21 探り合い

文字数 2,355文字

 皮肉を感じたダニエルは人知れず嘲笑した。(おのれ)の身には要らぬ呪いが降りかかり、救いの欲しいところに希望は届かない。神とは一体、(なん)なのか。祈っても届かぬなら、それは果たして(なん)のために存在するものなのか。

 我々に神は、果たして必要なのか。

 哀れな男を眺めながら不敬な衝動に溺れかけたダニエルは、我に返ると同時に端正な顔を歪ませた。不意に予言の猫に(まつ)わる講釈を思い出したのだ。

 猫は変化の象徴だ。

 目覚めと同時に一つの世界が終わり、一つの世界が始まる予兆。聖母を(いただ)く教義の多くが猫はすでに目覚めたと説き、すでに神の栄光はこの地から消え去ったと述べる。そして今ある形で人の世ができあがったと結ぶのだ。

 しかし、その話を聞くといつでもダニエルの心は疑問で満たされた。

 それは、不幸だ。不幸ではないのか、と。

 聖なる神の世界が滅び去った今、この地に残された我々はなおも人知を超える悪しき影に翻弄され、それでも人の手、人の足、人の知恵だけで生きねばならない。

 神の去ったこの地上で、それでも小さき我々は光に手を伸ばす。決して届かぬことと知りながら、それでも伸ばさずにはいられないほどに、つまりこの世というものは……。いや、考えても虚しいだけか。今のダニエルには焦がれるほどの期待も希望もない。ただ闇雲に繰り返しの単調な時間を浪費し、そしてある時唐突に壊れて終わる。それだけだ。

 しばらくしてから地上に戻ったダニエルに、いよいよフォルクハルトがヴァリースダを目指すという知らせがもたらされた。

 やはり、来るか。ダニエルは緊張した。

 しかし予想外に手勢は少数だ。

 それは、どういうことなのか。知らせを吟味しつつダニエルは(いぶか)った。戦う意志はないとでも言う気だろうか。もしかしたらとダニエルは不意に思い、しかしと諦念の気持ちで首を振った。双方に交渉の余地がまだ残されていたとしても、遅いのだ。すでに賽は投げられている。

 ダニエルは重苦しい気持ちを溜息に託し、それからその男に思いを馳せた。

 フォルクハルト・フォン・ツアミューレン。

 東ガリア国王の第二子にして唯一の男子。王太子として将来の玉座を約束され、華々しい活躍で戦場を撫で尽くす常勝の〈死神(ラ・モール)〉。

 一体、この栄誉を(ほしいまま)にしているのはどんな男なのか。どんな顔付きで、どのように笑い、その手を血に染める瞬間にいかなる表情を見せるのか。俄然興味が湧いてくる。

 事前にその顔くらいは拝んでおけないものかと思ったダニエルは、その時に突然湧いた自分の閃きに喜色を浮かべた。いい手だ。もしかしたらこれで万事が解決するかもしれない。これで行こう。ダニエルはそう思い定めると、軽やかな足取りで歩き出した。


第三章 運命の邂逅





1





 ウドは舌打ちをした。遠目から視認していた男の姿が刻一刻と大きくなっている。(ひら)けた峠の(いただき)だ。間違いなくわざと、目立つようにそこにいる。嫌な気分だ。避けて通りたい。しかし自分の馬は着々と男の待つ場所へと向かっていた。切り立った崖に沿うこの一本道で(きびす)を返せば敗北を宣言するに等しい。この(わず)かな恥を忍ぶにはまだ自尊心が大いに邪魔だった。

 この男にだけはと、ウドは再び舌打ちをした。

 傭兵団〈(グラウ・)(カッツェ)〉を率いる

の男。イザークと名乗るが、本名を別に隠していることを知らぬウドではない。何に付けてもいけ好かないのだ、この男は。

 意味ありげなその表情を見るだけで胸のむかつきを覚えてウドは歯噛みした。

 いっそこのまま、無言であの横を通り抜けてやったらどうか。わずかの(あいだ)逡巡したものの、それは流石(さすが)に見苦しいかと思い直してウドは馬を止めた。厳しい視線で睨みを向けたがイザークは黙ったままだ。その(わず)か数呼吸の()を埋めるのは馬の吐き出す粗い息だけになった。

 もちろん意味はあるとウドは思っていた。この男がこの場で()えて待っていたならば、そこには(なん)らかの意味がある。

 ここは分岐点だ。

 もと居た拠点の城まではもう(ふた)山を越えるが、ヴァリースダに直接向かうならこの峠を越えてすぐの脇道を進む必要がある。さてどうするべきかと、ウドにしても悩みながらの山越えだった。

 まったく嫌味な(やつ)めがと、そんなことを苦々しく思いながらウドは声を低く抑えて問いかけた。

「こんなところで何をしている?」

「こんなに早く戻ってくるとはね?」

 すぐさまイザークも言葉を発した。「ここまで何頭の馬を乗り潰した?」

「…………」

 問いを問いではぐらかされたことに苛立ちを覚え、その感情を抑えるためにウドは口を固く引き結んだ。一方のイザークは何かの手応えを感じたのか、不敵な笑みでウドを見つめてから口を開く。「まあでも、換えの馬が手配できたのもここまでだろ?」

「…………」

 何もかも見通していると言わんばかりのイザークの発言は同時に挑発でもあったのだが、しかしウドには反駁の材料がない。仕方なく奥歯を噛みしめながら無言を貫き、相手の次の出方を(うかが)った。

 イザークの言うことに間違いはない。

 山越えが続いても街道は街道、山間には集落も多く宿場町としても(ひら)けている。乗っていた馬の体力が底を突いたとしても、その場で新しい馬を調達することはそれほど難しい話ではない。事実ウドは、そのように多少の無理を押し通しながらこの街道を押し進んできていた。

「荷馬か……」ウドの(またが)る馬を一瞥するとイザークは呟いた。「体力はあってもな?」

 速さが心許ないと言いたいのだろう。

「軍馬とは違うからな」

 ウドは慎重に言葉を選びながらイザークの馬を見た。自分の乗る馬より体格が一回りは大きく、筋肉の付き方も違う。

 軍馬と荷馬との差は大きい。そもそもの用途が違うのだから、馬の種類もその鍛え方も異なって当然だ。

「乗りてえって?」

 ウドの視線を()(ざと)く捉えてイザークは(わら)った。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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