31 夢

文字数 2,367文字

 それは確かに、フォルクハルトは特別だろう。誰が見ても何かの可能性が秘められているとわかる。しかしあの気狂いの色魔が産み落としたとは信じられないほどに輝かしいその原石が、磨き終えた(のち)にどう化けているのかを考えることもまた、恐ろしいのだ。

 もちろん頭ではグレーデン公もわかっているつもりだった。フォルクハルトは王になるべく生まれ落ちたのだと。しかし、それでも内心は複雑だった。

 あの青年がいなければ自分が王配として権力を掌握できるはずだったという、そんな(よこしま)な思いが今なおグレーデン公の中では(くす)ぶり続けていることも否定しきれない。しかしあの青年を闇に葬ってでもその椅子が欲しいかとなると、それはそれで悩ましいから困るのだ。

 昨今の急激な情勢の変化はそんなグレーデン公の気持ちを何度も揺さぶった。

 果たして国王陛下はフォルクハルトを後継者と認めているのか、近頃ではそれさえもが怪しくなってきているようにグレーデン公は感じる。王妃が唐突にフォルクハルトを「我が子」と公言し始めたことも不可解な点だった。産み捨てるだけ産み捨ててその存在にこれまで見向きもしなかった女がなぜ唐突に、という思いがグレーデン公の中にはある。しかし、やはりわからないのは国王の胸の内だ。愛しいはずの王妃があれほどに心を痛めているというのに、それが仮に素振りだけだとしても、国王はフォルクハルトを決して(みやこ)に呼び戻そうとはしない。

 離宮では何かが起きている。グレーデン公にもわからない、何かだ。

 いずれにしても育ての親である王后と、産みの親である王妃。二人の母に挟まれたフォルクハルトの気持ちを(おもんばか)る時だけは、「可哀想に……」という哀れみだけにグレーデン公の心は占められてしまう。

 ……いや、あの青年の気の毒な点はもう一つあったか。

 一人で駒を並べることにも飽きてグレーデン公は立ち上がった。気晴らしに庭に出たところでアウレリアの姿を認めて何気なく近寄れば、物思いに耽る彼女は夫の気配に気付かず、あろうことか咲き誇る天竺葵(ゼラニエ)の花弁を容赦なく(むし)り取っていた。

 ここ数日のアウレリアは情緒が安定しない。普段がどれほど温厚であろうが、フォルクハルトが絡めばすぐにこれだ。勘弁してほしい。グレーデン公は嘆息とともに口を開いた。

「そのようなことをしたら美しさが台無しだ」

 声を掛けられて振り返ったアウレリアは、握っていた花弁を投げつけて怒った。

「花の?」

「もちろん君のだ」

「どうせ枯れたものとお思いでしょうに」

 グレーデン公は妻の腰に手を回し、その勢いで唇を奪った。さしたる抵抗もなく抱擁を受け入れた妻の体は、今も昔も変わらぬ瑞々しさで柔らかい。「やれやれ、君はいくつになっても乙女のままで私を苦悩させる」

「どうせ……!」と、アウレリアは何かに極まったように涙ぐんだ。「(わたくし)は母にはなれませんでしたわ」

 だからといってその持て余した母性のありったけを弟に注ぐのは間違っているぞと、グレーデン公は思うが言葉にはしなかった。言ったところで効果はないとわかっている。

「ヴァリースダはどうなっているかしら?」

 なるようになっているはずだ。グレーデン公はそれも言葉にはしなかった。

 かつてあの町は西ゴールのものだった。ガリア帝国の皇帝たちが湯治に訪れた記録も残る由緒ある保養地だ。西ゴールがそれを手放したのは東の連合王国が崩壊した混乱期。迫り来る騎馬民族の勢いに押されて、流石(さすが)の西ゴールも手を引かざるをえなかった。

 そしてその(のち)に興ったエリスブルグとロルトワルヌの二つの公国が、ヴァリースダの持つ伝統と価値を巡って幾度(いくたび)もの熾烈な抗争を繰り広げていく。

 戦禍に(さら)されたあの町は一度死んでいた。

 その荒廃した町を再興させたのは民の力だ。決して国の業績ではない。

 エリスブルグが東ガリアに併合され、ロルトワルヌが西ゴールに飲みこまれた今でも町は川を挟んで二つの国に切り離されているが、そうでありながらヴァリースダが町として一つであり続けることができるのも()(せい)の力だった。

 そこにあるのは境界人ならではの(たくま)しさだ。彼らは二つの国を(うま)い具合に利用してきた。その(したた)かさの中には、国の事情に惑わされない人々の矜持が確かなものとして(いき)()いている。

 町の外側に並ぶ二つの砦もその象徴といえるだろう。町を守るかのように屹立し、そうでありながらこの地の主権を主張して町全体を睥睨するあの巨人たちだが、しかしその実態はどうであろうかとグレーデン公としては苦笑を禁じえなかった。角度を変えれば二つの砦はそれ以上近付くことを拒まれているだけにも見えるのだ。ほかならぬその町の自治の前に、彼らは町への過干渉が許されない。

「しかし、西ゴールも愚かなことをしたものですね」

 アウレリアはグレーデン公の胸の中に顔を(うず)めたままで呟いた。それが本当に西の()(わざ)ならばと思いながらグレーデン公は頷いた。

「酒とはそういうものだ」

 エリスブルグ区の民家で酒に酔った西ゴール兵数名が刃傷事件を起こした。そもそもの事の発端だ。彼らはその家で死体を執拗なほど何度も何度も刺し(えぐ)り、最後には家に火を放ち、東ガリアを(ののし)る奇声を上げながら町中を走り回ったという。単に酒に酔っただけならそんなことにはなるまいとグレーデン公は思うが、真実はすでに闇の底だ。(すく)い上げたところですでにその価値を失っている。

 西に交戦の意思があるとする国王の言い分はあながち当てずっぽうでもない。彼らには移民問題に湧く国内の不満を戦争と言う形で外に向けたい思惑があるようだ。きな臭さの漂い始めた後継者問題も見過ごすことはできない。

 しかし、戦争を始めたい事情を抱えているのは東も同じだろう。国内に(くす)ぶり続ける反東ガリアの空気を払拭するには、やはりその視線を外に向けるのが手っ取り早い。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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