四章 5

文字数 1,956文字

 *


 リアックが出ていったあと、グローリアはすぐにまた鍵をかけた。女官たちにジャマされたくない。もっとも、クリュメルはもうグローリアの魔力に抵抗することも、逃げだすこともできないが。

「たすけ……リウス……」

 クリュメルのうめき声を聞きながら、グローリアは眠れなかった。
 こんな夜は眠ると嫌な夢を見る。幼いころの、あの悪夢。

(わたしが人と違うことは、小さなころから気づいていた。わたしには他人にない力があったし、生まれてからずっと、ほとんどベッドですごすほど虚弱だった)

 小国が勢力を争う、ルーラ湖岸のフェニックス信仰国の一つ。ユイラの第二王子として、グローリアは生まれた。

 人生の最初の五年間は幸福だった。ちょっと風に吹かれただけで寝込んでしまったが、それでも幸せだった。
 父は彼を溺愛した。母の違う兄ギリアンや、多くの姉たちも、誰もが彼に優しかった。

 母は彼を生みおとして、すぐに亡くなったのだという。
 そんなところが哀れだったのか、父の側室たちも、彼のことを自分の子どものように可愛がった。

 フェニックスは魅惑の神だから。天馬のように荘厳で気高いというより、輝くように愛くるしい魅力に満ちあふれた神だった。
 子どものころのグローリアは、自分にその血が流れていることを知らなかったが。

 一年のほぼすべてをベッドに束縛されていても、グローリアは自国で起こることなら、なんでも知っていた。鳥や獣の耳目を借り、見聞きすることができた。

「ねえ、リージャ。今日は兄上がいらっしゃるよ。もうじき、お土産を持ってきてくださる。お出迎えの仕度をしたら?」
「まあ、なぜ、わかるのです?」
「だって、わかるよ」

 話しているところに、快活な足音がして、グローリアは侍女と顔を見あわせる。

「ほらね」
「不思議ですわねぇ」

 グローリアの母は父の王妃のなかでは、もっとも位の低い六番めの側女(そばめ)だった。兄ギリアンは正妃の第一子。世継ぎの王子だ。身分の高さがぜんぜん違うのだが、兄は忙しいあいまをぬって、ひんぱんに会いに来る。

「グローリア。いい子にしていたか?」

 この日も部屋にかけこんでくると、グローリアを抱きしめ、たくさんのキスをしてくれた。

 十歳違いの兄は、このころ十五。凛々しい顔立ちの健康そのものの兄は、グローリアの憧れだった。

「兄上。狩りに行ってらしたでしょ?」
「おや、誰かから聞いたのか? おまえをおどろかせてやろうと、狩小屋からまっすぐ帰ったのに。ほら、そなたに土産だ」
「わあ、可愛い。ありがとう。兄上」

 まだ子どもの三つ目ウサギだ。真っ青な毛のなかで、ピンク色の鼻をふんふんさせている。

「おまえのために生け捕りにしたのだ。おまえは動物が好きだから」
「うん。三つ目ウサギの青いのは初めて見たよ」
「そうだろう? 黄色はどこにでもいるからな」
「でも、ぼく……」
「うん? どうした?」
「ぼく、狩りは嫌い……」

 鳥の目を借りて初めて狩りを見たときは、長いこと寝ついてしまった。
 殺されるとき、動物はみんな悲しい目をする。兄には聞こえないかもしれないが、精いっぱい助けを求めている。
 逃げきれなかったときの、あきらめにも似た絶望。
 そして、そのあとに厳然とやってくる命の喪失。
 その冷たい虚無の感覚が恐ろしい。

 遠くない日、自分もそうなるのだと、グローリアは知っていたから……。

 昨夜も父が王室の藥師と話していた。

「だめだと言うのか? あの子はたった五つだぞ」
「できるかぎりの手はつくしました。が、このままでは、いずれ近い日に……」
「死ぬと?」
「はっ……」

「なぜだ。体にいいという藥はすべてあたえ、治療をつくしてきた。それでも救えぬなら、きさまは詐欺師だ!」
「お言葉ながら、グローリアさまのお体は、人としての食物を受けつけられぬのです。お体のどこかが悪いというより、食が足りておられぬのだとしか考えられませぬ」

「なんとかならぬのか? グローリアは余にとって至宝の玉。まさに目に入れても痛くない寵児だ。あの子を失うなど、耐えられん」

「古来より、あのようなおかたはお弱きもの。やはり、ご出自が……」
「言うな。あれは余とキャメリアの子だ」

「十年も陛下にお仕えして、キャメリアさまの残されしお子は、グローリアさま、ただお一人。あのおかたがお授けになったのだというお言葉を信ずるほかにございませぬ。なればこそ、グローリアさまはあのようなお体にあらせられると……」
「なんと残酷な。これが神の御業か?」

 両手で頭をかかえる父の姿を見た。もうすぐ、グローリアは死ぬらしい。

「ねえ、兄上」
「うむ。なんだ?」
「ぼくが死んでも悲しまないでね。ぼく、父上にも、兄上にも愛されて、幸せだったよ」

 兄は凍りついたようになり、グローリアを見つめた。

 幸福だった、幼いとき。
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