33 嘘はついていない

文字数 2,368文字

 西ゴールのマクシミリアン──今の世でその名を知らぬ者はない。しかし彼はすでに歴史の一幕として綴りこまれた過去の偉人だ。その弟とは? 一体(なん)の話をしているのか。そもそもあの大王に弟がいたという話も聞いたことがない。

 しかし「くれぐれも慎重に」と、目の前の男は本気の表情で忠告した。「近頃のロルトワルヌは軍備の強化が目立ちます」

「戦争をするつもりだと? 交戦の意志はないと聞いて来たのですが?」

「相手が何をどこまで本気でいるのかはわかりません」もちろんそれは、こちら側とて同じことでしょうがね?

 何かを探るようにそう言い残し、旧城主はそそくさとエリスブルグを去った。その()はダニエル王弟殿下の話を誰かとしようにも雑事に忙殺されたのだ。この場にウドがいればと、ふとフォルクハルトはそう思った。そうすれば気安くこの話題を振ることができたのに。あるいはイザークでもいいか……と、そこまで思考を進めたところで我に返り、フォルクハルトは自らを(あざけ)った。何を弱気に考えたのだ。

 しかし結局、疑問は解消しないまま朝を迎えた。

 ()(だる)い体に喝を入れようとフォルクハルトは両頬を(はた)き、その痛みが引く前に急いで服を替えた。しかし、懐剣(ドルヒ)を腰に差そうとしたところで浮かび上がった疑念にその手が止まる。

 王弟のことばかり気に留めていてすっかりと忘れていた。そういえば顔合わせを求めて送った書簡の返事がまだ来ていないのだ。返答があれば夜中でも構わず叩き起こせと指示までして待っているというのに、どうしたことか。

 難しい返事ではなかろうにと、不愉快さにフォルクハルトは顔を歪めた。会うか会わないかの二択しかないものを、何を悩むことがある。

 それとも何か、不都合なことでも起きたのか。やはり向こうの軍備の増強というのは……。

「ああ、やめだやめだ」

 (かぶり)を振って考えることを止め、フォルクハルトは無意識に視線を窓へと向けた。

 驚くほどの明るさ、その見事な快晴を目にして自然と心が浮き足立った。これぞ最高の日和(ひより)だ、こんな日こそ愛馬に(またが)って小高い丘の上で風になるべきだと思うほどに気持ちの抑えが利かなくなっていく。

 乗馬は〈(フクス・)(ウント・)(ヴォルフ)〉を封じたフォルクハルトに残された最後の息抜きだった。心の(おもむ)くままに馬を走らせるだけで自然と気持ちが安らいでいく。

 風と(たわむ)れ、大地の息遣いを感じながら奮い立つのは命の躍動で、同時に湧き起こる興奮が体内を暴れるように駆け巡っていく爽快さ。

 馬上のフォルクハルトはいつでも自由だった。そして恐ろしく無防備でもあった。そこに働く彼の計算と打算に気付かぬ者はないほどに、馬上の王子は常に無警戒の状態を人目に(さら)してきたものだ。

 事実フォルクハルトは、楽しみのその裏で密かに待っていたのである。東ガリアの国王が望んだ結末が訪れる、その時を。

 刺客はいつでも、思わぬところから彼を狙ってきた。特にここ数年はその動きが激しく、何度も執拗に狙われ続けている。どうやら彼らは何かを急いでいるようだった。しかし、その背景的な理由となるとフォルクハルトには想像がつかない。

 今の自分は国王の命ずるままに領地の四方を(くま)なく走り回り、一つ所に長く留まることなく流離(さすら)い続けているというのに、そして放っておいてもいずれは呆気なく戦死するであろうに、東ガリアの王はそれほどまでに息子の死が待ちきれないというのだろうか。

 まったく憎まれたものだと、フォルクハルトは他人事のように(おのれ)の哀れさに思いを馳せた。今や疎遠すぎて親子の情さえ湧くことはない。

 顔を見たのもウドが失態を犯した時が最後だった。

 あの不名誉な事件は思いがけずフォルクハルトを王都に呼び戻し、諸々(もろもろ)の始末に彼を忙殺させたのだ。もう二度と王都に足を踏み入れることはないと思っていたフォルクハルトにもあれは流石(さすが)に、想定外だった。

 まさかウドの盾を演じる日が自分に来るとはな……。

 本音ではウドなんぞ

で野垂れ死ぬがいいとさえ思っているフォルクハルトなのだが、温室栽培が過ぎるあまりに生真面目に育ったこの王子は何かにつけて公私を混同することへの後ろ暗さを抱えてもいる。最終的に事件の当事者を東ガリアから追放すべきという主張を極論だと抑えこんだのも、貴族ならば堂々と決闘で決着をと廃れ去ったはずの風習を持ち出して揶揄した者たちを度が過ぎると退けたのも、そうした公人としての職務をまっとうすべきという内からの圧力に自らの本心が屈した結果だったのだ。

 もちろん、フォルクハルト自身はこの件ですべきことは過不足なくやり尽くしたと思っていた。

 ウドが実家から勘当されたのは私的な話で、その責任まではどうあっても負いきれない。そう思ってもいた。しかし周囲がこの結果をどのように受け取ったかはフォルクハルトにもわからない。

 謁見の場では国王からも鼻で笑われた。

──たった一人の部下になんとも熱心なことだ。

 久しぶりに顔を見た息子に唯一掛けた言葉がこれだ。その時は悔しいとも悲しいとも思いはしなかったが、部下一人守れずに上に立つ資格があるものかという反感を覚えたことだけはフォルクハルトの記憶に焼きついている。対する王后の淡白な反応もそうだ。

──狐一匹くらいはきちんと()(なず)けておきなさい。

 彼女はそう言った。

 その意味をどう受け取るべきなのか。文字通りに(とら)えていいものか、それとも何かを斟酌しなければならなかったのか。彼女の思考の深淵を覗ける日は永遠にないだろうとだけはフォルクハルトにも確信があった。

「だが、(なん)にしたってこれで最後だ」

 呟くと、今朝の夢と相俟(あいま)ってか廃教会で過ごした夜の光景が脳裏に浮かび上がった。

 道に迷い、死の足音を近くに感じたあの日の記憶は今でも一部に(もや)が掛かっている。思い出そうとするほどに何かが(かす)れていってしまうのだ。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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