11 蠢く陰謀
文字数 2,320文字
イザークもそう思ってきたからこそ、今でもあの光景が忘れられないのだろう。弓矢の飛び交う戦場で彼の死体を抱きしめ、虚 ろな視線で天を仰 いでいた王太子の姿が。フォルクハルトはあの時、「違う」と声を震わせていた。「違う」と、そう何度も呟 き、若き未来の君主は傭兵の死を嘆き心から後悔の思いを滲 ませていた。
あの時に俺は、不覚にも思っちまったんだよなあ……。
感慨に耽 りながら目を開け、イザークは天井を見上げた。もちろんそこにあるのはただの暗闇だ。
不覚にも眠りこんでいたことに気付いて自分を叱責した。微 かな気配に気付いたのはその時だ。寝転がった体勢から慌てて体を起こすと、収まりのつかない不快な気分が湧き上がり表情が歪んだ。胃の辺りを軽くさすると途端に死体を抱えるフォルクハルトの姿が脳裏に浮かび、泡沫のように弾けて消えていった。
なんだってまた、今になってそんな昔の話を思い出したんだ……?
溜息を零 そうとしたら反射的に欠伸 になった。咄嗟に口元へ伸ばした手をそのまま上に回すと、イザークは頭を掻きながら周囲をぐるりと見回した。目が慣れてくれば薄明りに室内の輪郭が辛うじて浮かび上がり、同時に夜明けにはまだ早いことを知らせている。窓を開けると少し強めの風が湿った涼を運んできた。天気はどうやら下り坂であるらしく、このまま待ったところで朝日は拝めそうにない。
「夜明けの前に跪く灰猫、か」
呟 くと妙な気分が心を支配した。〈灰 猫 〉は先代から託され自らを長 とする傭兵団の名称だ。最初の一人がどのような意図をもってそう名付けたかは知るよしもないが、今になってみればそこに仕組まれた因縁を感じなくもない不気味さがある。
伝説に残る灰猫は出自のはっきりとしない、人々の記憶に根付いた御 伽 話のようなものだ。そのため聖母シオの足元に蹲 る予言の猫と同一視される一方で、その説を疑問視する声もまた相当に大きいとくる。なにしろ予言の猫の容姿はいかなる神話も伝承も何一つ言及してこなかったにもかかわらず、曙光の王の猫は灰色の毛並みを持つと明言されるのだから、起源が異なるとした方が自然なのだ。
「まあ、だからってどうってこともないんだがな……」
立ち上がると、イザークはそのまま兵舎の外に出た。
曙光の王、あるいは金色 の王。
歴史の下に埋没していたこの物語を表の世界に引き戻したのは西ゴールのマクシミリアンだった。
黒い人々の中に生まれた黄金の髪を持つ異質の帝王は、灰猫にその正当性を認められるや頭角を現し、黒い人々と戦い、黒い人々の王を次々と倒して世界を統一したという。マクシミリアンはおそらく、自らの正当性を〈曙光の王〉伝説に準 えたかったのだ。あの当時からガリアの東半分は黒目黒髪の民族に支配され、対する西のマクシミリアン本人は金髪碧眼の王だった。
──ガリアを統一する者は黄金の髪を持つ。すなわち、我である。
かつての大王はそのように主張したわけだ。こじつけでも何 でも、まだまだ迷信が罷 り通った時代だ。東征の言い分としては上手く出来ていた。
しかしそんなマクシミリアンは志 半 ばで命を落とし、西ゴールによる東征もそこで終わりを告げる。マクシミリアンは所詮、その程度の男でしかなかった。
要するに、あの男は最後まで
大事なのは猫のその色だ。なぜ白でも黒でもなく、灰色なのか。それを考えるだけで物事はとても単純化するとイザークは思っていた。結局のところ、その色は
灰猫とはつまり民意、あるいは神意を象徴したものだ。状況に応じて右にも左にも傾き、白にも黒にもなる大いなる意思。
簡単な話、時代がマクシミリアンに栄冠を授けなかった。彼の野望が呆気なく潰 えたのはそれだけのこと。そしてその栄冠は、今──。
「団長!」
外に出るなり呼び止められ、イザークは立ち止まった。「どんな塩梅 だ?」
「女房に炊きつけられたグレーデン公がしぶしぶオーレンドルフ伯と会ったようだ」
「で?」
「
「……だろうさ」
イザークは鼻で笑った。こんな状況であの男をわざわざ王都に呼び戻すなどあるはずがない。ウドの下 に届いたあの招待状は偽物だったのだ。あの男はまんまと騙されたに違いなかった。
そのことに、あのご貴族様が気付くのはいつになるかね?
