35 太陽に霞む月

文字数 2,426文字

「外に出たい」

「お付き合いしましょう」

「一人で!」声を荒らげた。「一人で行きたい!」

「それはなりませんな」

 ウドはさらりと受け流して歩きだす。しかしフォルクハルトが付いてこないと気付いたか途中で立ち止まり、振り返った。「どうされましたか? 行かないのですか?」

「…………」

 我儘(わがまま)を通せなかった時の子供のようにフォルクハルトの顔は(むく)れていた。それに対してウドが思わせぶりな笑みを浮かべるものだから、神経が余計に逆撫でされる。

「今日はもう気分ではない」

 苛立ちを声に含ませてフォルクハルトは言い放った。

「なるほど、では部屋に戻られますか。お連れしましょうか」

「いらない! 子供ではないのだ!」

 その癇癪を前にウドは(のど)の奥でくくくっと可笑しそうに笑った。「大きな子供で困ったものです」

「…………」

 顔を紅潮させるもフォルクハルトは言葉を飲みこんだ。言葉の応酬でもウドには勝てないとわかっている。悔しさを(にじ)ませたが結局どうにもならなかった。

 しかし、いつまでも機嫌を損ねておかないのもフォルクハルトの長所だ。連れ立って部屋に戻る道中でさっさと話題を変えた。

「ダニエル・ド・ワロキエの話は知っているか?」

 問われたウドは怪訝そうに首を(かし)げ、「どのような答えをお望みで?」

「実在するのか?」

「…………」ウドは考えこむように(あご)をさすった。「生きた伝説の話ならば耳にしたことはあります」

「生きた伝説?」

「マクシミリアン大王の実弟ダニエル・ド・ワロキエは不老の肉体を手に入れ、今でも西ゴールの守り神として生き長らえているとか、なんとか」

「ずいぶんと眉唾物の話だな……」

「ええまあ、伝説は伝説です。しかし一笑に()すには少々(たち)の悪い伝説かもしれませんが」

 ウドは笑った。「現実にそう名乗る貴人が西ゴールの宮廷には存在しています。そして聖母の加護か識女の呪縛か、いずれにせよその奇跡は本物だと今でも西ゴールでは信じられているのです。もっとも広く噂される通りであればその肉体は不老であっても不死ではないらしいのですが、とはいえ誰も伝説を殺したことがない以上は証明の難しい世界の話です」

「向こうの砦にその王弟が来ていると聞いたら?」

 フォルクハルトが言うと、まるで関心のない顔で世辞でも言うようにウドは声を上げた。「早いとこそのご尊顔を拝むとしましょう」

「……なんだ、暢気なやつだな」

 フォルクハルトがすっかり機嫌を直して苦笑した時、二人を追いかけるように兵士の一人がやってきた。砦に近付く者がいるという。それを聞いたフォルクハルトは部屋に戻らず屋上に上がった。

 吹き抜ける強い風に髪を抑えながら「どこか」と問い、応対した兵士の指の先を追って狭間(ツィンネ)に目をやった。

 凹凸(おうとつ)のある壁の隙間から真っ先に見えたのはヴァリースダの町と、その先にうっすらと影のように建つロルトワルヌ砦だ。視線を下げれば町から伸びる一本道に、その上を進む二頭の馬。

 返答の使者か。

 渡された遠眼鏡をフォルクハルトは(のぞ)いた。すると相手側もこちらの様子に気付いたらしい。

 遠眼鏡越しに一つの、意味深な視線が視界に飛びこんできた。

「まさか!」

 声に出した瞬間、フォルクハルトは遠眼鏡を取り落とした。硝子(グラス)の割れる音が足元で響き、

「わ、なんですか。どうなさいましたか。こんな高価なものを落とすなんて……」

 と、からかうウドの声にますます慌てふためいてフォルクハルトは声を上げた。「なんでもない!」

「ほう」と、ウドが笑う。「そうそう言い忘れていました」

「……何を」

 四散した部品を拾い集めながらフォルクハルトが問い返すと、それを手伝いながらウドは澄ました声で答えた。「朝も早くに使者が来たのでした」

「……使者?」

「返答の使者です」

「……は?」

「で、頃合いを見て正式な使者を向かわせるということだったのですが……」

「返答があったなら夜中でも私を呼べと言ってあったはずだ」

「私が受けたものですから」

 ウドの態度は素っ気なかった。どうしていつもそう勝手なことをするのかと詰問しかけたフォルクハルトは、しかし先回って飛びこんできたウドの言葉に面食らい、思わず遠眼鏡を回収する手を硬直させた。

「……今、(なん)て?」

「ですから、伝説が使者として来ると申したのです」

「…………」

「いや、だから訊いたではありませんか。

かと……」すでに伝説がロルトワルヌ砦にいることはご存知かと思いまして、とウドは笑った。「興味がおありで面会したいと(おっしゃ)るならその手筈(てはず)を整える必要はないと返そうかと思っていたのですが、それ以前の質問には拍子抜けでした」

「……ばかにして!」

 フォルクハルトは立ち上がり憤然と歩き出した。しかし、態度とは裏腹に気持ちの方はそれどころではなかった。無理もない。あの瞳だったのだ。

 フォルクハルトを見つめ返してきたのは、あの青い瞳の持ち主だった。





3





「世代差というやつでしょう」

「世代差?」

 フォルクハルトはウドの言葉を鸚鵡(おうむ)返しに問いに変え、不満を表情に映して立ち止まった。「それだけのことで、私が西ゴールの伝説を知らない理由になるというのか?」

 ウドも合わせて立ち止まり、何かを言いかけ思い(とど)まった様子で肩を(すく)めた。「他に理由が?」

 しかし、その回答で納得するフォルクハルトではない。「では」と言い返し、不機嫌をそのままに端正な眉尻を吊り上げた。「私よりも年配の者たちは、どのようにしてその伝説に触れる機会を得たというんだ」

 問われたウドは困惑を表情にした。「さあ、なんでありましたか……」

 そして、問題にされて初めて気がつき考えたと言わんばかりの顔付きで、「しかしこの手のものは」と、(おもむろ)に自分の髭を指先で摘まんだ。「知らぬうちに何かに触れて自然と記憶に刻んでいくものですし」

 あまりにも暢気なウドの態度を前にフォルクハルトはさらに機嫌を傾け、「ならば私はどうして触れる機会を得なかったか」と、じっと相手を(にら)みつけた。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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