九章 4
文字数 1,322文字
夢のあいまに、意識が時のはざまの深淵に戻る。
彼女は小さな子どもが人形を抱くように、ワレスの魂をかかえ、飽かず
「シ……ス。シ……ス。シ……ス。シ……ス。シ……ス……」
彼女の自我は完全に崩壊していた。死ぬことができないから生きているだけ。人間らしい感情は消え失せ、ほとんどの時間を無我にすごす。
ときおり狂気にかられ、封印の扉をやぶろうとあがき、彼女をここへ閉じこめたシリウスと魔王を呪う。
でも、今は少し違う。ワレスを抱きしめる彼女は、とても幸せそう。
「いっしょ……シ……ス。いっしょ」
哀れな女。愛しいグローリア。
彼女が望むなら、このまま、ワレスは永劫を時のない一瞬に生きるべきか。
それが、グローリアの真の願いなのか?
だが、心ではそう思っても、今の彼女を正視することはできない。ワレスの意識は時の流れのなかへ飛ぶ。
毎日、泣き続けるレリス。
生き生きと輝いていた以前の彼が嘘のようだ。肩を落とし、大海になげだされた木の葉のようにたよりない。仲間の励ましも耳に届かない。
彼はワレスを失った喪失感によって、気づき始めていた。自身のなかにひそむものの正体に。
そう。もう記憶も残らないほど遥かな昔、自分は罪を犯した。
逃れられぬ古い罪。
何度やりなおして、今度こそ、シリウスと幸せになろうとしても、結ばれることをゆるさぬ運命がある。逃げたから……最初に逃げたから、何もかもがねじれ、まがってしまった。
でも、ほかにどうしたらよかったんだろう? こうするしかなかったはずだ。だって、わたしだって、愛されたかった。
フェニックスの血。強すぎた神の血——
(ほんとにそうなのか? おまえが魔王なのか? レリス。今でも泣きくずれる姿を見れば、愛しさがつのる。この思いは、あってはならないものだったと?)
レリスとグローリア。
レリスを愛しいと思うことは、それだけでグローリアを裏切ることだ。レリスがグローリアの転生の肉体を奪い、際限ない孤独と狂気のなかに、彼女をつきおとしたのだとしたら。
ふいに目の前に、ウィルの幻が立った。
『今度はどっちを選ぶの? 自分の愛のために僕を見殺しにしたように、今度も殺すの? 過去に愛した人を。今の愛をとるの?』
やめてくれ。この状況で責められるのは、心底きつい。たのむから、そっとしといてくれ。
『ムリだよ。僕はあなたの良心だから』
ああ、そういうことか。愛を成就させるためには、良心を殺すしかないんだな。
答えはハッキリしている。
良心で嘘をついても、感情には嘘をつけない。
おれは、レリスを愛してる。
彼がかつての魔王だとしても? (イエス)
グローリアを見すててでも? (イエス)
ウィルの幻は悲しげな瞳で落ちていく。
次に現れたのは、シリウスだ。
「冷静になるんだ。ワレサレス。おまえはまだ忘れていることがある」
忘れている? むしろすべて忘れてしまいたい。こんな化け物に体じゅうなでまわされてたんじゃ、おれの頭も早晩、狂う。あんたの愛した女だろう? あんたが代わってくれ。
シリウスは吐息をついて、指さす。
「あれを見ろ。すべての解決方法だ」
ワレスの意識は、深くシリウスの記憶に沈んでいった。