39 後悔

文字数 2,499文字

 思うに、西ゴールからはこれまでにも再三にわたって東ガリア王への直接的な接触があったはずなのだ。そしておそらくそれらは一つとして功を奏してこなかった。もちろん話がどこかで握り潰され国王に届いていないことも考えられるが、それよりは国王自身が意図的に無視を決めこんでいる可能性の方が遥かに高い。

 仮に西ゴール王の書簡がフォルクハルトの手から届けられたとしても、東ガリアの王がそれを重視することはない。自分の名前などその程度のものだ。あの男の気持ちを良くも悪くも揺さぶろうと本気で思うなら王后の名を使うのが手っ取り早いが、しかし、そうは思えど彼女に仲介を依頼するのはフォルクハルトの気が乗らなかった。それならばグレーデン公に頼むかと国王に近しい諸侯の顔ぶれを次々に思い浮かべても、ダニエルに対するフォルクハルトの返事は冷淡なところに落ち着いた。

「私が、お断りをしたら?」

 青い瞳が決意を帯びてフォルクハルトを睨みつけてきた。

「この場で自決します」

 予想外の返しに面食らい、フォルクハルトは思わず封筒から手を離した。しくじったのか。一方のダニエルは機を捕えたと思ったか、その言葉の中には強さが戻った。

「私の死と同時に開戦となります。私の首ですからこんな小さな領土を巡った小競り合いで済むとは思わないでください。そしてこちらは降伏する気はありません。これ以上の妥協もありません。双方国を挙げて、心ゆくまで殺し合うことになるでしょう」

「愚かな!」フォルクハルトは吐き捨てた。「この場で死んで見せたところで誰がその死を(おおやけ)にするというのです」

「あなた様に私の死を隠すことはできません」ダニエルは後ろに控えていたタイスを一瞥した。「ここにいるタイスが私の生存をロルトワルヌに伝えます。あなた様からの(いろ)()い返事が聞けるまで続けることになるでしょう。そして、伝令が途切れた時が合図です。私が生きていても死んでいても、その瞬間に私は死んだと()()されます」

 そう断言するダニエルの手は相変わらず隠されたままだった。相手の感情が読めずにフォルクハルトは苛立ちを募らせた。

 まさか本気で命をかけたのか。

 それとも

なのか。

 いずれにしてもこの瞬間、この場の主導権はダニエルのものになった。余計な一言を口にしたばかりにと歯噛みするフォルクハルトの前で、しかし当のダニエルは優越的な態度に出ることなく、淡々とした調子で念を押してきた。

「話を取り次いで、いただけますね?」

 それでいながらそれ以上の妥協はないと、その瞳は強硬に語っていた。反論の隙を探したが意味はなく、負けを認めるしかないと悟ったフォルクハルトは忸怩(じくじ)たる思いを言葉に(にじ)ませた。

「どのような返答にせよ、すぐに返ってくることはありません。それでいいのですか?」

「ええ、それで結構です」

 ダニエルは安堵した様子で息を吐いた。

 フォルクハルトは改めて封書を手に取り、その表と裏を交互に見比べた。こうなってくると何の変哲もない封書が呪いの道具に見えてくるから気味が悪い。

 しかし、そうか。

 それでもすぐにフォルクハルトは思い直した。これで国王からの返答を待つ間は、西ゴールとの間で

の交渉をする必要さえなくなったのだ。その間に自分が死んでしまえば万事が解決というわけか。次に考えるべきはウドの目を掻い(くぐ)る方法だと気楽な気持ちになってもう一度封書を置き、ダニエルを見た。

「話は確かに私が預かりました。ならば今日のところはこれでお引き取りいただきましょうか」

 そう言いきり、これで会談は終わりだと胸を撫でおろす。

 ところが。

 何を言っているのかとでも言わんばかりに大きく目を見開いたダニエルが、怒った表情をフォルクハルトに向けて(あご)を引いた。「返答が来るまで、ここで待ちますが?」

 一瞬、言っていることの意味がわからなかった。

「何日かかるかわからないのですよ?」

「では、何日でもここで待ちます」

 口を(とが)らせダニエルは言った。「約束を反故(ほご)にされたくありません」

「……はあ、なるほど」フォルクハルトは憤然と言い返した。「私は信用に値しないというわけですね?」

「まさか!」ダニエルは慌てたように首を振った。「東ガリア人は正直な民族だと聞いています」

「それなら」フォルクハルトは押し返した。「ここに残る必要はありませんよね?」

「でも……」ダニエルは拗ねたような態度になった。いや、フォルクハルトをからかう様子が見て取れる。「私には人質としての価値もあるとは、思いませんか?」

「…………」

 フォルクハルトは目を剥き絶句した。冗談じゃない!

 人質どころか、この子供はいつ噴火するとも知れない火山そのものだ。本来であれば避けて通りたい、むしろ積極的に忌避すべきものだ。

「どのような返事であっても必ずお伝えすると約束します。ですからここはどうぞ、お帰りください」

 丁重な応対の言外で「早く帰れ」という気持ちを滲ませたというのに、ダニエルの方はなぜか見た通りの子供らしい膨れっ面で(かぶり)を振ってきた。

「いやです!」

 ふざけるな!

 しかし結局、押し負ける形でフォルクハルトはダニエルを迎え入れることになった。

 この状況を「なかなか面白いことになってきました」と、軽い調子で判じたのはウドだった。伝令としてロルトワルヌ砦に戻るタイスを城門まで見送った(あと)で、彼はフォルクハルトに向けてそう言ったのだ。ダニエルはまだ部屋に残してある。

「面白いか?」

 フォルクハルトは不機嫌をそのまま顔に貼りつけた。「面白いものか」

「それで結局どうなさるのですか」と、ウドは問うた。「本当に国王陛下に事の次第を伝えるのですか」

「それ以外に手があるか?」

「いや、ありませんが……」と、ウドもようやく困惑の表情を作った。「しかしそのままを伝えれば、うちの王様はあの小さな貴人を喜んで殺すと思いますがね」

「…………」

 それも自明の展開だった。西ゴールとの開戦を望んでいる以上、国王の答えはそれ以外にありえない。しかし開戦のためにあの子供の命を犠牲にする価値がどこにあるのかとなると、それはそれでフォルクハルトの気持ちは荒れた。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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