五章 4

文字数 2,322文字

 *


 シリウスが城門につくと、扉はまちかかねたように内側からひらかれた。

「お帰りなさいませ。シリウスさま」

 出迎えるぺシェルはいくぶん顔色が悪い。
 このとき、シリウスがぺシェルの心を読んでいれば、グローリアの企みはその場で露見していた。が、シリウスは人の心を無断で読むことを自分に禁じている。

「私の帰りがよくわかったな」
「ずっと待ちわびておりました」
「ウラボロスに変事があったのだな?」

 ぺシェルはまた妙な顔をする。

「……めでたいことでございます」
「めでたい? あの鐘は祝いか?」
「じつは、ヴァージニアさまのご婚礼が決まったのです。国民にもおふれが出され、祝祭が行われます」
「婚礼? 姫はまだ九つだぞ」
「我々もおどろいております。しかし、これはクリュメルさまのご決断ゆえ」

 クリュメルのようすはこのところおかしかった。だが、それにしても、これはシリウスの予想に反していた。

 グローリアはウラボロスへ帰ってはこなかったのだろうか?
 てっきり彼女のせいで、もっと差し迫った危機がウラボロスにおとずれていると考えていたのだが。

「それで、相手は?」
「ユイラの第二王子とのことです」

 ユイラ……フェニックス信仰国だ。たしか、グローリアの生まれた国ではなかったか? やはり、彼女の差金かもしれない。

 考えるシリウスを、ぺシェルが先導する。

「ともかく、おいでください。城内で祝宴がございます。シリウスさまにもご正装いただき、ぜひともご出席くださいませとの陛下からの伝言です」
「わかった。行こう」

 クリュメルに会って事の真相をたしかめなければ。

 シリウスはぺシェルのあとについて、王宮への坂道をあがっていった。道行く街の人々の顔は、みんな晴れやかだ。通りは飾りつけられ、祭の仕度に大わらわだ。

「シリウスさま、バンザイ!」
「姫のご成婚だそうですね」
「いや、めでたい。この国も安泰です」

 口々に祝辞を述べる。

 まだ九つの少女を敵国に近い国に嫁がせるのは異様だ。
 だが、クリュメルは早くに両親を亡くしている。王族が兄妹二人しかいない。だからこそ、ヴァージニアの婚儀を思い立ったのかもしれない。

 王宮の表門の前には大きな酒樽(さかだる)が運びだされ、街の民にふるまわれていた。菓子や料理もならび、大勢の人が集まっている。

「シリウス。あんた、どこ行ってたんだよ」

 声のほうを見ると、酒樽から自分で酒をそそいで、すっかりできあがったルービンがいた。ルービンはよろけながら杯を手に、シリウスのほうへやってくる。

「おいおい。ルービン。大丈夫か?」
「あんたも飲むかい? シリウス」
「いや、私はいい」
「かたいこと言うなよ。それとも何か? おれの酒は飲めないって?」
「からみ上戸だな」
「おれはまだまだ行けますよーだ。あっ、そうですか。こんな下々の酒じゃ物足りないってんだろ? よーし、こいつを見ておどろけよ? ん? おどろくな? おろろけ……ま、いいや」

 ルービンがふところから出したのは、小さなガラスの瓶だ。トロリとした黄金色の液体が入っている。

「ナイショだぜ。酒蔵からくすねてきたんだ。ガラスだぜ、ガラス。絶対、上物だよな?」

 シリウスは瓶にぶらさがった木片の文字を見た。

「ゴッドフレッシュ。神酒だな」
「しん……なんだ、それ?」
「かつて神々のためにだけ造られた特別な酒だ。まだこんなものが残っていたのか」
「へえ。神さまのお酒か。そりゃスゴイ。ちょいと一杯やってみるか」

 ワクワクした顔つきで栓をぬく。シリウスはルービンの手を止めた。

「やめておけ。これは、おまえには飲めない」
「ええ? なんで?」
「神酒は人間には飲めないんだ。神の口にあわせたものだから。人が飲めば、狂い死ぬ」
「うへっ」

 あわてて、ルービンはその瓶を、シリウスの手につきつけた。

「あんたにやる」
「しかし、私はこれから王の御前に——」
「なんらよ。おれよ酒は飲めないのかよぉ」

 ろれつのまわらない口を子どもみたいにとがらせるので、シリウスは苦笑した。

「しかたないやつだ」

 シリウスは瓶を受けとり、黄金色の液体を口唇に流しこむ。炎のかたまりのような神酒は、シリウスでさえもほろ酔いにさせる。

「おお、いい飲みっぷり。もっと、もっと」
「かんべんしてくれ」
「神さまの酒は、神さまが飲まなくちゃな」

 むりやり飲まされて、瓶がカラになる。ちょっと、めまいがした。

「あれ? よろけてる?」
「神酒は、私にも、きつい」
「あんた、いいやつだなぁ。シリウス」

 ルービンの目は酔いのせいか、うるんでいた。

「シリウスさま。お早く」

 ぺシェルにうながされ、シリウスは王宮へ入った。ひかえの間で正装用の豪華な衣装に着替えさせられた。すそが長く、動きにくい。

「本日は祝いの席。帯剣はおひかえください」
「しかし……」
「あなたさまは、わが国の守護神。そのあなたが祝宴に剣を帯びていれば、相手国の使者がふるえあがります」
「そうか」

 シリウスはまさか国じゅうグルになって、彼をだまそうとしているとは思いもよらなかった。彼の愛するルービン。信頼するぺシェル。民たちはシリウス同様に踊らされているのだとしても。

 第一、さきほどの神酒が、シリウスから思考力を奪っていた。足がふらつき、立っていることもままならない。

 ぺシェルに手をひかれ、広間へむかう。中庭を通るとき、火喰鳥たちがさわいだ。

《シリウス。気をつけて!》
《来ちゃダメだ》
《殺されるよ! シリウス!》

 何……? なんだって?

 火喰鳥たちの声が頭のなかでグルグルまわる。
 広間に到着したとたん、シリウスはその場に倒れこんだ。

「やっぱりだまされたのね。他愛ない」

 王座にすわる人影が立ちあがる。

(誰……? グローリア?)
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