20 地下牢

文字数 2,330文字

 



 ダニエルは押しも引きもせず、単調な調子で問いかけた。

「話をすることは?」

「……難しいでしょう」

 なぜ? という言葉は()えて飲みこんだ。しばらく思案してから、言った。

「捕えることができたのは一人だけですか?」

 角度を変えて投げかけられた問いに城主は不機嫌な顔で(うなず)いた。その際に不注意からかダニエルの瞳を正視し、たじろいだ様子で視線を逸らす。隠したつもりかもしれないが内心の焦りは丸見えだ。しかしそうなることは特段不可解な反応ではない。

、なおさらだ。

 



 ダニエルは心の中で苦笑を漏らした。

 西ゴールの貴族であれば誰もがダニエルの

知っている。噂も知っているだろう。その身に降りかかった忌々しい呪いのことも。しかし彼らは本物のダニエルを知らない。王都でさえ生身のダニエルを見た者は皆無といっていい。

 したがってその証明もまた、難しい。

 もしもこの地に王族の(あかし)を持参しなければ、とダニエルは皮肉な気持ちになった。おそらくは誰一人としてダニエルを「本物」と認めず、相手にもしないだろう。証を持参したところで「本物」と信じたかはわからない。

 彼らが受け入れるのはその証であって、いつだって証の持ち主の方ではない。

 しかし不幸にも、ダニエルの身を明かすその証こそが人を獣へと豹変させるのだ。この証を前にある種の人間は、人の上に立つ者であればあるほど簡単に感情の(たが)を外し、滑稽なほど(おのれ)の欲に忠実になった。目の前の城主もそうだ。そして葛藤している。

 それでも彼が自制を続けていられるのは、

がまだ整っていないからだ。しかしそれも時間の問題かとダニエルは思った。

 そんな哀れな城主は、態度で示した答えを言葉でも補足した。

「しでかしたのは三人と特定されています。一人はその場で東ガリアの警備兵に殺害されました。死体は相手国にあるため検分はできておりません。一人は逃亡を図り今でも行方がわかりません。そして一人は逃亡の途中で捕縛し、この砦の地下牢です」

「その三人、間違いなく西ゴールの兵士なのですよね?」

「少なくとも地下の一人は。そして現在この城塞にいるはずの兵士があと二人、行方がわからなくなっています」

「…………」

 ダニエルは考えこむように顎をさすり、もう一度同じ問いかけをした。「地下の囚人と話をすることは?」

「無理です。見ればわかります」

「見ることはできるのですか?」

「何を見ても驚かない覚悟がおありなら」

「見せてください」

「どれほど禍々しいものでも?」

「構いません」

 念を押されて(うなず)き、ダニエルは城主に伴われ地下に降りた。途端に鼻を突いた異臭で真っ先に嘔吐(えず)いたのはタイスだ。確かに

()えていることはダニエルにもわかった。しかしその正体が何かについては、わかっていても考えたくはない。どちらにしてもタイスにこれは見せられまいとダニエルは後ろを振り返り、命じた。

「外で待っていてください、タイス」

「しかし」

「外へ!」

 そうダニエルが叱責に近い声を出した時だった。地を震わすような(うめ)き声にタイスは飛び上がった。

「さあ、タイス!」

 (うなが)されてタイスが転がるように走り去る姿をしかと見届け、ダニエルは先へと進んでいった。城主が呆れたような顔でダニエルを追いかける。

「平気なのですか?」

「もちろん、平気ではありません」

 ダニエルは眉一つ動かさなかった。まるで情の抜けたような淡白さだ。「しかし

。この不愉快な臭いも



「…………」

 気圧されたような城主の反応を軽く流し、ダニエルは視線を前へと向けた。そうこうしている(あいだ)も闇から響く咆哮は途切れ途切れに続き地を震わせた。

 それからどれほど進んだか。唐突に回廊は行き止まった。

「これは……?」

 それまで冷静に状況を受け止めていたダニエルも、その光景の前に思わず呼吸を忘れた。背後に立った城主が投げやりに応じる。

「薬かと」

 その声を聞き留め、ダニエルはその臭気と狂気の影に視線を固定した。

 なんと、哀れな。

 心を突いて出た感想があまりに陳腐なことに驚いたまま、ダニエルはじっと男を見下ろした。

 この様相ではすでに人間であるかさえ疑わしい。(うつ)ろな瞳、だらりと弛緩した頬、そして痙攣を繰り返す半開きの口から(したた)(よだれ)。そこにいたのは糞尿を垂れ流したまま(うずくま)り、そうかと思えば(おび)えたようにびくりと背中を跳ね()らせ、あるいは唐突に猛々(たけだけ)しく立ち上がるや絶望に(さいな)まれた叫び声を上げて石の壁を掻き(むし)る、

。爪はすべて()がれてしまったのか、黒ずんだ血と鮮血とが重なるように指先を染め上げていた。しかもよくよく見ればそこにあるのは肉ではい。骨だ。

「東ガリアに飲まされたのですか?」

「なんとも言えません。飲んでから橋を渡ったのか、橋を渡ってから飲んだのか。しかし量を越えて飲んだことは間違いないでしょう」……それを誰かが意図したにせよ、そうでないにせよ。

 その答えを聞いたダニエルはしばらく押し黙り、薄明りの中で狂気に溺れて呻吟する男を眺めた。それでもやがて意を決すると、きっぱりとした口調で城主に命じた。

「この男を死なせてはなりませんよ、絶対に。それなりの手当てはしているんでしょうね?」

「…………」

「していないのですね? これでもまだ、手札(ラ・マ)としてなら使えるかもしれないのですよ?」

 残酷なことを言っている自覚はダニエルにもあった。しかしそのように命じるほかはないのも事実なのだ。仮に今後どれほど親切な治療を受けたとしても、この手の薬で精神を(おか)された者を元に戻すことは現代の医術では不可能だ。

 それこそ神の奇跡でも、起こらぬ限り。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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