二章 5

文字数 2,401文字

 *


 三方から放たれた火は、またたくまに村を包む。
 むろん、リアックの指示だ。

「火事だ!」
「助けてくれー!」

 火に追われ、風下に逃げてくる流浪民を、リアックはかたっぱしから切りすてた。

「男は全員殺せ! 女は生け捕りだ。いいか? これは流浪民の一掃だ!」

 兵士たちにはそう言いくるめてある。が、狙いはグローリア一人だ。

「隊長、

がいました!」

 報告に来たのは、ホリディンだ。昨日、リアックとともにグローリアを目撃した兵士の一人である。いつもは融通のきかないきまじめな男だが、今日は進んでリアックの作戦に加担している。

「どこだ?」
「こっちです。しかし、約束ですよ? 彼女を捕らえたら、必ず、私にも……」
「わかってる」

 腹立たしいが、今は一人でも多くの味方が必要だ。シリウスがこのまま見すごすはずがない。炎を見れば、まもなく来るだろう。その前に昨日の女を手に入れておかなければ。

 リアックはホリディンについていった。右往左往する流浪民を切りふせながら進むと、彼女を中心にして男たちがこっちへむかってくる。

「その女を渡せ」
「誰が渡すか!」

 いずれ盗賊か、罪人だ。剣やナイフをぬいて、とびかかってくる。

 リアックも応戦した。
 あたりは激しい戦闘になった。血と剣戟(けんげき)。とびかう怒号。悲鳴。殺戮(さつりく)の嵐——

 このようすを、グローリアは一人離れ、見守った。自分のせいで殺しあいが起こることはめずらしくない。事がおさまるのを待ち、勝ったほうについていくたけだ。

「あら、こんなところにお花」

 貧弱な雑木の根元に小さな白い花を見つけて、グローリアは嬉しくなった。今朝は夢見が悪いので、こんな些細(ささい)なことでも気が晴れる。

「汚れた大地で、けんめいに生きているのね。可愛い子」

 花は好き。花や鳥は、わたしを蔑まない。

 今朝の夢が一瞬、暗く心をよぎった。
 グローリアは首をふり、つとめてそのことを考えまいとする。

 ふとそのとき、何かがものすごい速さで近づいてくることに気づいた。一つや二つではない。
 グローリアは顔をあげ、気配の迫る方向を見る。森の端から巨大な白と黒の獣が現れた。竜犬だ。十頭あまりいる。
 切りあう男たちには目もくれず、竜犬はグローリアに襲いかかってきた。


 *


 シリウスが竜犬に追いついたとき、そこは地獄絵図だった。人と人、人と竜犬、竜犬と竜犬が血みどろになって殺しあっている。

《あなたたち、どうしたっていうの? そこをどきなさい。その女はハルベルトのかたきよ?》
《彼女は殺させない!》
《気でも狂ったの?》

 数頭の竜犬とワンダが牙をむきあっている。オスの竜犬たちは、しゃがんでおびえるグローリアを背後にかばっていた。

 周囲には、すでに何頭もの竜犬が倒れている。いつまでも子犬のように人なつこかったアレグザンドル。おとなしく可憐なマルグリーダ。ワンダの妹ゲランも、喉笛をかみきられて死んでいる。

(私の愛したものたちが、死んでいく……)

 シリウスは怒りを持って、グローリアを見つめた。
 グローリアはおびえながらも、シリウスを認めて、かすかに笑った。彼女は知っているのだ。自分のかよわさが、オスたちをなおさら刺激するのだと。

(きさまだけは、ゆるさない)

 シリウスは剣をぬき、風を起こした。
 突風が人間を吹きとばし、死体は宙に舞う。竜犬でさえ地面に伏せ、風に耐えることしかできなくなる。その巨躯もしだいに浮きあがり、かたわらのテントに激突する。

 風がやんだとき、意識を保っているのは、シリウスと竜犬だけだった。

《シリウス! 君も彼女を殺そうとするのか?》
「ああ」
《では、君も敵だ!》

 白鱗のカイザーが空中を飛ぶように弧を描く。
 シリウスはカイザーの真下にすべりこみ、その勢いで巨体の喉から下腹まで切り裂いた。カイザーは跳躍の途中で落下する。

 間髪入れず、次々、竜犬がとびかかってきた。
 前後左右にかこまれると、いかにシリウスでも油断できない。ひたすら戦神のように刃を走らせる。かたい鱗を裂く重い手ごたえ。熱い血しぶき。

 歯向かうすべての竜犬が地に落ちたとき、さすがのシリウスも息を切らしていた。返り血がシリウスの全身をずぶぬれにしている。髪のさき、鼻のさき、あごのさき、手指のさき……いたるところから血のしずくがしたたりおちる。

《シリウス……》

 ワンダが仲間の血にぬれたシリウスの指をなめる。

《ごめんなさい。わたしたち、行くわ。残りの仲間を集めて、どこか遠くへ》

 ワンダはかけていった。

(ハルベルト、カイザー……みんな愛していたのに)

 シリウスの内から激情は去っていた。ただ虚しいほどの悲しみがあるだけだ。

 血に染まる剣をさげ、シリウスはグローリアに歩みよった。グローリアは気絶している。肉体はただの女だ。

 昨日、彼女を逃がしたばかりに、今日はこれだけの犠牲が出た。彼女を生かしておけば、このさきも雪崩(なだれ)のように犠牲の輪がひろがる。

(気高く美しいグローリア。世界を滅ぼす魔女)

 シリウスは彼女を抱きおこした。のけぞった白い喉に刃を押しあてる。ぐっと、剣をにぎる手に力をこめる。刹那(せつな)——

 リアックがとびだしてきた。

「おまえが彼女を殺せば、おれも死ぬ!」

 もし、リアックがシリウスに切りかかっていれば、シリウスは本能的に彼を切りすてた。だが、リアックはそうしなかった。血に汚れた必死の形相で、涙さえ浮かべて、自分の胸に剣の切先をつきつけたのだ。自分の命を盾にして、愛する女を守ろうとする。その女が滅びの魔女であることを承知で。

 これが人間なのだ。
 シリウスには理解できるはずがない。

(おれは……人にはなれない)

 激しい徒労感に襲われて、シリウスの手から力がぬけた。
 リアックはそのすきに、シリウスの腕からグローリアをうばいとる。

 シリウスは剣をにぎりなおし、二人の上にふりあげた。だが、どうしても、その背に刃をおろすことはできなかった。
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