二章 6

文字数 2,274文字

 *


 焼け残ったテントのボロ布にくるみ、リアックがグローリアをつれ去るのを、シリウスは黙って見送るしかなかった。
 火の手がここまでまわってきたからだ。風向きはウラボロスの方向ではないが、青貝の木に燃えうつれば、毒の煙が街にまで充満する。火を消すことが最優先だ。

 シリウスには天候を変化させるほどの力がない。ペガサス神なら上空の雲を風で移動させ、雨を降らせることもできたが、シリウスにできるのは、せいぜい突風を生むこと。

 アリア湖にむかうと、竜巻を作った。大量の水をまきあげ、炎の上に雨を降らせる。何度もそれをくりかえし、ようやく火事を鎮圧することができた。

 そのあとは生き残った流浪民の救護だ。負傷した者たちの患部に手をあて、彼らの時間を少しだけ巻きもどす。

「わあっ、スゴイよ。もう痛くない」
「ありがとう。シリウスさま!」

 子どもたちの笑顔が胸に刺さる。神ではないシリウスが彼らにしてやれることは少ない。

(新しい都市を築けばいいのだが。流浪民に土地を開拓させ、自分たちの住む街を。しかし、そのためには石工や大工の教えが必要だ。クリュメルが容認するわけがない)

 この考えは、リアックにしか話したことがない。なんとかクリュメルを説得する方法を模索しているが、今のようすでは実現不可能だ。

 とにかく、できるかぎりの治療をしてまわった。歩くうちに、グローリアのテントの前に来る。テントも焼けていたが、完全に燃えつきてはいなかった。

 なかは、むろん無人だ。金貨や銀貨はなくなっていた。こげた土の上に、紙片の燃え残りを見つける。黒く紙が変色して、ほとんど文字は読めない。


 ——カ……ラス、到……。


 カ……ラス。カルバラスのことだろうか?

 動悸が激しくなる。
 なぜ、グローリアの手元にこんな手紙があったのか。

 立ちつくしていると、背後から声がした。

「おーい、シリウス。おれも治してくれぇ」

 ふりかえると、ルービンが立っていた。左肩に刀傷。かるい火傷もしている。

「よく無事だったな」
「せっかく街の住民になれるんだ。ここで死んでたまるかっての」
「いや。おれが言うのは、おまえはグローリアの魔力にやられていないからだ」

 ルービンは鼻の頭をしわめる。

「大の男が行列して、亡者みたいな顔してるの見りゃ、警戒するさ。変な感じがしたから、おれは近づいてない」
「いい判断力だ」
「それよか、早く治してくれぇ。痛いのなんのって、もう」
「さっきの子どものほうが我慢強かったぞ」

 シリウスは彼の傷に手をあてた。生き生きとしたルービンの陽気さは、シリウスの気分を明るくしてくれる。

「なあなあ、約束は? 早く兵士にしてくれよ」
「しょうがない。まだ働き口を見つけていないが、とりあえず、私の宿舎に居候するがいい」
「よっしゃ! そうこなくちゃ」

 承諾したのは、ルービンのためというより、自分のためだ。ルービンの明るさに救われたかったのだ。

 リアックも以前はそうだった。だが、愚かなことをした。いかにリアックが手塩にかけて育ててきた弟子であろうと、殺さなければならなかった。彼一人の命とウラボロスを天秤にかければ、どちらが大切かは明白だった。

(リアックはグローリアを布で隠していった。おそらくは独占欲から。つまり、まだ遅くない。リアックのふいをつき、グローリアを始末しよう)

 シリウスが城門まで帰ると、王の使いが待っていた。至急、宮殿へ来いという。
 あれだけの火事だ。報告が欲しいのだろう。しかたあるまい。ほんとはグローリアがどうなっているのか、今すぐたしかめたいのだが。

 シリウスはルービンを大広間の外で待たせ、王の御前へ参上した。

 広間にはリアックも来ていた。王の勅命をかたり兵を用いたことの釈明をしている。その内容を聞いて、シリウスはショックを隠せなかった。

「シリウスが新しい街を建立するなどと言いだす前に、流浪民を一掃する必要があるとは、陛下とておっしゃっていたではありませんか! 私はそのとおりにしたまでです」

 知っていたのだ。
 クリュメルはとっくに、シリウスの考えを聞かされていた。リアックの口から……。

(私は……裏切られていた。親しい者たちに、ずいぶん前から)

 入ってきたシリウスを見て、さすがにクリュメルはバツが悪そうだ。が、リアックの弁明は止まらない。

「私の作戦が失敗したのは、シリウスのせいです。シリウスが私に竜犬をけしかけたからです」

 クリュメルは遠慮がちに答えを求めてくる。

「ほんとか? シリウス」

 シリウスはその問いを無視した。かわりに、
「ご存じだったのですか? 流浪民の開拓の件」

 問うと、クリュメルは渋い顔になる。

「これは重大なことだ。リアックから内密に相談を受けていた。私がゆるすと思ったのか? おまえの力がウラボロスから流出することを。おまえはこのウラボロスから出てはいけない。それが、ウラボロスから神を去らせた、おまえの存在の報いだ」

 報い……存在じたいが罪なのか。おれは生まれてきてはいけなかったと?

「私は——奴隷ではない!」

 すでに失われていたのかもしれない。シリウスの愛したウラボロスは。魔女の出現を待つまでもなく、とうの昔に。

 シリウスの激情が広間をかけぬけた。彫像は倒れ、花瓶は割れて花が散る。女官や兵士、重臣の口から悲鳴があがり、中庭の火喰鳥も激しく鳴いた。

 嵐が去ったとき、誰もがボサボサの髪で、ぽかんと口をあけていた。
 彼らはみんな、シリウスを犬だとでも思っていたのだろうか?
 なんでもできる、言うことを聞く、鎖につながれた犬にすぎないのだと?
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