43 書けない手紙

文字数 2,398文字

 人の中にも清と濁がある。濁を誤魔化し清を気取ったところで、その本性を変えることは決して叶わない。疑心を前にすれば本性を隠せなくなるのが人の(さが)ともいえる。それでも清くあり続けようとすれば外からの重圧はますます強くなり、そこで妥協して生きれば楽な反面、今度は心がじりじりと腐り落ちていくことになる。

 怒りを素直に表せるうちはまだ汚れていない証拠だ。ウドは思う。タイスはまだ、世界を知らない。

 そんな無知な女も、ようやく自分を待ち構える男の存在に気付いたようだった。身構えるように肩を反らし、馬を止めると険悪な表情を向けてきた。

「何か?」

 予想通りの反応だ。ウドは不敵に笑い、その黒い瞳でじっくりとタイスを見据えた。

 (フィグア)を先に動かし相手の動揺を誘うのも〈(フクス・)(ウント・)(ヴォルフ)〉の基本的な戦略だ。そうして自らの手の内を見せつけ相手の表情を(うかが)い、状況に応じて次の手を考える。

 タイスを前にしてウドは、()えての正面突破を選んでいた。

「あの王弟様は、随分と大胆なことをなさいましたね?」

「…………」

 そうして相手の放つ不審な表情を軽く受け止め、ウドは続けた。「単身乗りこんでくるなど狂気の沙汰です」

 すぐにタイスの表情が露骨なほどの不快さを表し(ゆが)んだ。ウドに言われずともわかっているはずだ。しかしタイスは反論せず押し黙り、相手の出方を(うかが)うことを選んだらしかった。もちろん、ここまでも想定内だ。ウドは構うことなく皮肉な笑みと鋭利な言葉を投げつけた。

「つまりは、あの子供は

使

というわけです」

「…………!」

 動揺が簡単に見て取れた。

 たわい無い。

 軽く鎌を掛けただけでこの(さま)かと、ウドは内心で侮蔑の感情を転がした。思いこみの激しい意固地な男とはまた別の意味で、多面的に想像力を働かせて生きている女は落としやすい。世間擦れをしていない女であればなおさらだ。思わせぶりに(こま)()れの情報を与えてやるだけで勝手に想像も(たくま)しく(おのれ)の内に物語を組み上げ、容易く相手の策に(はま)っていく。

 疑うということを知らない。

 秘め事を好む西の人間も実態はこの程度かと思いながら、ウドは畳みかけた。

「そうでなければ、辻褄が合いません」

「どういう意味ですか?」

 声を荒らげるタイスに、ウドは淡白な態度で応じた。「うちの領地に留まり続ければあの子供は確実に死ぬからです」

「!」

「だから、偽物なのです。元より殺すことが目的で遣わしたわけです」

「ダニエル様は本物です!」

 タイスは叫ぶように声を張り上げた。「それを偽物などと、不敬にも(ほど)がありますわ!」

「……ほう?」と、タイスの激高には応じず冷めた声でウドは言葉を返した。「あの紙切れのほか、彼の正体をどのように証明できるというのです。マクシミリアンの弟? 遥か昔の王様の弟君があんなに幼い子供ですと? このご時世に呪いを信じろと言うのですか?」

「あの方には聖母の加護があるのですわ」負けじとタイスは言い返した。「本当に!」

 なかなか悪くない反応だ。ウドはその様子を子細に眺めてから言った。「なぜそうも信じられるので?」

「この目で見てきましたもの!」

 対するタイスは肩を震わせた。仕えてきた主人を冒涜された怒りが全身にこみあげていた。

 まさかと、その様子を見たウドは思った。

 ダニエルという存在は、急ごしらえで作り上げたものではないというのか?

 それならばと次の手を思案するウドを憤然と睨みつけ、タイスは叫ぶような声を上げた。

「あの方は本当に歳を取らない。

でそのような体になった。ダニエル様は呪いと仰るけれども(わたくし)は……」

「……教会? 呪い?」

 ウドはタイスの言葉を遮り、馬の手綱を握りながらタイスを見上げた。「神に祈りをささげる場で呪われるとは、ずいぶんと興……」味深い話ですな。

 しかし、ウドがすべてを言い終えることはなかった。タイスが突然馬から降り、何事かと思う間もなくウドの視界に星が飛んだ。

 いきなりの平手打ちか。ウドは頬を押さえて苦笑した。これはきつい。

「信じていないなら、いないで結構です!」

 低く唸るその表情には、冷静さを取り戻しつつあることが垣間見えている。

 これはまずいとウドは無理にタイスの手首を掴み手元に引き寄せた。驚いた顔でタイスは抵抗し、逃げるように腕を引いたが、男の力の前に女の細い腕が勝てるはずもない。タイスを馬から引き剥がしたウドは、その華奢な体を転がし抑えつけた。

 恐怖の感情で言葉まで凍りつかせたタイスを見下ろし、ウドは素っ気ない態度で言葉を投げかけた。

「正直あの子供が本物でも偽物でも、私としてはどちらでもいいのです」

「なんですって?」

「あの子供はどちらにしても死ぬからです。先程申し上げました」

「嘘よ!」

「我らの王は以前よりロルトワルヌを求めておいでだ。あの子供を消せばいいなら、そうするのが簡単です。もはや王の返事など待たずと……」

「嘘だわ!」

 タイスは叫び、ウドの手を振りほどいた。「嘘よ!」

 この女はこのまま泣き出すのかもしれないとウドは覚悟し待ち構えた。中には泣けば男が(ひる)むと思って効果的にそれを使う女もいる。それならそれで、次の手を打たなければと思ったが、しかしウドの予想に反してタイスが泣くことはなかった。

「だったらどうして、あの場ですぐに殺さなかったのですか」

 蒼白な顔をウドに向け、タイスは声を震わせた。「ダニエル様は仰っていたわ。あなた方は少数の手勢で来た。戦争の意志はない。だから話し合いで解決できるって……」

「…………」

 本当にあの子供がそんなことを?

 予想していた中では最低の答えを前に、ウドは嘆息を漏らしながら身を引いた。

 この女は西ゴールの計略を何も知らないのだ。ダニエルのことも本物と思っている。

 



 期待が外れたことに驚くほど落胆した自分に気がつき、ウドは頭を掻いた。

 しかし、こりゃまいったぞ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み