48 死人
文字数 2,502文字
「そのようなこと、望んではいません!」
ダニエルは叫んだ。「そういう意味ではないのです」
「ではどういう意味ですか」
フォルクハルトは口を尖らせた。「私は武骨なものですからその手のきめ細やかさには自信がありません。私が何か失礼なことをし、そのことであなたが不愉快な思いをなさっているなら、どうぞはっきりと言葉にしてください」
「どうしてそう、意地の悪いことを言うのですか」
泣きそうなダニエルの声にはっと理性を取り戻し、フォルクハルトは狼狽 えた。当たり障りなく人と接してきたいつもの自分はどこに消えたのだ。
「失礼」
フォルクハルトは苦々しく呟き、首を振った。「ともあれ私が伝えたかったのは風呂の件と、それと、その……夕食は後でこの部屋に運ばせます。準備もありますから、先に風呂に行かれるか、後になさるか、それの確認に……」
「食事は!」
と、フォルクハルトの言葉をダニエルは強い口調で遮った。「どうぞご一緒させてください!」
「……は?」
耳を疑った。
「タイスは外します」と、続けて懇願するようにダニエルは言った。「できれば二人きりで、お願いします。部屋には誰もいない方が嬉しいです」
「何を言っているんですか」
フォルクハルトは困惑した。「西ではどうだか知りませんが、東では男女が個室で二人きりの食事をするというのは……」
「それは西でも同じ意味を持っています」
「? それでしたら……」
「でも私は
「…………」
これは何か、質 の悪い冗句なのだろうか。
断ればいいとフォルクハルトはすぐに思った。断れば済む話だ。この砦に来たばかりの彼女が駄々をこねたように、ただこう言えばよかった。
いやです!
しかしフォルクハルトは、それが言えなかった。
部屋を後 にしてとぼとぼと歩きながら、そうして深い嘆息とともに呟いた。「拷問だ」
しかし、
「おや、どうされましたかな?」
そういう時に限ってウドに見つかるのはどうしてなのかわからない。この男は嫌味なほど間が悪い。
「なんでもない」
フォルクハルトはむすっとした顔でウドを睨んだ。対するこの不遜な男は「ふむ」と軽く頷き、表情も変えることなくこう言った。
「これまで浮いた話の一つも出なかったのは、つまり、ああいうのが趣味だったわけですか」
「⁉」
目の前が壁だということも忘れて突進しそうになった。いつ? いつどこで察した? この男は千里眼でも備えているのか?
慌てて立ち止まり首を振り、フォルクハルトは表情を押し殺した。
「断じて、違う」
「否定なさらずとも結構です」
しかしウドは取り合わない。「道徳的な良し悪しはともあれ、性的志向というのは矯正のしようがありませんからな」
「ウド……」
「だって実際、どうなのですか。私なんかはタイスのあの胸はなかなかのものだと思いますがね」
「…………」
「あの芳醇な胸と張りのある尻 を前にしても、子供の方がいいのでしょう?」
「…………」
「まあ、あとは男がいいのか、女でも大丈夫なのかというところでしょうか?」
「違うと、言ったはずだが?」フォルクハルトの言葉には怒りと苛立ちが滲んだ。「それをなんだ、人を勝手に変質者のように……」
だが、強く否定できないところがもどかしいとも思った。本当にどうしてしまったのだ。まさか本当に、自分は生まれついての変質者だったのか?
