その②

文字数 2,431文字

 日没が来た。園内は完全に暗くなった。
 一人取り残された綹羅は、両方の拳で地面を思いっきり叩いた。

 環が、自分の目の前で吹き飛ばされた。それを止めることができなかった。それだけではない、仲間と思っていたあの四人は、実はそうではなかったのだ。

 その事実が、彼の心を砕いた。

「どうして……。どうしてこんなことに…?」

 綹羅は原因を考えた。きっと、誰か何かに責任転嫁したかったのだろう。だが元をたどれば、綹羅が環をデートに誘ったところに行き着いてしまう。

「俺の……せい?」

 そう思いたくはない。だが、考えれば考えるほど、自分以外の誰かが悪者ではないという答えが見えてしまうのだ。『歌の守護者』の連中も、自分が環と一緒にここに来なければ動かなかっただろうし、それさえなければ百深たちの裏切りにも遭遇しなかった。

 涙も出ない。綹羅の心は完全に黒く染まってしまった。
 その時、一人の男が綹羅の側に立っていた。

「東雲綹羅と言ったな、若者よ?」

 その声は、低くそして落ち着きのある響き。綹羅に問いかけているが、返事を待たずに一方的に語る。

「お前は今、絶望に包まれている。自分の責任という、拒むことも忘れることのできない深い絶望にだ。だが、私が道を示してやろう」

 その人物は、今田だ。『太陽の眷属』に、綹羅を攻撃させなかったのは色部の指示ではなく、今田に作戦があったから。彼はプレリュードすら凌駕した綹羅の神通力と、神通力者としての実力に着目した。そして味方に引き入れる術を考え出したのだ。

「元の日常に戻るか? それもいい。だがな、そうした場合はきっと今よりも苦しい日々が待っている。簡単に想像できるだろう? 自分のせいで誰かが悲しんでしまったこと、それをいつも心のどこかに感じながら生きなければいけない。それは死ぬことよりも地獄だろう」

 綹羅は返事をしない。が、今田の声は綹羅の心の中まで響き渡っている。

「そこで、だ。我々のところに来い。絶望の先には必ず希望がある。それが血で染まっていると言うなら、自分も血に染まればいいのだ」

 その声はどこか魅力的で、思わず聞き入ってしまうほど。

「さあ綹羅…。環を救えなかったことは、キッカケに過ぎないと考えようではないか。ただ、お前が我らに味方するキッカケ…。彼女はその礎に過ぎないのだよ。よくある話だ、誰かの不幸で自分の人生が変わるのは。お前は今、分岐点に来ている。ここで強い選択肢を選ばなければいけない。それは我らと歩む未来だ。もう迷うことなどない。一人で苦しむこともない。行こうではないか…」

 この時の綹羅の精神状態は、動揺していて正常ではない。頭も混乱から立ち直れていない。

「俺の、未来…?」

 初めて相槌を打てた。すると今田は、

「お前がボサノバとプレリュードにしたことは、彼らはもう不問とするはずだ。私がお前を守ってやる。ここでは誰も私には逆らえない。だから心配することは一つもないんだよ。誰も襲ってこないし、誰からも責められることもない。負に染まれば心は、それだけで安定するんだ…。正では駄目だ、それは簡単に砕けてしまう。我ら神通力者は、社会の負…。ならば本来いるべきところは、表の日常ではない」
「っじ、じゃあどうすれば…?」

 それを聞いて、今田は瞬時に考える。綹羅の心は今、揺れている。あと一押しで決まるが、その一押しが欲しいのだ。そしてそれは、彼が安心できる方法なのだ。

「我らのところへ来るのだ。たったそれだけのことで、お前は罪の意識から逃げることができる。どうだ、他に聞いておきたいことはあるか…?」

 悪魔的な囁きに、綹羅は頷いてしまう。

「そうか。いいぞ、よくやった。迷いを断ち切って決断できる人間こそ、優秀だ。お前にはそれができた。では、行くぞ」

 そして今田は歩き出す。綹羅も黙ってついて行くのだった。

 綹羅の心が、完全に深い闇の中に堕ちた、まさにその瞬間だった。


 そして運命とは、どれほど残酷なものなのだろうか。

「おーい! こっちだ!」

 もう閉園間近。そんなギリギリのタイミングで、泰三はある人物を発見した。

「環! おい、大丈夫か!」

 気は失っているが、大した怪我をしているわけではない。すぐに茂みから救い出す。

「陵湖、何かないか!」

 勇宇が言うと陵湖は、ポケットに手を突っ込んだ。そして医療機器を別次元から持って来る。

「どれがいい?」
「そんな危なそうなものじゃなくて! 聴診器でもいいから、体に異常がないか調べてくれ!」

 言われた通りの品を出すと、絢嘉が耳にはめて、環の服の中にその先端を入れる。

「心臓は、動いてるよ!」

 ということは、環は生きている。それだけでも勇気が湧いて来る。

「よし! 運び出そう! この園からは今日はもうおさらばするんだ!」

 泰三と勇宇は環の体に肩を貸した。

「しかし、百深に果叶、遥と直希もいねえ…。どこに行ったんだ、アイツら?」
「直希は別に、いらないわ…。アイツと仲いい果叶もどうでも」
「そうじゃなくて、美織! 綹羅もいなくなったんだぞ! これが異常事態ということがわかんねえのかって!」

 揉めそうになった泰三と美織だったが、陵湖が二人をなだめる。

「とにかく、今日はもうトンズラでしょ! 私の父さんが経営するホテルに行きましょう! そこなら簡単な医療行為も行ってくれるわ!」
「それはありがたいね! じゃあ行こう!」

 絢嘉が先導し、六人は園内から抜け出た。

「りゅ………う……ら…く、ん…」

 環がそう、呟いた。それを泰三をはじめとする五人は拾えなかったが、彼女は確かに息をしている。確実に生きているのだ。

 人の運命は残酷なもの。環が生きている事実を綹羅が知れば、また違った結果だったかもしれない。
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