カムランは首をふった。
「いえ、侯爵さまではありません」
「だよな。当時、ジョスが妊娠してたなら、おれが気づかなかったはずがない」
しかし、それは明らかに、ワレスの息子。十二、三という年を考えれば、ワレスが砦へ行く前には、もう生まれている計算になる。
ワレスは階段をあがり、少年を正面に見た。ますます似ている。髪の色だけが、ワレスと違っていた。明るいオレンジがかった赤毛だ。この髪の色には見おぼえが……。
「おまえの母は、カースティか?」
少年はワレスよりショックが大きかったようで、ぼうぜんとして話す余裕がない。
すると、少年の出てきた扉から、ひとかたまりになって数人が現れた。ジョスリーヌ、ジョスリーヌの息子ジュベール、ワレスの友人でもあるエミール。それに、やはり、カースティだ。
「ワレス……」
「ほんとに……? 生きて……」
死んだと思っていた男(砦で行方不明は死亡と同義)が生きていたのだ。おどろくのは当然だ。そこまではいい。
しかし、女たちは我に返ると、再会を喜ぶより、まず自分たちの腕のなかに、ワレスに酷似した少年をかばった。涙を流してワレスの首に抱きついてきてくれたのは、エミールだけだ。
「隊長! 生きてたんだね!」
「まあな」
よしよし。可愛いやつめ。
砦で、ワレスの部下であり愛人だったエミール。ハシェドのことで関係がこじれ、ジョスリーヌに後見を頼んで皇都へ送った。あのころは少年だったが、今では落ちついた栗色の髪の美青年になっている。左右の色の違う瞳も、とても魅力的だ。
「おれがそうかんたんに死ぬわけないだろう。しかし、おれの生還を喜んでくれるのは、おまえだけらしいな」
「そうじゃないけどさ」
息子を守るように抱きしめて、ワレスの視線から隠そうとしているカースティの背中に、ワレスは声をかけた。
「カースティ。あのころ、とつぜん消えたおまえを、おれはかなり心配したんだぞ。それがまさか、こういう理由だったとはな」
「ごめんなさい。あなたに言えば、おろせと言うに決まってたから」
「ああ。そこは賢明だった」
「怒っているの?」
「もちろん」
怒るのは当然じゃないだろうか。
カースティはワレスにとっては妹みたいなものだ。みなしご同士。死んだ妹の面影を彼女にかさねて、同居していた。彼女が望んだから、一、二度関係は持ったが、それだって、ワレスとしては本意ではなかった。そのあげくに、ワレスの意思に反して子どもを生むのは卑怯だ。
「おれの血は、おれで絶やすべきだった」
「でも、ワレス。わたしは家族が欲しかったのよ」
「男にだって選択の権利はあるだろう」
皇都には十年以上も住んでいたから、ワレスには知りあいが多い。
しかし、ほとんどは今では顔をあわせにくい相手ばかりだ。不義理をしてしまった里親。ほかの男と結婚して幸せになっている元愛人。ケンカ別れした友人……。
そのなかで、ゆいいつ今でも交流があるのは、ラ・ベル女侯爵ジョスリーヌ。
ルーシサスのことがあってヤケになっていたころ、ワレスをひろって、めんどうを見てくれた後見人であり、愛人でもある。砦に行ってからも、彼女とだけは手紙のやりとりをしていた。
彼女のもとをおとずれたのは、なつかしかったせいもある。が、もっと実質的な相談もあったからだ。ワレスの皇都にある屋敷の管理を彼女に任せていたのだ。その処理について話したかった。
レリスの故郷でともに暮らすのか、まだ決心はつかないが、屋敷がどうなっているのかは気になる。あの屋敷には特別な思い入れがある。以前に死んだマルゴが遺してくれたものだからだ。
ところがだ。十年ぶりにたずねた侯爵家で、ワレスは驚愕の事実を知ることになった。だいたい、屋敷に入ったときから、使用人たちのワレスを見る目がおかしかった。
「やあ、カムラン。ひさしぶりだな。あんたのご主人に会いたい」
ワレスの顔を知っている家令のカムランに声をかけると、彼は仰天したのち、なぜかソワソワした。
「……生きていらしたのですか。あなたは砦で亡くなったと聞きおよびましたが」
「ああ、それで門番のトマスも、馬丁のモーゼスも、おれを幽霊に会ったような目で見るのか。ジョスリーヌは居間か? まさか、まだ寝室ってことはないだろう?」