イザークはまんじりと考えた。王都に辿 り着いてしまってからでは事はかなり厄介になる。しかし外野の方がすでに掠 めたのはもっと別の懸念だったのだ。
「……で、どう思う?」
イザークは疑念を振り払い、背後に控える男に問いかけた。「あのご貴族様がヴァリースダに来るまで何日かかると思うか?」
「最短距離で休まず、万全の状態の馬を飛ばすことができるなら、一日程度の遅れで間に合うと思うがな」
「馬か……」
イザークは考えこむように顎をしゃくった。「それならまあちょっくら、あのご貴族様に貸しでも作ってやるかねえ……」
呟きながら薄明りに揺れる遠くの影を見つめたイザークは、すぐさま皮肉るように口の端を持ち上げた。
「さあて、運命の使者のお出ましだぜ?」
携 えてきたものは王太子殿下の破滅か、それとも栄光か。どちらにしてもフォルクハルトにとって大きな意味を持つ知らせがこれからもたらされることをイザークは知っていた。
あの時に俺は、不覚にも思っちまったんだよなあ……。
感慨に
不覚にも眠りこんでいたことに気付いて自分を叱責した。
なんだってまた、今になってそんな昔の話を思い出したんだ……?
溜息を
「夜明けの前に跪く灰猫、か」
伝説に残る灰猫は出自のはっきりとしない、人々の記憶に根付いた
「まあ、だからってどうってこともないんだがな……」
立ち上がると、イザークはそのまま兵舎の外に出た。
曙光の王、あるいは
歴史の下に埋没していたこの物語を表の世界に引き戻したのは西ゴールのマクシミリアンだった。
黒い人々の中に生まれた黄金の髪を持つ異質の帝王は、灰猫にその正当性を認められるや頭角を現し、黒い人々と戦い、黒い人々の王を次々と倒して世界を統一したという。マクシミリアンはおそらく、自らの正当性を〈曙光の王〉伝説に
──ガリアを統一する者は黄金の髪を持つ。すなわち、我である。
かつての大王はそのように主張したわけだ。こじつけでも
しかしそんなマクシミリアンは
要するに、あの男は最後まで
灰猫を従えられなかった
のだ。大事なのは猫のその色だ。なぜ白でも黒でもなく、灰色なのか。それを考えるだけで物事はとても単純化するとイザークは思っていた。結局のところ、その色は
どちらでもない
。中間なのだ。灰猫とはつまり民意、あるいは神意を象徴したものだ。状況に応じて右にも左にも傾き、白にも黒にもなる大いなる意思。
簡単な話、時代がマクシミリアンに栄冠を授けなかった。彼の野望が呆気なく
「団長!」
外に出るなり呼び止められ、イザークは立ち止まった。「どんな
「女房に炊きつけられたグレーデン公がしぶしぶオーレンドルフ伯と会ったようだ」
「で?」
「
結婚式など予定していない
と、すげなく否定されたらしい」「……だろうさ」
イザークは鼻で笑った。こんな状況であの男をわざわざ王都に呼び戻すなどあるはずがない。ウドの
そのことに、あのご貴族様が気付くのはいつになるかね?
イザークはまんじりと考えた。王都に
結婚式の噂
を知ったのであれば、グレーデン公爵にせよ、オーレンドルフ伯爵にせよ、裏で糸を引いている方がその意味を察して
すぐの動きを見せるだろう。だからその点はイザークも心配していなかった。むしろこの瞬間、彼の心をそもそもあのご貴族様が
、それを偽物と見抜けなかっただと
?「……で、どう思う?」
イザークは疑念を振り払い、背後に控える男に問いかけた。「あのご貴族様がヴァリースダに来るまで何日かかると思うか?」
「最短距離で休まず、万全の状態の馬を飛ばすことができるなら、一日程度の遅れで間に合うと思うがな」
「馬か……」
イザークは考えこむように顎をしゃくった。「それならまあちょっくら、あのご貴族様に貸しでも作ってやるかねえ……」
呟きながら薄明りに揺れる遠くの影を見つめたイザークは、すぐさま皮肉るように口の端を持ち上げた。
「さあて、運命の使者のお出ましだぜ?」