44 悪趣味

文字数 2,396文字

 こうなると、次はダニエル・ド・ワロキエ本人を直接攻め落とすほかに打つ手がない。とはいえ、どうやってその化けの皮を剥がせばいいのか。

 男の(さが)としては今でも呪いの存在を信じたい気もするのだが、フォルクハルトのおかげで今や呪いの存在を信じきれなくなっているウドは、もしもこの呪いに

があるなら、一刻も早くその裏を把握せねばという危機感を抱いていた。

 しかしあの子供に直接当たるのは流石(さすが)に、自分の立場では難しい。

 ならばフォルクハルト様をけしかけるか? いや、それも無理か。

 戦場において華麗な戦略を巡らし、(たぐ)い稀なる戦術をひけらかすあの鬼神にも苦手は多い。特にこの手の対人的な駆け引きは笑ってしまうほど不得手なのだ。もしも権力者への取り入り方や気持ちの推し量り方が得意であれば、今頃はこんな場所で死にたがってはいまいとウドは悔しい気にもなる。王宮の中で次の王としてちやほやと持て囃され、傲慢さで着膨(きぶく)れした体を揺すりながらふんぞり返る道もあの王子にはあったはずなのだ。

 まあ、あのお坊ちゃんはその点が不器用だから、可愛げがあっていいわけなんだがな。

 ウドが暢気にそんな感慨を抱いている目の前で、男の手から逃れようと立ち上がったタイスの体が(くずお)れた。

「……これはこれは」

 慌ててタイスを支えながらウドは苦笑した。「きついことを言いすぎましたかね?」

「きついこと?」

 タイスは目に涙を溜め、怒りも(あらわ)に肩を震わせた。泣くのが遅い。この女も器用な方ではないらしいとウドは思い呆れながらも、有り余る微笑ましさを禁じえなかった。

「本当に、ダニエル殿下は戦争が回避できると思っているのですか?」

「戦争になるの?」

「このままでは確実に」

「……じゃあ、あの砦がまだ戦支度をしていないのは?」

「別に騙すつもりでそうしたわけではありません」ウドは素っ気なく答えた。「フォルクハルト様自身にはその意志がないのものでして」

「だったら!」タイスが大きく目を見開いた。

「交戦の意志を持っているのはもっと上の人間だと申し上げたはずですが?」

「…………」

 ウドは真っ直ぐに立ち、タイスに手を差し出した。「立てますか?」

 タイスは唇を噛みしめてウドを睨みつけ、パシリとその手を払うように叩いて立ち上がった。ウドは声を出して笑い出し、叩かれた手をひらひらと軽く振る。そして、不意を突いてタイスを抱え上げた。

「!」

 驚き表情を凍りつかせるタイスを馬に乗せ、ウドは破顔した。

「私、強い女性(ひと)は嫌いじゃないんですよ」

「何を言って!」

 怒るタイスにウドはからかうような笑顔を見せた。その無邪気な笑顔に怒っていたはずのタイスが息を飲む。

 女なんて簡単だ。

 ウドは思った。少々強引に押してからさっと引いておくだけで、(あと)はどうとでもなる。

「ダニエル・ド・ワロキエ王弟殿下が本気で戦争の回避をお望みなら」ウドは真顔に戻った。口から出まかせだが嘘ではない。これから真実に変えなければならないことでもある。「まだ方法は残されています。それが我が(あるじ)の意向でもありまし」

「……嘘じゃないでしょうね?」

「まあ、任せてもらいましょうか?」

 だから、と今度は屈託のない笑顔をタイスに向けた。「余計な混乱を招かないためにも、今の我々の会話は忘れてくださいますか?」

「…………」

 タイスは逡巡した様子だったが、やがて諦めたように頷いた。

「それは良かった」と、ウドは朗らかに笑った。

 そうして人の悪いことに、裏では相手の動揺を眺め楽しんでもいたのだ。行き掛けの駄賃に西の女を落とすのも悪くないという、そんな(よこしま)な考えもウドの中にはあった。そのため、

「ところで……」

「?」

「この街の名物は温泉の蒸気で作った蒸し豚なのですが……」

 下心を隠しながらタイスを見上げるウドは、実に紳士的な誘い文句を口にした。「今夜一緒にいかがですかな?」

「…………」

 しかし、どうやらタイスにその意図は筒抜けだったらしい。ウドの誘いを聞くなり顔を紅潮させ、彼女は叫んだ。

(わたくし)、節操のない男は大っ嫌いですの!」

 そしてそのまま馬の腹を蹴って駆け出していった。

 取り残される形になったウドはタイスの馬の尻を呆然と眺め、「……いや、だからさ」と、余裕の表情で顎をしゃくった。「俺、そういう女は嫌いじゃないんだ」

 落とし甲斐があるからな。

 フォルクハルトが聞いたら呆れて絶句しそうな文句──いや、あの王子なら大真面目に「熟女からついに嗜好を変えたのか?」くらいの頓珍漢は言うかもしれないが──を呟くと、ウドはこれからのことを思案しつつ静かに欠伸(あくび)を噛みしめた。

 流石に疲れてきたなとウドは思った。





2





 先刻から机に齧りついたままのフォルクハルトは、苛立ちを慰めようと幾度となく顳顬(こめかみ)を指先で揉んでは粗い溜息をついていた。不愉快の原因を作ったのは砦に戻ってきたタイスの態度だ。

 目を合わすなり汚らわしい物でも見るかのような形相で睨みつけられ、挙句に理不尽な癇癪を起された。

 どうやらダニエルとは別に部屋を用意したことが気に食わなかったらしいのだが、いや、ほかにも癇癪の理由がある様子ではあるのだが、そもそも彼女がダニエルと同じ部屋に寝泊まりする方こそ不自然ではないのか。まったく納得がいかないとフォルクハルトは唇を引き結び、机上の便箋に視線を落とした。

 この苛立ちを先刻から冗長しているのがこの紙だ。胃の腑に溜まった(おり)を出しきるように深い息を吐くと筆を握り、しかしすぐに放り投げた。

 何を書けというのか。

 国王宛てに自らの字で(ふみ)(したため)めること自体があまりの久しさで勘が(つか)めなかった。記憶を辿(たど)れば最後に手紙を書いたのは十年以上も昔で、しかもそれは文字のまだ書けない下の妹の代わりに書いただけのこと。あれは誕生日の祝いにと陶器の人形が贈られたときのことだったか。それでさえ王后に(うなが)されて無理にも書いたようなものだった。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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