ワレスが勝手知ったる屋敷のなかを案内なしで歩こうとすると、カムランはあわてた。
「お待ちください。ただいま、主人に意向を聞いてまいりますので」
どうも、ワレスをジョスリーヌに会わせたくないようだ。かつての愛人がわがもの顔でやってきては困るというわけか。
ワレスはジョスリーヌのことは、ただの愛人というより、友人であり、姉であり、母でもある人だと思っていた。が、ジョスリーヌのほうはすっかり心変わりしているのかもしれない。
ムリもない。彼女と別れてから十年もたっているのだ。ジョスリーヌの制止をふりきって砦へ行き、あまつさえ死んだと知らせが来れば、誰だって愛想もつきるというものだ。
「心配しなくても、尾羽うちからして彼女に泣きつきに来たわけじゃない。別れのあいさつを告げたいんだ」
カムランがあわてたのはそういう理由ではないと、まもなくわかった。
吹きぬけのエントランスホールをかこむ二階の回廊で、一つの扉がひらき、少年が顔を出した。
「カムラン。どうかしたの? さっきから、さわがしいけど」
その少年のおもてをひとめ見て、ワレスは絶句した。どおりで、カムランが行かせまいとするはずだ。
少年は十二、三だろうか。貴族の子息みたいな服を着て、育ちのよい顔つきをしている。だが、見ひらいたそのその目は、ワレスと同じ、光を照りかえすミラーアイズだ。造作もワレスの顔から石膏で型をとったように瓜二つ。どこからどう見ても、少年時代のワレスだった。
「……母親は誰だ? まさか、ジョスリーヌじゃないだろうな?」
もしそうなら侯爵子息だ。今さら素性の知れない父親など出てきてもらっては迷惑だろう。しかし、カムランは首をふった。
「いえ、侯爵さまではありません」
「だよな。当時、ジョスが妊娠してたなら、おれが気づかなかったはずがない」
しかし、それは明らかに、ワレスの息子。十二、三という年を考えれば、ワレスが砦へ行く前には、もう生まれている計算になる。
ワレスは階段をあがり、少年を正面に見た。ますます似ている。髪の色だけが、ワレスと違っていた。明るいオレンジがかった赤毛だ。この髪の色には見おぼえが……。
「おまえの母は、カースティか?」
少年はワレスよりショックが大きかったようで、ぼうぜんとして話す余裕がない。
すると、少年の出てきた扉から、ひとかたまりになって数人が現れた。ジョスリーヌ、ジョスリーヌの息子ジュベール、ワレスの友人でもあるエミール。それに、やはり、カースティだ。
「ワレス……」
「ほんとに……? 生きて……」
死んだと思っていた男(砦で行方不明は死亡と同義)が生きていたのだ。おどろくのは当然だ。そこまではいい。
しかし、女たちは我に返ると、再会を喜ぶより、まず自分たちの腕のなかに、ワレスに酷似した少年をかばった。涙を流してワレスの首に抱きついてきてくれたのは、エミールだけだ。
「隊長! 生きてたんだね!」
「まあな」
よしよし。可愛いやつめ。
砦で、ワレスの部下であり愛人だったエミール。ハシェドのことで関係がこじれ、ジョスリーヌに後見を頼んで皇都へ送った。あのころは少年だったが、今では落ちついた栗色の髪の美青年になっている。左右の色の違う瞳も、とても魅力的だ。
「おれがそうかんたんに死ぬわけないだろう。しかし、おれの生還を喜んでくれるのは、おまえだけらしいな」
「そうじゃないけどさ」
息子を守るように抱きしめて、ワレスの視線から隠そうとしているカースティの背中に、ワレスは声をかけた。
「カースティ。あのころ、とつぜん消えたおまえを、おれはかなり心配したんだぞ。それがまさか、こういう理由だったとはな」
「ごめんなさい。あなたに言えば、おろせと言うに決まってたから」
「ああ。そこは賢明だった」
「怒っているの?」
「もちろん」
怒るのは当然じゃないだろうか。
カースティはワレスにとっては妹みたいなものだ。みなしご同士。死んだ妹の面影を彼女にかさねて、同居していた。彼女が望んだから、一、二度関係は持ったが、それだって、ワレスとしては本意ではなかった。そのあげくに、ワレスの意思に反して子どもを生むのは卑怯だ。
「おれの血は、おれで絶やすべきだった」
「でも、ワレス。わたしは家族が欲しかったのよ」
「男にだって選択の権利はあるだろう」