42 恐喝

文字数 2,383文字

 西ゴールの

ダニエルの用意した計略がどこまで思惑通りに進んだかはウドにもわからない。しかし、少なくともこの女にとってそれが予想外の展開で、事態が相当な程度で気に入らない方向に進んだということはわかっている。

 表情を見るだけで充分だった。

 あの場でフォルクハルトはダニエルだけを見ていたが、ウドはその後ろに控えたタイスの様子にも目を光らせ続けていたのだ。そして確信した。突くべきはこの女だと。

 いや、突かねばならないとウドの中にも焦りがあった。

 城の蔵書を当たり、町まで出向いたウドの目にもようやくこの事態の持つ不穏さが見えてきていた。それは従前からフォルクハルトに(まと)わりついている死の甘美な誘惑とはまた違う、胃の底でじりじりと熱を持つような説明のしがたい不快さを伴う。もしかしたらイザークの(ほの)めかしたことはこれのことかともウドは思ったが、しかしまだ確証はない。

 どちらにしても早く明らかにしないことにはと、ウドは思った。

 それにしても驚くのはフォルクハルトの視点の鋭さと記憶の確かさか。誰もが知っているはずの西ゴールの伝説を知らず、膨大なガリア記の中にそれが「無い」ことを記憶し、(あまつさ)え「世間で言われているのだからそういうものか」と簡単に納得をしない頑固さ。天才とはそういうものなのか。あの王太子を言葉で(だま)すことは難しかろうとウドは不意に思い、これまでの自分が嘘だけはつかずに来たことに妙な安堵まで覚えていた。

 嘘はついていない。とはいえ、真実のすべてを口にしてきたわけでもない。一体あの王子がどこまでを見透かしているのかを考えると、流石(さすが)のウドも背筋が凍りつく思いがした。

 しかし、今は投げつけられたこの問題を片付けるのが先だ。ウドは近付くタイスに視線を向けた。

 彼女の全身からは道中で「嫌な思いをした」ことが滲み出ている。それがロルトワルヌ砦内で受けたものか、エリスブルグに入る橋の上で受けたものかはわからないが。

 単純に考えればロルトワルヌで嫌味の一つでも言われたかと思うが、誰が漏らしたかダニエルの滞在はすでにヴェリースダ内に広まっており、橋を守る兵士たちがタイスに嫌がらせをしたとしても不思議ではない。

 彼女に罪は、ないのだがな。

 ウドは哀れむ気持ちを抱えてタイスを待ち構えた。

 心の(うち)で人が何を考えているかなど誰にもわからないものだ。敵意はなくてもそのように見えることも時には起こる。それが争いのもとになることも。

 若い頃のウドは、心の誠意を表に出して常に表示することができたならと青臭くも考えたものだった。それができれば事の多くは起こる前から解決するのではないか、と。しかし今のウドの考えは違う。人の内心がすべて筒抜けになるとかえって争いの火種になると実感していた。

 今あるこの姿で、この世界は均衡している。

 良いも悪いもなく、これでちょうど良く仕上げられている。

 それは聖母が相克の鳥を許し認める姿に似ていると語った女も過去にはいた。炎を自在にして命を滅ぼす力を持ったその鳥が存在することで、初めて命を育む大樹の世界が完成を見るように、死と生が寄り添い、善と悪が折り重なるこの世界はそうであるから整っているのだと、その女はぼやけた口調でウドの耳に(ささや)いたのだ。

「曖昧な方がいいのよ」と、窓の外に浮かぶ星空を見上げながら彼女は語ったものだ。「男はすぐに勝負して、何が何でも白か黒かを付けたがるけど」

「女だって強い男がお好きでしょう?」

「……あら、話をはぐらかす気?」

 女は寝返りを打つと枕を抱え、蠱惑的な微笑みを浮かべ目を閉じた。「そうね。女は強い男が好き。でも、強い男ってのは、どういう人のことを言うのかしらね?」

 勝負で決まる強さはわかりやすいわ。そして、語りやすい。

「だから多くの物語が、判で押したように舞台に勇壮な戦士を登場させては最後に決闘をさせたがる。勝負は常に、華々しく決まる」

「それがまた面白いから仕方ない」

 次に開いた女の目は挑発的に輝いていた。「でもそれは、現実じゃない。現実の世界がそんな物語のごとき美麗なものであるはずはない」

 本当はみんな、知っているのよ。女は特に知っている。

「女として生まれた以上は、いつまでも夢見る幼子(おさなご)のままでいることは許されない」と、女は少し寂しそうに笑った。「物語の甘美さを抱きしめながらも、現実に押し潰されていつかは目を覚ます。生きることはその足で地面を踏みしめ、重圧に耐え、それでも天を見上げることだと私たちは知っている。それがあるべき女の生き様ってものだと気付いている」

 聖母の姿のようにね。

 女は上体を起こしながら枕元の煙管(プァイフェ)に手を伸ばした。火を点け煙を(くゆ)らす退廃的な仕草がまた、この女の魅力でもあった。

 そうしてひとしきり煙を浴びた女は、まるで世間話をするかのような気安さで言葉を(こぼ)した。

「どうもあの愚かな娼婦は身籠ったらしいのよ。それが男子なら王妃の名称を与えようと国王は考えている」

 さて、これからどうなるかしら?

「この世界には、生の数だけ死が必要だもの」

 そう意味ありげに呟くと、女は何かを諦めたように目を閉じた。

 この女が断頭台の上で赤い花を散らしたのはそれから数か月後のことだった。処罰を下したのは王后だ。誰が密告したかをウドは知らない。しかしあの女はいずれ自らの過ちの前にその身を滅ぼすとウドもわかっていた。助けようがないこともだ。それでも当時感じた後味の悪さはねっとりと、今でもウドの周辺にしつこく纏わりついたままだった。

 もちろん、男を(しとね)に抱き入れ秘密を売り買いしていた女の生き方が間違っていたとはウドは思わない。そのようにしか生きられない女は確かにこの世界には存在するし、そのような人間を排除したからといって世界が清くなることもまた、ありえない。

 清濁併せ持つから安定している。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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