16 大帝国の再興者
文字数 2,513文字
しかしそうなると次に疑わしいのは国王の正気だが、フォルクハルトはすぐにそれ以上の詮索は諦めた。無意味すぎる。
結婚式の招待状を凝視したウドも同じような気持ちだったのかもしれないと思い返すと、今頃になってあの男に対する憐憫の情が湧いてきた。
それも今となっては詮無い話だがと、溜息一つでフォルクハルトはゆっくりと紙面を折り畳み、目の前の使者を正面から見据えて表情を殺した。
感情の籠らない漆黒の瞳は時に威圧的になる。
その眼光に耐性がない使者はわずかに身動 ぎ、視線を逸らして俯 いた。その様子を眺めつつフォルクハルトは思案した。
命令の内容そのものは単純だ。ヴァリースダを含めたロルトワルヌ地方のすべてを西ゴールから取り上げろと、言わんとしていることはそれだけなのだ。
一見して暴挙に映るその命令は、今のこの国にそれだけの勢いがあることを同時に示してもいた。ここ数年で急激にその版図を広げ、文字通りガリアの東半分を支配するまでに成長したこの国だ。国の名を東ガリアと改めた今、隣接する西ゴール王国との緊張も大いに高まりつつあった。現実にも東ガリアは西ゴールの併合を本気で狙っている。事を起こすためのきっかけを窺 い続けてきたことは否定のしようがない。
ガリアの再統一。この地に生きる者すべてにとって悲願の大事業だ。
そして国家の頂点を極めた者ほどその夢を追いかけ、千年の栄華を誇った大帝国の再興者たらんと渇望してきた。これまでにも多くの偉人たちがその夢に名乗りを上げては道半 ばで潰 えてきたことをフォルクハルトも知らぬではない。東征中に命を落とした西ゴール王マクシミリアンなどもその例だ。為政者たちは皆一様に、その命を懸け散らしても惜しまぬほどの激しさと狂おしさとでその泡沫 の夢の前に熱中しては、敢 えなく果ててきたというわけだ。
だがその熱量の割にと、フォルクハルトは疑問にも思っていた。人々をこれほどまでに魅了する帝国のその実態はあまりにお粗末だ。なにしろガリアかゴールか、国の呼び名でさえ部族間の差異を克服できなかった国で、その中期においては南方にある海洋国家の冊 封 に甘んじ、末期においては帝位を巡る政争の末に東西に分裂、その時点で早くも「帝国」の名を失っている。
東側の連合王国は特に悲惨な末路を辿 った。山岳地域を治めたこの国は分裂後たった数年で瓦解し、呆気ないほどの速さで歴史の底へと沈んでしまっている。この国を滅亡に追いやったのは、その時代に大陸の中央に広がる荒れ地で遊牧を営んでいた騎馬民族だったというが、彼らがなぜ、というその侵攻の明確な背景は今なお多くの謎をこの地に残したままだった。ガリアの古くからの交易相手であった騎馬民族は長きにわたり、帝国と友好的な関係を続けてきたはずなのだ。
強大な指導者を得て領土を拡充するその一環でガリアに侵攻したという説、大陸の最東端にあった大国の迫害を受けて押し出される形で西進したという説、当時の情勢を巡る学説は大きく二つに割れる。文字を持たず記録の一切を残さなかった騎馬民族のことについては、生活も文化も政治も、その痕跡を見つけることさえ今となっては難しい。しかしいずれにしても、連合王国には彼ら騎馬民族の猛攻に耐えきるだけの体力がなかった。
成立した時からすでに様々な意味で弱小だった国だ。弱さの理由は地形に因 るところも大きい。
平坦な土地の少ない山がちなガリア東部は耕作地に恵まれず、農耕技術の未熟なその時代に人々はまだ狩猟や採集による不安定な生活を余儀なくされてきた。山の稜線を越えれば部落が分かれ、それぞれに地域に根付いた指導者がいる、当時のガリア東部はその程度の未開の世界だった。国家の実態も、部落ごとの指導者が緩く繋がり国王を補佐することで国としての形をどうにか成すというその程度のものでしかなく、農業国家として安定した生産性を誇る単一政権の西ゴール王国とは軍事力においても、政治力においても雲泥の差。結果から見れば有事を前にしてさえ一丸となって事に臨むことができなかった。
対する西ゴールは当時から強国だった。
しかし東ガリア崩壊の歴史は、その西ゴール王国の狡猾さをも後世の人間に提示してしまうのだ。彼らが再三の要請にも関わらず連合王国への援軍を渋り、夏から秋にかけて騎馬民族がガリア東部を我が物顔で蹂躙する様 を横目に見てなお、素知らぬふりで自国の防衛だけを固め続けた事実は覆しようがない。実際にも西ゴールが重い腰を上げ行動を起こしたのは冬の厳しさがガリア全土を吹き抜けてからだった。
もちろん西ゴールの歴史では、それを「敢えて冬を待った」と主張するのだが。しかし山岳地の冬を知らぬ騎馬民族たちが雪と食料の枯渇に苦しんだことも、それが原因で一気に弱体化したことも事実とはいえ、そんな西ゴールの詭弁に納得する東ガリア人などいるはずもない。
騎馬民族を駆逐した西ゴールが東ガリア人に救いの手を差し出さず、その惨状を前に国土併合を放棄したこともまた見逃すべきではないのだ。求心力のある指導者を一度に失い、戦禍に晒され荒れ果てたガリアの山間部では、その年の冬は餓死者、凍死者の数が戦争による犠牲者の数を上回ったという記録さえ残されている。
