49 暗がりの道

文字数 2,421文字

「紳士なんて生き物はこの世におりません!」

 タイスは金切り声で怒り続けた。彼女の小言はよくあることだが、今日はそれがいつになく異様に激しい。何か、あったのだろうか。(いぶか)るダニエルの前でタイスは断じた。

「男はみんな野蛮な獣です」

「しかし、私はこの通り子供ですし」

 現実には子供であるからと言って安泰ではないことを誰よりもダニエルは知っていたのだが、強いてそう言葉にしていた。しかしタイスもそこまで世間知らずではない。

「殿下、世の中には子供の方が好きだという殿方もいるのです」

「あの〈死神(ラ・モール)〉も、そうだと言うのですか?」

 ダニエルはからからと笑った。「そうだとしたら嬉しいですね」

「何を仰って……」

 絶句するタイスなど放っておいてダニエルは再び寝転がった。

──どちらにしてもどちららであっても結構です。

 相変わらずフォルクハルトの対応は素っ気ない。ダニエルを女と知ってもその態度を変えることはなかった。

 こんなことは初めてだ。

 最後の(くさび)はダニエルの性が秘され続けることなのだ。しかし例年であれば西ゴール王がそれを思わず漏らし、そして相手の男は自制を失う。ところがフォルクハルトは、あのままだ。

 自力でダニエルの正体に行き着いた男もフォルクハルトが初めてだった。だからなのか。彼が例外であり続けられるのは、だからなのだろうか。

 わからない。

 心の(うず)きを感じた気がしてダニエルは目を閉じた。

 浴槽から伸びた二の腕の太く逞しい様子が脳裏に浮かぶ。鍛え抜かれた腹筋、引き締まった太腿。数々の古傷。

 西ゴールの宮中に彼ほどの男がいるであろうか。綺麗に着飾って甘言を弄することしかしない宮中の貴族たちに、剣を持てと言ったところで様になるとは思えない。

 形ばかりの平和に溺れ性欲を貪るばかりの西ゴールの男たちは、あまりに物足りない。ずっとそう思ってきた。どうせ最後には蹂躙されると決まっているなら、相手はフォルクハルトのような男がいい。

 彼が欲しい。

 そこまで考えてダニエルは呻吟した。この子供の体が恨めしかった。




第六章 呪いの起源





1





 どうなってやがる。

 皿に盛られた蒸し豚にフォークを突き刺し、イザークは口をへの字に曲げた。炎の揺れる明かりに照らされた瞳が本来の青さを失い薄茶色に黒ずみ、不快さを反映してちらちらと揺れ動いている。

「嫉妬?」

 その様子に、目の前にいた部下が愉快そうに笑った。

「嫉妬?」

 イザークは言い返して鼻を鳴らした。「俺だって女にゃ困ってねぇよ」

「でも、ああいう上玉が転がりこむにゃ、俺たちゃ格が下すぎるだろ?」

「……へっ!」

 それでようやくイザークも笑う余裕を得た。傾けたジョッキ(ビアクルーク)の中はただの炭酸水だ。この街の温泉水で、それもまた町の名物だ。「(ちげ)ぇねえな」

「で、いっそのことそいつを麦酒(ビア)に替えたらいい」と、あっけらかんと部下は言った。「鬱憤を晴らすなら酒が一番さ」

 しかしその魅力ある提案にイザークは首を振り、黙って蒸し豚を口に放りこんだ。

 酒は飲まない主義なのだ。

 有事だろうが平時だろうが、酒と煙草、薬は絶対にやらないと決めていた。つまらない男だと過去には言われたこともある。しかしたまの女と博打で憂さを晴らして満足できるくらいでないといずれ身を滅ぼす、というのがイザークの持論なのだ。落ちるところまで落ちた人間なら嫌というほど見てきた。

 そもそもこの家業に身を置いている間は平時なんてありゃしねえ。

 武器を手に立ちはだかる殺意だけが敵ではないということも、傭兵になるよりも前からすでに身をもって学んでいる。生き残るためには危険を(あらかじ)め遠ざけておくことが肝要で、いざという時に判断力と行動力を鈍らせる誘惑物は忌避すべきなのだ。

「……あれは、西ゴールの女だったか」

 部下の呟きにイザークは肉を咀嚼しながら(うなず)いた。

 ヴァリースダの町に辿り着いたのはつい一刻ほど前のことだった。ウドの到着よりも丸一日遅れだ。イザークにはイザークなりの仕事があり、街に着いてからも事前に部下を使って調べていた気がかりな情報を搔き集めるなど慌ただしい時間を過ごしたのち、一息ついたところでようやく飯でも食うかとなった。しかし、

「ここの名物は蒸し豚だったな……」

 と、呟いたことが災いした。

「子豚を温泉の蒸気でふっくらと蒸し上げて、表面はカリッカリに焼き上げてるそうでさあ」

 すかさず、とばかりに舌舐めずりで応じた数人の部下を前に、呆れてイザークは言い返した。

「俺の金で食う気満々だな、おい」

「そりゃあ、もちろん!」

 嫌みを返したはずが全員に即答され、思わずイザークは声を立てた。酒は一滴も飲まないが食は存分に楽しむ(たち)で、美味(うま)いものを前にすればその気前の良さに拍車がかかる。そのことを誰もが知っているから、これなのだ。

 しかしイザークも悪い気はしないのだ。今は自由にできる金がある。もちろん貴族や商人たちのような贅沢はできないが。それに蓄財をするもしないも、今は選べる自由がこの身にはある。昔に比べれば雲泥の好待遇だ。

「ならず(もん)が大挙して押しかけても迷惑だろうからな。店は適当に分散しろよ」と金を放り投げ、自分は気の置けない部下の一人を伴い、以前から気になっていた店を訪れることにした。

 相手は当然のようにイザークをからかった。「

?」

「突っこんだことは訊くんじゃねえよ」

 イザークは笑う。「俺が死人だってことは知ってるだろが?」

 しかし相手は(ひる)まない。

「生前のあんたは謎が多すぎてね。まあ、やたらと詳しいのはヴァリースダのことだけじゃないが……」

「…………」そうだな。

 声にならない言葉を口の中で飲みこみ、イザークは店の扉を開けた。ウドとすれ違ったのはその時だ。あろうことか見知らぬ女と一緒だった。

「!」

 驚き絶句するイザークに向けて、相手は表情の読み取りづらい漆黒の瞳に何かを揺らした。だが、無言であの男は立ち去った。

──くそ、何だったんだ!
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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