15 指令
文字数 2,381文字
するとすぐにウドの言葉を遮 り、フォルクハルは不愉快そうに顔を歪めた。配下の者を死なせた責任を問われ、痛いところを突かれたと気付き慌てたのだ。肩書がどれほど立派でもこの若者はまだ青い。のらりくらりと躱 すことができず、まるで子供がするのと同じ身勝手な論理を展開していった。
「守ってくれなどと、頼んだ覚えはありません!」
こうなればフォルクハルトもウドの手の中だ。心の防御が揺らいだ隙に付けこみ畳みかけた。
「頼もうが断ろうが、あなた様はこの軍の大将に据えられているのです。大将が倒れれば戦場では
「…………」
「ですから、無鉄砲に切りこんでいくことは金輪際やめてください。無駄にしなくていい命を無駄にします。あなた様は、ここにいる我々全員の命に責任のあるお立場なのです。自覚を持ってください」
「…………」
理詰めで諭されたフォルクハルトはしばらくの間、不機嫌な顔でウドを睨 みつけていた。その無言の時間に彼の中でどのような葛藤があったかは推し量りようもない。しかしやがて、フォルクハルトは諦めたような顔で寂しそうに呟いた。
「それならいつ、誰が、私を殺してくれるというのです」
「…………」
それに対し、今度はウドが応じられずに口を噤 む番だった。
この時のフォルクハルトのそれは、彼がウドに対して初めて見せた弱音でもあった。しかし、ウドはそれをすかさず掬 い上げることができなかったのだ。痛恨の失敗だったと今でも後悔している。それでも、
「……わかった」
と、またしばらくの間 を置いてからフォルクハルトは口を開いてくれた。「確かに私には責任がある。今後は気を遣う。
「ええ、そうしてください」
安堵の気持ちで言い返したウドは、少し経ってから
なにぶん、自死を選ばないだけフォルクハルトは燻 ぶる
まあ、
頑 なに戦死にこだわり続けるフォルクハルトを見守りながら、ウドはこれまで何度苦笑を漏らしたかわからない。
しかもこの一件から以降は傍 から見て険悪としか思えないほどの頻度と激しさで二人の意見が衝突していくことになるわけで、ウドにとっては気苦労を抱える呻 吟 の日々だった。王太子の起こした理不尽な癇癪のせいでこれまで何度解雇を言い渡されたか。それでもウドはフォルクハルトにしつこく食らいついた。使える手は全部使って、これまでのウドはフォルクハルトを手懐けるために全力を注いできた。
そしてようやくの今がある。どうにかここまで辿 り着いた。
感慨に耽 っていたウドは、そういえばと思い不意に顔を上げた。フォルクハルトが傭兵の遺族に対して「せめて一時金くらい支給できないのか」と言いだしたのは、あの最初の衝突後すぐのことではなかったか。結局それは何か月もかけて王都とやり取りを繰り返したにもかかわらず叶わぬまま終わってしまったわけなのだが、それを巡ってまたしてもフォルクハルトの子供じみた八つ当たりを受け、ウドはウドで大人 気 ない応対をしたものだから最後にはただの喧嘩になり……そうだ、あろうことかフォルクハルトが城を抜け出して行方を眩 ませてしまったのが、あの時だ。
廃教会で聖母像を前に蹲 る冷え切ったフォルクハルトを見つけた時、ウドは彼を死なせて責任を問われる恐怖よりも、彼を失うことそのものへの恐怖を感じて戦慄し、その気持ちの変化に対して誰よりも自分が驚いたことを覚えている。
人誑しめとウドは笑った。俺もすっかり誑しこまれてしまったというわけか。
「まったく、冗談じゃない」
呟きながらウドは立ち上がり外套を羽織った。それから目の前に立ち尽くしたままの男に向かって言った。
「私は王太子をすぐ追いかける。そう王都のやつらには伝えてほしい。問題は何も起こらない。……その答えで、満足か?」
無言で頷き立ち去る男の背を見つめ、ウドは舌打ちをした。
まったく、冗談じゃない。
そして吐き捨てた。
「せっかくここまで手塩にかけてあの王子様を丸く育ててきたんだ。俺の矜持にかけても、こんなところでむざむざと死なせてなるものか」
3
