14 説得

文字数 2,346文字

 とはいえ、この傭兵の質に寄与しているのがフォルクハルトの公平さだということもわかっているつもりだった。特に賞罰の点でフォルクハルトは正規兵も傭兵も特段の差別をしたことがない。罰する時は罰するし、恩賞を与える時は充分に与え、それは決して厳しすぎたこともなく、過剰に甘すぎたこともない。温室栽培の育ちの良さが幸いしたのか災いしたのか、どうやら他者に対する忖度の概念をこの青年は持ち合わせていなかった。そしてその態度が誰の目にも明らかだからこそ、これまで周囲から漏れる不平の声も少なく抑えられてきたのだろう。

 この王子の場の空気に対して無頓着な性格は、傭兵たちに日常的な訓練や教育を受けることを平然と求める態度にもよく表れている。求められる側にしてみれば訓練のことはともあれ、教育まで正規軍と同じ水準など(たま)ったものではないらしいのだが、(なん)にしてもそれが無茶な要求であることがまるで理解できないという点ではフォルクハルトもなかなかに(たち)が悪いのだ。

 しかも各方面からの不満を受ける(たび)、「教育の何が悪いのですか」と、この王子はいつでも持論を押し通した。

「彼らも永遠に傭兵でいられるわけではないんです。退役後のことだって考えておかないと困るでしょうに」

 傭兵稼業に身を落とした者の末期が必ずといっていいほど戦死の今の時代に、フォルクハルトの発言は誰にとっても戯言(ざれごと)にしか聞こえなかったろう。しかし当のフォルクハルトだけは、彼だけが、戦乱の世にありながらいたって大真面に教育というものを考えていた。

「学んだことが役に立たなくても、無駄にもなりませんよね?」

 すなわち現在の兵舎に読み書きから始める手習い所が常設されているのも、算術に兵法に歴史にと、筋骨隆々とした屈強な傭兵たちが日夜勉学に明け暮れ頭を抱える滑稽な光景がお目にかかれるのもすべて、このフォルクハルトの無頓着さが災いしたことの帰結なのだ。しかも実際に、彼の施策が功を奏しているように見えるとくれば面と向かっての批判もできない。

 近頃、死者の数は格段に減った。限界を感じて離脱していった者の多くが別の職を得てまっとうに働いているらしい噂も聞こえてくる。読み書きができるだけでも就ける仕事の質が変わるとくれば、職に溢れた者たちもまずは傭兵にという流れになりやすい。学など貴族の(たしな)み程度のものと思われがちだが、あればあったでやはり便利であることは確かで、フォルクハルトの先見の明にはウドも舌を巻くしかなかった。

 そんな王子はまた、傭兵たちの意見に耳を傾けることを厭わない。

 そもそも傭兵を突き詰めれば、戦争を生業(なりわい)に戦場を渡り歩く職業軍人へと辿(たど)り着く。百戦錬磨の猛者が首を揃えて(うごめ)く殺伐とした世界に生きる彼らから見れば若すぎるフォルクハルトなど赤子のようなもので、それがわかっているからこそフォルクハルトは彼らの意見に重きを置いた。しかも傭兵たちは傭兵たちで、素直に自分たちの意見を聞き入れ尊重するフォルクハルトに対して一方(ひとかた)ならぬ情を抱いてしまうのだから恐ろしい。

 あれは天性の人誑(ひとたら)しに違いないと、そう思う(たび)にウドは苦笑を禁じえなかった。

 イザークの前に〈灰猫〉を率いていた男などは、フォルクハルトを指してこう言ったこともある。

「誰よりも勇敢なのに、なぜか怖いくらいに隙だらけで、あれじゃこっちが気ぃ使って守ってやんねえといつかどっかでおっ死んじまうんじゃねえかって心配にならあなあ」

 そう言って豪快に笑ったこの男はいつかの戦場でフォルクハルトを(かば)い、落命した。信じられないことに。

 なにしろ死の扱いも正規軍と傭兵とでは雲泥の差の世の中だ。

 貴族であれば遺族に対して年金が支払われるが、傭兵に対するそれは何もない。彼らにとっては文字通り命あっての(もの)(だね)で、だからこそ戦場における傭兵は自らが生き残ることを何よりも優先する。

 そんな傭兵がフォルクハルトを守って死ぬなど狂気の沙汰だ。しかしこの状況を目の当たりにしたウドは、ここに(いた)ってついに確信を得た。

 この王子様は、死に憑かれた考えを少しばかり矯正してやるだけでいい。そうすれば今にとんでもない怪物に化けるはずだ。

 ウドがフォルクハルトに対して本気になった瞬間でもあった。

 そしてウドは、四の五のと策を弄さず正面からフォルクハルトにぶつかった。戦場で命を散らすことを待ち望むこの王太子が、そうでありながら国のために兵士のためにと真面目に、そして律義に「勝つ」ことにこだわる様を見ていれば、整然と(ことわり)(さと)した方が効果的であるとウドは踏んだのだ。

 しかし予想以上に、フォルクハルトの説得は難航した。

「どうしてですか、オーレンドルフ閣下?」

 (なん)といってもその頃のフォルクハルトは誰にも心を開かない貝であったし、誰に対しても慇懃無礼でよそよそしい態度を取り続けていたからだ。腹を割って話すということさえ難儀な時期だった。

「戦場にいる以上、私たちはいつでも死と向かい合っているものですよね?」と、王子は目を細めてそう言うのだ。

「ええ、その通りです」

 ウドが答えれば、続けてフォルクハルトは嘲笑う。

「それなのにあなたは、自分の命を第一に考えろと言うのですね?」私が怖気付いていたら士気に関わるとは思わないのですか?

 演技であるとは明らかだったが、可愛げの欠片(かけら)もないその様子には苛立ちを感じずにはいられなかった。しかしここで腹を立てては元も子もないと、ウドは気持ちに蓋をして切り口を変えた。

「勇敢さと無鉄砲さを履き違えてはいけませんな。あなた様のそれはただの

です。そのために何人の人間が死にましたかね? あなたのせいでこれまで、何人、死なせたのですかね? たとえば今日死んだあの傭兵なんかは……」

「私の身など!」
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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