52 その首の価値

文字数 2,395文字

 そろそろ順風が吹いてもいい。しかしその風は、待っているだけでは決して吹くことはいのではとも、ウドは思った。





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 気まずい晩餐だった。

 会話もない。

 皿とカトラリー(ベシュテッケ)が奏でる無機質な音がやけに大きく響く。普段なら気にもならない音が今は耳障りで息苦しい。

 フォルクハルトはダニエルとともにこぢんまりとした部屋の中にいた。これまでの城の(あるじ)が家族と食事を囲んできた場所だ。作法に(のっと)り六人掛けテーブル(ティッシュ)の端と端に座ったというのに相手との距離は予想以上に近く、その息遣いが一つと漏らさず聞き取れる。いや、流石(さすが)に過敏になりすぎなのか。

 せめてもう少し広い部屋が用意できればよかった。

 悔いても仕方のないことを悔いてみたが、しかしほかに適当な部屋がなかったことも事実だ。ここは防衛のための砦で、もとより華やかな催しで人を集めるような場所ではない。客人をもてなすまともな部屋も過去にはあったようだが、元来が倹約家の東ガリア人は使う当てのない部屋を無駄に遊ばせておくのを罪と考えがちだ。結果今では別の用途に転用されたその場所は、至急の片付けをさせたところで食事を供せる状態に戻すまで数日はかかりそうな様相を呈していた。

 備えあれば(シュパーレ・イン・デア・ツァイト)……という古い格言が恨めしく脳裏に響くや沈黙をより重くした。唇を湿らす程度に何度も何度も舐め続けている白葡萄酒(ヴァイスヴァイン)も、気を紛らすためにそうしているだけで美味しくもなんともない。いっそ一気に(あお)って酔い潰れてしまった方が楽になれるのだろうか。しかし正体をなくした自分が何をしでかすかもわからない以上は、迂闊な行動を取るのも躊躇(ためら)われて勇気が出ない。理性を失い自制が利かなくなる事態だけはどうしても避けねば……とはいえ、素面にこの状況はあまりに辛すぎる。針山の上に素足で立たされているような気分で居心地は最悪だった。

 せめて料理くらいは、とも思うが、こちらも砂を噛んでいるようでどうにも味気ない。彩りよく盛られた肉の塊が皿の上で恨めし気に自分を睨んでいるような気さえする。町の名物と聞いて前日まで楽しみにしていたというのに、気分のせいで何もかもが台無しだった。

 (つら)い。

 食事なんぞ、せいぜいが一、二時間だ。耐え忍べば時間は勝手に過ぎ去っていく。そのはずなのに、なぜか(いま)だ終わる気配がない。

 目の前の可憐な少女は、一口食事を頬張るたびにじっとフォルクハルトを覗きこんできた。勘弁してほしい。その視線があまりに鋭く刺さり、フォルクハルトはついに苛立ちを声にした。

「私の顔に何かついていますか、殿下」

「どうぞ、ダニエルとお呼びください」

「失礼になります」

「私がそうお願いしているのです。どうぞそのようにお呼びください」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 沈黙がますます気まずくなり、フォルクハルトは耐え切れずに折れた。「そういたしましょう、殿下」

「ダニエルです」

「……ダニエル殿」

「殿も様も結構です」

「…………」

 彼女の意図がさっぱりわからなかった。どうしてここで距離を詰める必要があるのだ。そもそもこれ以上自分の領域に踏みこまれては……フォルクハルトは内心の葛藤を押さえつけ、気持ちが顔に出ないように(こら)えながら溜息をついた。「わかりました、ダニエル。そのようにお呼びします」

 ダニエルはぱっと顔を明るめて微笑んだ。調子が狂う。……可愛い。何を考えているんだばか!

 フォルクハルトはカトラリーを置き、憤然とした表情を相手に向けた。

「私のことは気安く呼ばないでください。心を許したつもりはありません」

 ダニエルは素直に頷いた。

「わかりました」

 しかし頷きながらからかうように笑った。「紳士的な距離を保ってくださるというのですね?」

 ……素直ではなかった。牽制されたのだ。しかしその意図がわからない。むしろ自らは距離を縮めておいて、相手には「紳士的な距離を保て」と我慢を強いるのは逆効果だろう。なにしろ男は手に入らないものほど強く渇望する性分を心の隅に飼っている。無理なものほど獲得に燃え上がり、否定されるほどに意固地にもなる。それが男だ。強引だろうが(なん)だろうが(あお)られれば手段を選ばない。必ず手に入れて、そして壊そうとする。

 そこが女の持つ残忍性と、男の持つ残酷さの違いではないかと常々フォルクハルトは思っていた。壊すことが男の目的ではないのだ。壊す力、壊す権利を持つという(あかし)を、男は壊すことによって誇示したがる。国王がそうだ。そしてその傾向は自分の中にも厳然として存在する。

 フォルクハルトは抑えの利かない欲情をどうすることもできず、とにかく沈黙することでその場を紛らした。

 一方のダニエルは相手の葛藤には気付く素振りも見せず、「聞かないのですか?」と、無邪気な笑顔で問いかけてきた。懸命に気持ちを押し殺していたフォルクハルトは不機嫌な声を発した。

「何をですか」

 その苛立ちにダニエルは一瞬だけ驚いたような顔をした。しかし言葉を止めはしなかった。

「私が少年のふりをしている理由です」

「聞いたら答えていただけるのですか?」

 ダニエルは真剣な顔で頷いた。「あなたになら、お答えできます。どちらでもいいと言ってくださったあなたになら」

 呼び方が

から

に格下げになったとすぐに気付いたが、(とが)めないことにした。そんなことより今はこの食事を一刻も早く終わらせたかった。「では、教えていただけますか?」

 ダニエルはカトラリーを皿に置いた。頼むから食べ続けてくれ、食事が終わらない、と浮足立つフォルクハルトの気持ちを彼女が察することはなかった。

「私の体はまだ、初潮を迎える前の状態です」

「…………」だから何だと言うのか。興味もない! いや、ある……ない!

 一瞬で気持ちを掻き乱されたと気付きフォルクハルトは慌てた。すぐに話を遮ろうとしたが間に合わない。ダニエルも話を止めななかった。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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