すぐにでも降り出しそうなほど重苦しい雲が頭上を覆っていた。まるでこの先待ち構える己 の運命を暗示しているかのようだ、とは言い過ぎだろうか。フォルクハルトはそんな取り留めもないことを考えながら早朝の使者を迎え入れていた。
その手には一通の命令書。
内容に関してすぐにでも懸念を表明してやりたい気持ちになっていたのだが、堪 えた。迂闊なことを口にすれば面倒事になるぞと直感が告げたのだ。
表情の一つにも気を配らねば足元を掬 われかねない。その場の主導権を握りたければなおのこと、感情的になっては致命的だ。フォルクハルトは強いて仮面のような無表情を装い、その仮面の下でまじまじと紙面を読み返した。眼光鋭く探したのは偽造の痕跡だ。
できることなら偽物であってほしいと、本音のところでも思っていた。
しかし文末の署名は間違いなく国王の手によるもので、使われている紙も封蝋も確かに王室の使う特注品だった。フォルクハルトの目が耄碌したのでなければ、この書面に疑念を挟む余地はどこにもない。
宮廷から届いた正式な命令書なのだ、これは。
「守ってくれなどと、頼んだ覚えはありません!」
こうなればフォルクハルトもウドの手の中だ。心の防御が揺らいだ隙に付けこみ畳みかけた。
「頼もうが断ろうが、あなた様はこの軍の大将に据えられているのです。大将が倒れれば戦場では
負け
です。したがって勝つことが求められている以上は、あなた様は戦場では守られる立場にいるほかはないのです」「…………」
「ですから、無鉄砲に切りこんでいくことは金輪際やめてください。無駄にしなくていい命を無駄にします。あなた様は、ここにいる我々全員の命に責任のあるお立場なのです。自覚を持ってください」
「…………」
理詰めで諭されたフォルクハルトはしばらくの間、不機嫌な顔でウドを
「それならいつ、誰が、私を殺してくれるというのです」
「…………」
それに対し、今度はウドが応じられずに口を
この時のフォルクハルトのそれは、彼がウドに対して初めて見せた弱音でもあった。しかし、ウドはそれをすかさず
「……わかった」
と、またしばらくの
悪かった
」「ええ、そうしてください」
安堵の気持ちで言い返したウドは、少し経ってから
はた
と気付くことになる。フォルクハルトから随分とぞんざいな物言いをされた、ということに。まだ希望はあるとその時ウドは思った。なにぶん、自死を選ばないだけフォルクハルトは
まし
なのだ。いや、この男はどれほど望もうともそれを選べない。その原因を追究されるわけにはいかないからだ。自死は二人の淑女
の間であの問題
を余計にややこしくすると、誰よりも彼自身が深く理解しているのだろう。賢すぎるのも問題だとウドは思うが、それが災いして死ねずにいるのは幸運なことだった。まあ、
まし
と言ってもその程度でしかないがな……。しかもこの一件から以降は
そしてようやくの今がある。どうにかここまで
感慨に
廃教会で聖母像を前に
人誑しめとウドは笑った。俺もすっかり誑しこまれてしまったというわけか。
「まったく、冗談じゃない」
呟きながらウドは立ち上がり外套を羽織った。それから目の前に立ち尽くしたままの男に向かって言った。
「私は王太子をすぐ追いかける。そう王都のやつらには伝えてほしい。問題は何も起こらない。……その答えで、満足か?」
無言で頷き立ち去る男の背を見つめ、ウドは舌打ちをした。
まったく、冗談じゃない。
そして吐き捨てた。
「せっかくここまで手塩にかけてあの王子様を丸く育ててきたんだ。俺の矜持にかけても、こんなところでむざむざと死なせてなるものか」
3
すぐにでも降り出しそうなほど重苦しい雲が頭上を覆っていた。まるでこの先待ち構える
その手には一通の命令書。
内容に関してすぐにでも懸念を表明してやりたい気持ちになっていたのだが、
表情の一つにも気を配らねば足元を
できることなら偽物であってほしいと、本音のところでも思っていた。
しかし文末の署名は間違いなく国王の手によるもので、使われている紙も封蝋も確かに王室の使う特注品だった。フォルクハルトの目が耄碌したのでなければ、この書面に疑念を挟む余地はどこにもない。
宮廷から届いた正式な命令書なのだ、これは。