六章 4

文字数 1,900文字



 以前、グローリアと旅立つとき、一度だけユイラの王に会った。別れを告げたいと、グローリアが言ったからだ。
 まだ炎のあがるウラボロスに侵攻し、守護神のいなくなった国を掌握する、冷静沈着な王。

「グローリア! いないのか?」

 おびえる女しか残されていない城内で、グローリアを探しまわっていた。彼の思考が、シリウスには読みとれた。

(いないはずはない。バールゼフが帰ってきた。この近くにいる)

 あの女がわが軍の目にとまってはならぬ。その前に見つけなければ。

 そう思う一方で、王の心の片すみには、別の感情も見え隠れする。

(違う。私はただ会いたいのだ。どんなに憎んでも憎みきれない。ことさらに冷たくあたらなければ、やりきれない胸の痛み。父を殺してまで手に入れた王位は、グローリア……おまえを救いだしたい一心だった)

 王がバルコンの前に立ったとき、シリウスはグローリアを抱いて、彼の前におりた。

「兄上。わたし、行くわ。彼が光をくれたから」
「グローリア」
「さよなら。愛していたわ。ギリアン」

 愛しいグローリア。
 おまえがいなくて、なんのための世界だろう?
 血を噴くような胸の痛みをまぎらわすため、世界を欲しても、埋められない空虚がある。

「行くのか」

 私には、おまえを獣の道から救ってやることはできなかった。

「行くのなら、幸せになれ」

 あのとき、たしかに王はそう言った。
 あの男がかんたんに狂うとは思えない。彼は自制心のひじょうに強い男だ。グローリアを愛しながら、それでも彼女の魔力に抵抗し続けた。

 しかし、ふたたび、あいまみえた彼は、もはや別人だった。魂の形が根本から違う。彼の魂は一年たらずで腐りはて、異形にさまがわりしていた。

 およそ人の精神性とは思えぬ強烈な臭気をまきちらす



 シリウスと旅立つ前の荒廃していたグローリアに、少し似ている。生きることに絶望しきった、疲れきった、()んだ魂。あれよりはるかに、ひずみは強かったが。

「何かに取り憑かれたな。あれはもう、おまえの兄ではない」

 グローリアは蒼白だった。
 彼女には心あたりがあったのだ。

「あいつだわ。わたし、あいつを知ってる……」
「いったい、あれはなんだ?」
「わたしが堕とされた処刑場。あそこにいたわ、あいつ……」

 グローリアの悪夢に、しばしば登場する地下の洞窟。
 チェンジャーに罪人を生きながら食わせるための処刑場。

「チェンジャーには人の心をあやつる力はない。外形は異常だが、もとは人間だから」

 グローリアは恐怖によどんだ目を、シリウスになげてきた。

「あいつは……ハーフゴッドなのよ。神の血に焼かれた者」

 濃すぎる神の血は人を焼く。
 チェンジャーよりはるかに

姿

で生まれる半神は少なくない。しかも、そういうものにかぎって、能力はとても高いのだ。奇形の半神は人間社会では、おおむね殺される。が、処分できずに幽閉されることも、ままあった。人々と隔絶されながら、邪神としてあがめられることも。

「あいつの目だったわ。お兄さまは、あいつに……」

 そこで、シリウスの夢は去った。
 目ざめたワレスは、全身にビッショリ汗をかいていた。

(あの腐敗した魂の形。あいつだ。おれたちの前にひんぱんに現れる魔王。あいつがおれやレリスを狙うのは、ぐうぜんではなかった)

 前世で何があったのか知らない。しかし、あいつは明らかに、シリウスやグローリアの生まれ変わりである、ワレスたちを標的にしている。

 シリウスはユイラ王に取り憑いた、あの魔神を滅することができなかったのか?
 五千年たった今でも、ああつはどこかで生きている?
 もしそうなら、なんという深い孤独だろう。

(さびしいから呼ぶのか? おれや、レリスを?)

 いや、相手は狂った魂を持つ、人ならざる者だ。さみしいなどという感情はないに決まっている。前世の因縁で、ワレスたちを憎んでいるだけだ。

 未来に急激に不安を感じた。
 あいつはもうあきらめてくれたのだろうか。あきらめていないのなら、いずれ必ずまた、ワレスたちはあいつと対峙する。半神の力を失ったワレスには、とうてい、あいつを倒すことができない。

(ハイドラが行方をくらましたのも、そのことと関係しているのか?)

 不安を押しかくしたまま故郷へ出発した。海路から川をさかのぼれば、皇都までは十日あまり。
 ジューダとはここでお別れだ。これから彼が手がけようという貿易業のために、最後に買い入れの手伝いをしてやることになった。

 その間、ワレスにもレリスにも、皇都には知友があったので、それぞれに旧知をたずねたのだが……。

 そこでまた、ワレスの身の上は、劇的に変化することになる。
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