八章 5

文字数 2,214文字



「見よ。リモンダ」

 侯爵は厳しい声で、そんな妻に言い放つ。

「この継嗣(けいし)の資格たるミラーアイズを。イリアスの息子、ワレサレスだ。私は彼にラ・スターの爵位をゆずる」

「お待ちください。それでは、ライアンは……ライアンはどうなるのです? ライアンもあなたの息子ですよ」
「ライアンには嗣子(しし)の資格はない。何度言えばわかる。この五千年、一度も絶やされることのなかった、始祖シリウスの血。私の代で絶やすわけにはいかぬ」

 戸口にくずれる侯爵夫人は、完全に敗北者に見えた。だが、ワレスをにらむ目には燃えるような憎悪がある。まだ彼女はあきらめていない。ここでワレスとジュリアスが死ねば、彼女の息子にも爵位を継ぐチャンスがめぐってくる。

(ネイラはうまくやったろうか? さっきから妙にイヤな予感がする)

 これまでにも何度か、こんな経験があった。
 シリウスの血の証、時間軸を持つワレスだから、自分の未来に重大な変事が起こるとき、無意識にそれを見て、虫の知らせのように感知する。とくに砦で毎日が死の危険とのとなりあわせだったころ、ひんぱんに感じた。

 誰かの身に危険が迫っている。
 ワレスか? 侯爵か? ジュリアスか?

(おれを見て、奥方は憎悪をつのらせた。このまま終わりにはしないはずだ。おれも、ジュリアスも殺そうというなら、さっきの報告にきた男爵が、折り返し皇都に帰るだろう。ジュリアスの身が危ない)

 だが、なぜか、祖父のことも気になる。まさか、奥方が長年つれそった侯爵にまで手をかけるとは思えないのだが……。

(どうする? ワレス。おまえはまた選択をあやまるのか?)

 考えあぐねている時間はなかった。
 奥方はきびすを返すと、そのまま去っていった。あの男爵に命令をくだしに行く気だ。

(じいさんと、ジュリアス。おれがどっちにより重い責任があるかと言えば、それはもちろん、ジュリアスだ)

 ワレスは心を決めた。

「侯爵。じつは私には息子がいるのです。ジュリアスという名で十三になります。私の目を受け継ぎました。ぜひ、あなたに会っていただきたい。皇都に迎えに行くことをゆるしてくださいますか?」

 侯爵は少年のように目を輝かせた。

「おお、今日はなんという日だ。イリアスの息子が帰ってきてくれたばかりか、その子までいたとは。会いたい。すぐつれてきてくれ。そなたらが帰ってくるまでに、譲位の準備を整えておこう」

 嬉々として側近を呼ぶ侯爵と別れ、ワレスは皇都へ急いだ。船上で、ジュリアスを手放すことを、さんざんジョスリーヌにごねられたが、ワレスの気分はそれどころではない。

 勘は的中していた。
 ネイラはうまくやった。しかし、運に恵まれていなかった。ネイラが御者のあとをつけ、つきとめた敵のアジトには、オービエンス男爵の手下がいるだけで、肝心の人質はいなかった。

「アジトはデッドたちに見張らせている。オービエンス男爵の屋敷はジューダたちが。ネイラが手下を尾行して、そっちも見つけてくれたんだ。だが、その屋敷にも、ジュリアスらしき少年はいない。コーネリアのあの特技で、屋根裏から地下室まで調べてくれたから、まちがいない」

 ジューダの妻コーネリアは、もと軽業者だ。縄ぬけ、綱渡りもお手のもの。これまでも何度も諜報に役立ってくれた。彼女の調べなら確実だ。

 レリスの報告を聞いて、ワレスは暗然とした。オービエンス男爵のほかにも、侯爵夫人の手先がいるのだろうか?

「わかった。おれは脅迫状の指定場所へ行く」
「待て。ワレス。どう考えても、これはおまえを誘いだすための罠だ。そんなことをしても、ジュリアスは帰ってこないぞ」
「そんなことはわかってる。だが、何もしないよりはマシだ。こっちだって、黙って殺されてやる気はないからな。襲ってきたやつを捕まえ、ジュリアスの居場所を白状させれば——」

 いや、ダメだ。それでは、まにあわない。
 さっきから刻々と、あのイヤな予感が強くなる。

 そのとき、ふと思いだした。
 昨日話した、ユークリッド。彼は明らかに、ワレスがラ・スター家の一員であることを知っていた。ミラーアイズを持ち、彼の祖父に瓜二つであることを。
 それでいて、ワレスに何も告げずに逃げ帰ったのだ。あの態度はおかしい。

(おれが現れると父の立場が悪くなるからか? いや、それだけじゃない。脅迫状が届いたタイミングを考えれば、彼の口からオービエンス男爵か、そのまわりの者に、おれの存在が知れたことになる。ジュリアスは子どもだから、容貌が祖父に似ているかどうかまではわからない。ただ祖父の目に似た双眸の持ちぬしとして話題になるが、おれの場合は顔が侯爵の肖像そのものだ。ただの話の種にする内容じゃないな。おれやジュリアスを消そうとする企みに気づいていて、加担しているとしか思えない)

 ユークリッドの父ライアンが、この計画に一役買っているのかどうかまでは断言できない。が、ユークリッド自身が何かを知っているのは明白だ。

「ジョスリーヌ。ユークリッドはふだん、どこにいる? ラ・スターの城か?」
「皇都の屋敷よ。ライアンが侯爵と不仲なのよ。跡目の問題のせいだとは知らなかったけど」

「なるほど。ライアン叔父上は皇都暮らしか。おれをその屋敷の正門から入らせてくれないか? ジョス」
「……いいわ。わたくしの価値は、ラ・ベル侯爵ってことですものね。ジュリアスのためなら、船で往復して疲労しきった体を酷使するわよ」
「ありがとう」
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