以来、救う者の現れなかった東の地は小国家が興っては消えるを繰り返す暗黒の時代に突入していく。その興亡の歴史の中には西ゴールによる介入が多く含まれることはいうまでもない。西ゴール人には一度は手放した東の地への未練があり、その一方で東ガリア人には、自分たちを一度は見捨てた西への怨念が深い。
実際のところ東ガリア人は、西ゴール人以上に祖国再統一への強い憧憬を抱く民族なのだ。崩壊の歴史がそのように彼らを駆り立てる。そして統一後のガリアのその頂点に輝く覇者は、必ず東ガリアの者であらねばならぬという強い信念を持っていた。
現東ガリア国王の考えも同じだ。
鉱山の開拓とその交易から力を付け、瞬 く間にガリアの半分を手中に収めたこの君主は今やその野心の一切を隠そうともしていなかった。ヴァリースダの騒動は彼にとっては格好の好機に見えたことだろう。
結婚式の招待状を凝視したウドも同じような気持ちだったのかもしれないと思い返すと、今頃になってあの男に対する憐憫の情が湧いてきた。
それも今となっては詮無い話だがと、溜息一つでフォルクハルトはゆっくりと紙面を折り畳み、目の前の使者を正面から見据えて表情を殺した。
感情の籠らない漆黒の瞳は時に威圧的になる。
その眼光に耐性がない使者はわずかに
命令の内容そのものは単純だ。ヴァリースダを含めたロルトワルヌ地方のすべてを西ゴールから取り上げろと、言わんとしていることはそれだけなのだ。
一見して暴挙に映るその命令は、今のこの国にそれだけの勢いがあることを同時に示してもいた。ここ数年で急激にその版図を広げ、文字通りガリアの東半分を支配するまでに成長したこの国だ。国の名を東ガリアと改めた今、隣接する西ゴール王国との緊張も大いに高まりつつあった。現実にも東ガリアは西ゴールの併合を本気で狙っている。事を起こすためのきっかけを
ガリアの再統一。この地に生きる者すべてにとって悲願の大事業だ。
そして国家の頂点を極めた者ほどその夢を追いかけ、千年の栄華を誇った大帝国の再興者たらんと渇望してきた。これまでにも多くの偉人たちがその夢に名乗りを上げては道
だがその熱量の割にと、フォルクハルトは疑問にも思っていた。人々をこれほどまでに魅了する帝国のその実態はあまりにお粗末だ。なにしろガリアかゴールか、国の呼び名でさえ部族間の差異を克服できなかった国で、その中期においては南方にある海洋国家の
東側の連合王国は特に悲惨な末路を
強大な指導者を得て領土を拡充するその一環でガリアに侵攻したという説、大陸の最東端にあった大国の迫害を受けて押し出される形で西進したという説、当時の情勢を巡る学説は大きく二つに割れる。文字を持たず記録の一切を残さなかった騎馬民族のことについては、生活も文化も政治も、その痕跡を見つけることさえ今となっては難しい。しかしいずれにしても、連合王国には彼ら騎馬民族の猛攻に耐えきるだけの体力がなかった。
成立した時からすでに様々な意味で弱小だった国だ。弱さの理由は地形に
平坦な土地の少ない山がちなガリア東部は耕作地に恵まれず、農耕技術の未熟なその時代に人々はまだ狩猟や採集による不安定な生活を余儀なくされてきた。山の稜線を越えれば部落が分かれ、それぞれに地域に根付いた指導者がいる、当時のガリア東部はその程度の未開の世界だった。国家の実態も、部落ごとの指導者が緩く繋がり国王を補佐することで国としての形をどうにか成すというその程度のものでしかなく、農業国家として安定した生産性を誇る単一政権の西ゴール王国とは軍事力においても、政治力においても雲泥の差。結果から見れば有事を前にしてさえ一丸となって事に臨むことができなかった。
対する西ゴールは当時から強国だった。
しかし東ガリア崩壊の歴史は、その西ゴール王国の狡猾さをも後世の人間に提示してしまうのだ。彼らが再三の要請にも関わらず連合王国への援軍を渋り、夏から秋にかけて騎馬民族がガリア東部を我が物顔で蹂躙する
もちろん西ゴールの歴史では、それを「敢えて冬を待った」と主張するのだが。しかし山岳地の冬を知らぬ騎馬民族たちが雪と食料の枯渇に苦しんだことも、それが原因で一気に弱体化したことも事実とはいえ、そんな西ゴールの詭弁に納得する東ガリア人などいるはずもない。
騎馬民族を駆逐した西ゴールが東ガリア人に救いの手を差し出さず、その惨状を前に国土併合を放棄したこともまた見逃すべきではないのだ。求心力のある指導者を一度に失い、戦禍に晒され荒れ果てたガリアの山間部では、その年の冬は餓死者、凍死者の数が戦争による犠牲者の数を上回ったという記録さえ残されている。
以来、救う者の現れなかった東の地は小国家が興っては消えるを繰り返す暗黒の時代に突入していく。その興亡の歴史の中には西ゴールによる介入が多く含まれることはいうまでもない。西ゴール人には一度は手放した東の地への未練があり、その一方で東ガリア人には、自分たちを一度は見捨てた西への怨念が深い。
実際のところ東ガリア人は、西ゴール人以上に祖国再統一への強い憧憬を抱く民族なのだ。崩壊の歴史がそのように彼らを駆り立てる。そして統一後のガリアのその頂点に輝く覇者は、必ず東ガリアの者であらねばならぬという強い信念を持っていた。
現東ガリア国王の考えも同じだ。
鉱山の開拓とその交易から力を付け、