「……ところで」と、フォルクハルトをからかうウドは、首を傾げながら興味なさそうに話題を変えた。「浴場で何かあったのですか?」
「何もない!」この男はどうしてこう、いつもいつもこちらの痛いところばかり突いて来るのだ。
しかしウドは、わざとらしく惚 けた声で応じた。「……そうですか。何やら騒がしかったと先程耳に挟んだものですから」
「…………」
フォルクハルトは口を閉ざし、探るような視線のウドから逃げるように歩き出した。目聡くて耳聡い。しかも意地が悪い。これ以上は付き合いきれないと思った。
だが、ウドはさも当然と言わんばかりにフォルクハルトを追いかけてきた。
「あれですか? 浴場であの殿下とご一緒なさったのですか?」
「してない!」
「あれ、そうですか」
と、つまらなそうな顔を向けてウドは言った。「裸の付き合いとか何とか適当に理由を付けて楽しんだらよろしいのに」
「もうその話はよせ」
「そうですか? 心配せずとも、周りには親子のようにしか見えませんよ?」
「…………」
親子か。いくらなんでもそれはあんまりだ。せいぜいが年の離れた兄と妹だろう。
フォルクハルトは苦笑しかけて、しかしすぐに笑いを引っこめた。
思い出したのだ。フォルクハルトの上の妹は、思春期が来るまでは平然と一緒の風呂に入ってきた。その際フォルクハルトの何を見たところで恥ずかしがったりはしなかった。兄の裸を嫌がりだしたのは、それこそ……。
どういうことだ?
あの恥じらいは紛れもなく乙女のものだ。
体が変わりゆく中で、女はようやく己と異なる異性の体を意識し始める。だが、あの少女はただの子供だ。仮にその奇跡が本当だとしても、彼女は子供なのだ。恥じらいを身に着けるほど精神は成熟してないはずだ。
あの少女にはまだ何か、秘密があるのかもしれないとフォルクハルトは考えた。しかしそこで何を考えたところで、この先待ち構える憂鬱を回避する方法はまるで思い浮かばなかった。
4
ダニエルはタイスの小言を聞き流しながら、ぼんやりと寝台に横たわり天井を見上げていた。
「二人きりで食事ですって?」タイスはしつこく声を荒らげている。「二人きりで!」
なりません! 今すぐ申し出を取り下げるべきです!
ダニエルは憤慨するタイスを見つめて笑った。
「でも、約束してしまいました」
「ですから!」
と、声を張り上げるタイスを制してダニエルは起き上がった。流れる金色の前髪を掻き上げて俯 く。「大丈夫です。あの方は紳士です」
ダニエルは叫んだ。「そういう意味ではないのです」
「ではどういう意味ですか」
フォルクハルトは口を尖らせた。「私は武骨なものですからその手のきめ細やかさには自信がありません。私が何か失礼なことをし、そのことであなたが不愉快な思いをなさっているなら、どうぞはっきりと言葉にしてください」
「どうしてそう、意地の悪いことを言うのですか」
泣きそうなダニエルの声にはっと理性を取り戻し、フォルクハルトは
「失礼」
フォルクハルトは苦々しく呟き、首を振った。「ともあれ私が伝えたかったのは風呂の件と、それと、その……夕食は後でこの部屋に運ばせます。準備もありますから、先に風呂に行かれるか、後になさるか、それの確認に……」
「食事は!」
と、フォルクハルトの言葉をダニエルは強い口調で遮った。「どうぞご一緒させてください!」
「……は?」
耳を疑った。
「タイスは外します」と、続けて懇願するようにダニエルは言った。「できれば二人きりで、お願いします。部屋には誰もいない方が嬉しいです」
「何を言っているんですか」
フォルクハルトは困惑した。「西ではどうだか知りませんが、東では男女が個室で二人きりの食事をするというのは……」
「それは西でも同じ意味を持っています」
「? それでしたら……」
「でも私は
王弟
です」と、ダニエルは言った。揚げ足を取られたとフォルクハルトが気付いた時には手遅れだった。「どちららであっても結構だとあなた様はおっしゃいました。でしたら私のことは王弟として、西ゴールの正式な使者として、そのように遇していただければ結構です」「…………」
これは何か、
断ればいいとフォルクハルトはすぐに思った。断れば済む話だ。この砦に来たばかりの彼女が駄々をこねたように、ただこう言えばよかった。
いやです!
