25 思案

文字数 2,381文字

 そう言って次にウドに向き直ったイザークの視線には、例えようのない重々しさがあった。「誰も見たことねえ風が吹く」

 その風はウドの目にも見えたように思う。しかし、それが誰に何をもたらすのかまでは、彼にもわからなかった。





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 イザークと別れたウドが山道を(ひた)(はし)っていた頃、フォルクハルト一行はエリスブルグ西端を流れるヴァリースダ川の中腹に到達していた。西に伸びていた街道は川に行き当たると向きを変え、そのまま上流を目指して北進する。目的の町に(いた)る終盤の道は多少の起伏が続き軽装では厳しい。それでも可能な限りの峠越えを避けて敷かれた街道は整備がよく行き届いていた。

 川を渡った先に広がるのはロルトワルヌ。西ゴール領だ。

 一つの地域を一つの川を挟んで二つの国が(にら)み合う、それこそがヴァリースダ最大の特徴だった。しかしこの地域は両国の緊張とは裏腹にいたって平和なものだと、雄大な川の流れを眺めつつフォルクハルトは苦笑した。

 この川を渡るのは容易(たやす)かろう。船着き場の(せき)は存在するだけで機能しているようには見えない。場合によっては漁師に扮し、あるいは夜の闇に紛れるだけでも簡単に国を越えることができそうだ。

 それでこその、ヴァリースダか。フォルクハルトは思った。

 ここは二つの国が拮抗することで生まれた緩衝地帯だ。国からの過度な束縛を受けることもなく、ある種の自由を市井(しせい)の人々が謳歌できる稀有な地域。それゆえの曖昧さがこの地の特色でもあるのだが、厳格で潔癖症な東ガリア国王はその風土をいたく嫌う。おそらく彼はこの地域を一刻も早く掌中に収め、東西の国の境を明確にしたいと考えているに違いなかった。

 とはいえ、国王の要求はヴァリースダを含めたロルトワルヌの全体にまで及ぶのだ。やりすぎの感は(ぬぐ)えまい──。

 物思いに沈んでいるうちに、いつしか街道は渓谷を進んでいた。眼下を流れるヴァリースダ川は白い飛沫(しぶき)を四方に飛ばし、急峻な地形に煽られながら激しい水音を(はじ)かせている。

 さてどうやって、これからの事を進めていこうか。

 真剣な気持ちで思案を始めて、すぐにフォルクハルトは首を振った。

──戦略を練っている時のあなた様はまるで、〈(フクス・)(ウント・)(ヴォルフ)〉に興じていた頃のように楽しそうですな。

 宮中の彼を知るものはきまってそう言う。確かにあの遊戯は面白い。確かに楽しい。

 当時の自分は誰に言わせても天才だった。

 しかし今では、そう言われるよう意識して努力を重ねた苦労のことを思うほどに苦々しい気持ちが湧き上がる。

 当時の自分のことを知ったらウドは卒倒するだろう。思ってフォルクハルトは自嘲した。

 記憶をたどれば少年期の自分は今以上に内気で気弱で軟弱で、そんな子供の前に〈狐と狼〉はある種の可能性を秘めて置かれてあった。あるいは、それは自身の存在を周囲に認めさせる唯一の手段であり、利用すべき道具でしかなかったのかもしれない。しかし全力で向き合っているうちに勝負の本当の面白さに気がつき、ますますこの遊戯にのめりこんでいったことも嘘ではない。あの頃のフォルクハルトは勝てることが嬉しく、そのためにする努力が何よりも楽しかった。

 しかし、それも〈狐と狼〉が持つ政治的な意味を知るまでのことだ。思うほどに皮肉めいた遊戯だとフォルクハルトは複雑な気分になる。今となっては手を出すこともない。ウドを相手にしたことさえなかった。

 そのくせ、代わりの(ブレット)は戦場という形でフォルクハルトの前に現れた。それは〈狐と狼〉よりも規模が大きく、より複雑かと思わせてその実は非常に単純な(たわむ)れだ。違いは一度失った(フィグア)が二度と蘇らないことだけで、しかしながら一つ一つが唯一無二の背景を背負う代え難いものという貴重さ、それでいて采配一つで呆気なく失われる(はかな)さを(あわ)せ持つ。

 それが、戦争だ。戦争とはそういうものだと理解しているつもりだった。これまでのフォルクハルトが〈狐と狼〉以上の慎重さをもって戦略を練り、満を持して事に臨んできたのもそのためだ。

 

、と判じられるのは心外だった。

「やはりロルトワルヌを攻め取ることになるでしょうか?」

 随行していた兵士に声をかけられ、フォルクハルトは()()の底から浮き上がった。

「それはあまり、良策とは思えませんよね……」

 正直なところを述べて首を振る。

「理由が弱すぎることは確かでしょうね」と、兵士も応じた。

「そうですね」フォルクハルトは呟いた。「火急に事を進めたいと思ったところで……」

 この国の体制はまだ盤石とは言い(がた)い。武力で抑えこまれ併合された国々にはまだ、東ガリアの専制を快く思わない数多くの不穏分子が(うごめ)いている。それらは上手く立ち回らねば西ゴールに呼応しかねない危険を(はら)む。

「しかし、だからといって話し合いで解決できるものでしょうかねえ?」

「…………」

 素朴な問いかけが刺さるように痛かった。「解決したいと思っています」

 少人数でエリスブルグに入るのは西ゴールを不用意に刺激しないためと、随行者たちには言い含めている。しかしながらそれはフォルクハルトの本心でもあり、そのすべてではない。

 刺客は確実に差し向けられると確信していた。過去に幾度も暗殺されかけたのだ。その(たび)に事を未然に防いできたウドがいない今こそ好機のはずだった。だからほんの少しの隙を見せればいい。

すぐにでも行動を起こす。

にとって最も都合のいい時期を見計らって、それは着実に行動に移される。

 おそらくはと、フォルクハルトは考えた。その暗殺の罪は西ゴールが被るのだ。気の毒にとは思うが、しかし、西にとっても悪い話ではない。そしてこれをもってガリアは火の海だ。緊張を保ち均衡してきたはずの二つの国がついに正面から衝突する。

 ……もっとも、と、フォルクハルトは溜息をついた。それで東が勝つとは限らないところがもどかしいのだが。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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