53 処女

文字数 2,376文字

「見ての通り胸も膨らんでおらず、お尻も小さいままです。何よりも妊娠ができません。だからです」

「意味が、わかりませんが?」

「女としての武器を、私は何一つ持っていません」

「それが何か?」もうやめてくれ!

「政略的に使い道がないのです、私は。だからです」

「…………」

 最後の一言(ひとこと)に思考の混乱が一瞬で止まり、フォルクハルトは冷静さを取り戻した。ダニエルは俯き、呟くよう言った。

「でも、男なら別です。子供でも男になら使い道があります」

「今回のように?」

「そうです。この首ひとつで、国の運命を握れるだけの価値があります」

「…………」

 だからその価値に甘んじるというのか。

 本当にそれでいいのか、という疑念がフォルクハルトの中で渦巻いた。「いつから、男に?」

「この呪いを受けたときに」と、すかさずダニエルは答えた。「兄は、女として利用価値のなくなった私の使い道を模索して……」

「…………」

「そして今では、私の体の秘密を知っているのはタイスだけなのです」

「それと私も、ということですか」

 少し意地の悪い気持ちになった。「機先を制したわけですね」

 驚いたようにダニエルが顔を上げる。「どういう意味ですか」

「つまり、女としての価値のないあなたの秘密を握ったところで意味はないのだと、そう言いたいわけでしょう?」

「実際、その通りではありませんか」

「どうでしょうね」と、フォルクハルトは応えた。「あなたが女であるとわかれば、

に化けるかもしれません」

 それは昼にされた意趣返しのつもりだった。ダニエルが蒼白な顔でさっと立ち上がる。怒らせたか、(おび)えさせたかはまだわからない。フォルクハルトは両手に握ったままのカトラリーを置き、静かに相手の出方を(うかが)った。

「もしも、そうであれば……」

 呟くダニエルは小さく肩を震わせ、自分の両腕を掻き(いだ)いた。「喜んで私はこの身を差し出しますとも」

 言葉と態度がちぐはぐだ。昼のようにうまく隠すことができていない。しかしダニエルは昼のように腰を抜かすこともはなく、威厳を(まと)ってつかつかとフォルクハルトの(そば)に近寄ってきた。青い瞳が目線の高さに迫りくる。

 同じ高さだ。

 これまではフォルクハルトが一方的に相手を見下ろしてきた。座っているときも、立っているときも、小さなダニエルは常にフォルクハルトの視線の下にいた。こうして同じ高さで相手の瞳を(とら)えることで、ようやくにして二人が対等な立場になったのではないかと、ふとフォルクハルトはそんな気分になった。「つまり……」

 しかし、出てきた言葉の方は皮肉の色に染まっていた。「つまりあなたは、その身を男の野蛮な欲望に蹂躙されてもいいと思っているわけですか」

 ダニエルの肩が(わず)かに震えた。しかし視線は(ひる)むことなくフォルクハルトを見つめている。

「私は所詮、道具です。何かの役に立つなら、迷わず使います」

 それが本音かどうかはフォルクハルトにもわからない。しかし少なくともこの少女にとって、それは紛れもなく

答えなのだと思った。

──女として利用価値のなくなった私の使い道。

 自分をそのようにしか見られないというのか。愚かだな。

 フォルクハルトはダニエルの腕を(つか)んだ。小さな体は呆気なく持ち上がり膝の上に納まった。突然の事態に青い瞳には初めて恐怖が宿ったが、逃げる隙を与えるつもりはフォルクハルトにはない。

「もしも私にそれなりの力があり、そして代償にあなたを求めたら、あなたは私にそれをくれるのですか?」

「私を……」

 震える声でダニエルは答えた。一度はフォルクハルトの手を振りほどこうとした。だが力はフォルクハルトの方が上だ。左腕一本でも包むように拘束されれば身動きはできない。「私を、女にしてくれるというのですか」

「女になりたいですか?」

 冷たく言い放ちその瞳を覗きこめば、その青い瞳は涙に(うる)んだ。しかし何を奪われても心まではくれてやらないという意志をその瞳は発している。強い眼光だ。

 やがてダニエルはか細い声で(うめ)いた。

「差し上げます」

「本心から?」

「あなたこそ、

をお持ちなのでしょうね?」

「さあ」と、フォルクハルトは素っ気なく答えた。「試してみましょうか?」

 言いながらも右手がダニエルの頬、顎、そして首すじをゆっくりとなぞっていく。そのまま上着の(クノップフ)に手をかけた時、あの声が脳裏に響いた。

──求めなさい。

 過去から湧き起こるようなあの声だ。聖母ではなかったのだと、この時初めてフォルクハルトは確信した。あれは識女の誘惑だったのだ。聖母を超える力を持つともいわれる悪しき影。

 もはや誤魔化しようがない。

 フォルクハルトは(あら)い息を吐きだした。

 自分は確かにこの娘が欲しい。この青く美しい瞳を持った娘を自分のものにしたい。この娘のすべてが欲しい。血の一滴、骨の髄まで、すべて手に入れたい。心の一片も残さず穢し踏みにじりたい。

 しかし釦を二つ外したところでフォルクハルトの手は止まった。腕の中でダニエルの小さな胸は激しく上下に揺れ、肩は強張り震え続けている。壊したければあと一歩だ。何を躊躇(ためら)うか。

 そう思った刹那、虚しさが襲い急激にフォルクハルトの心は冷え切った。

「これで道具とはお笑い草ですね」

 言ってダニエルを抱えたまま立ち上がる。

「自分を大切にできない人間は嫌いですよ、男でも女でも、子供でも」

 そうして彼女を自分の椅子に座らせ解放した。

「興が冷めましたね。皿はもう片付けて、甘いものでもどうですか?」

 ダニエルはよろよろと姿勢を正し、胸元の服を掴みながら片手で涙を(ぬぐ)った。拭いながら悔しそうに笑い、言葉を吐き捨てた。

「困りましたね。〈死神〉のくせに紳士すぎて」

 どうやら、

から再び

に格上げされたようだった。自分も邪悪に偉くなったものだとフォルクハルトは苦笑し、部屋を出た。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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