しかしフォルクハルトは、それが言えなかった。
部屋を
しかし、
「おや、どうされましたかな?」
そういう時に限ってウドに見つかるのはどうしてなのかわからない。この男は嫌味なほど間が悪い。
「なんでもない」
フォルクハルトはむすっとした顔でウドを睨んだ。対するこの不遜な男は「ふむ」と軽く頷き、表情も変えることなくこう言った。
「これまで浮いた話の一つも出なかったのは、つまり、ああいうのが趣味だったわけですか」
「⁉」
目の前が壁だということも忘れて突進しそうになった。いつ? いつどこで察した? この男は千里眼でも備えているのか?
慌てて立ち止まり首を振り、フォルクハルトは表情を押し殺した。
「断じて、違う」
「否定なさらずとも結構です」
しかしウドは取り合わない。「道徳的な良し悪しはともあれ、性的志向というのは矯正のしようがありませんからな」
「ウド……」
「だって実際、どうなのですか。私なんかはタイスのあの胸はなかなかのものだと思いますがね」
「…………」
「あの芳醇な胸と張りのある
「…………」
「まあ、あとは男がいいのか、女でも大丈夫なのかというところでしょうか?」
「違うと、言ったはずだが?」フォルクハルトの言葉には怒りと苛立ちが滲んだ。「それをなんだ、人を勝手に変質者のように……」
だが、強く否定できないところがもどかしいとも思った。本当にどうしてしまったのだ。まさか本当に、自分は生まれついての変質者だったのか?
「……ところで」と、フォルクハルトをからかうウドは、首を傾げながら興味なさそうに話題を変えた。「浴場で何かあったのですか?」
「何もない!」この男はどうしてこう、いつもいつもこちらの痛いところばかり突いて来るのだ。
しかしウドは、わざとらしく
「…………」
フォルクハルトは口を閉ざし、探るような視線のウドから逃げるように歩き出した。目聡くて耳聡い。しかも意地が悪い。これ以上は付き合いきれないと思った。
だが、ウドはさも当然と言わんばかりにフォルクハルトを追いかけてきた。
「あれですか? 浴場であの殿下とご一緒なさったのですか?」
「してない!」
「あれ、そうですか」
と、つまらなそうな顔を向けてウドは言った。「裸の付き合いとか何とか適当に理由を付けて楽しんだらよろしいのに」
「もうその話はよせ」
「そうですか? 心配せずとも、周りには親子のようにしか見えませんよ?」
「…………」
親子か。いくらなんでもそれはあんまりだ。せいぜいが年の離れた兄と妹だろう。
フォルクハルトは苦笑しかけて、しかしすぐに笑いを引っこめた。
思い出したのだ。フォルクハルトの上の妹は、思春期が来るまでは平然と一緒の風呂に入ってきた。その際フォルクハルトの何を見たところで恥ずかしがったりはしなかった。兄の裸を嫌がりだしたのは、それこそ……。
どういうことだ?
あの恥じらいは紛れもなく乙女のものだ。
体が変わりゆく中で、女はようやく己と異なる異性の体を意識し始める。だが、あの少女はただの子供だ。仮にその奇跡が本当だとしても、彼女は子供なのだ。恥じらいを身に着けるほど精神は成熟してないはずだ。
あの少女にはまだ何か、秘密があるのかもしれないとフォルクハルトは考えた。しかしそこで何を考えたところで、この先待ち構える憂鬱を回避する方法はまるで思い浮かばなかった。
4
ダニエルはタイスの小言を聞き流しながら、ぼんやりと寝台に横たわり天井を見上げていた。
「二人きりで食事ですって?」タイスはしつこく声を荒らげている。「二人きりで!」
なりません! 今すぐ申し出を取り下げるべきです!
ダニエルは憤慨するタイスを見つめて笑った。
「でも、約束してしまいました」
「ですから!」
と、声を張り上げるタイスを制してダニエルは起き上がった。流れる金色の前髪を掻き上げて