24 2つの国の境の町
文字数 2,447文字
「何が言いたい?」
考えても答えが出なかったため、ウドは降参して肩を竦 めた。「噂が表に出てきたことと、移民の問題と、何が関連する?」
「わかんねえなら今はいいさ。議論している暇は無 え」
イザークは笑った。「急ぐんだろ?」
「……そもそもどうして、あの王弟が動いたと知っている?」
負け惜しみとばかりにウドは険悪な顔を向けたが、イザークは戯 けて、
「ご貴族様、傭兵の〈耳〉を舐めると苦いと思うぜえ?」
と、返すだけだった。ウドが不愉快に顔を歪める様を見て楽しんでいるのだ。質 が悪い。しかしこの男の悪ふざけには粘着性がないことも確かで、イザークはすぐに態度を元に戻して顎をさすった。
「ヴァリースダの真相は俺もまだ掴 みきれてない。でも、さっきも言ったろ? 何 にしたってこの件は双方の思惑が複雑に絡んで面倒なことになり始めてるんだ」
「…………」
「とにかく気をつけろ。作法を一つ間違えただけでこいつは破裂する。ガリア中が火の海になることは間違いない」
いや、そうなった方が面白いかもしれねえがなあ。イザークは呟きながら口の端を持ち上げた。「フォルクハルトのお坊ちゃんはいつか世界を手に入れるのさ。王位を譲り受けるとか、そんな下 にあると俺は思ってる」
「また、そんな」
呆れたとばかりにウドが眉を顰 めれば、イザークは、
「本気だってえ」
と、本音なのか冗談なのか判然としない口調で話を混ぜ返した。
「もう一度言うけど、俺、あのお坊ちゃんのことは気に入ってるんだ。実際かなり働きやすいしな。言っとくけど、あのお坊ちゃんの境遇に同情してとかそういうことじゃねえかんな?」
「…………」
当然ウドは本気にしなかった。それを表情から読み取ったのか、イザークは「やれやれ」と嘆息を漏らすと馬から降りた。
「なんとかしてやりたいんだよ。長年この家業に身を置いてるけど、こんな気持ちにさせてくれる貴族なんて初めてだ」
「金にしか忠誠を誓わない男が言う言葉は軽く聞こえるな?」
「わあ、ひっでえ!」
口を尖 らせながらもイザークは笑った。「何で示せば俺の誠意がわかるんだあ?」
「…………」
そんなものがあるなら今すぐにでも要求してやりたいのがウドの本心だ。一方で押し黙るウドを見つめたイザークはというと、「やれやれ」ともう一度呟き頭を掻く。境界人ってだけで肩身が狭くてやんなるね。「でもご貴族様、蝙蝠は正真正銘の獣なんだぜ?」
「?」
「鳥に見えても獣だってこと。自分の立ち位置くらいきちんと弁 えてる」
ウドは言い返した。
「この場合鳥は何を表し、獣は何を示すんだ?」
イザークはにやりと笑った。
「まあさあ、俺もあんたもあのお坊ちゃんには生きていてほしい。互いの利害が一致するんだから今はそれでよくないかあ?」
「…………」
「だからまあ、まずは死なさないことさね」と、イザークは続けた。「そんなわけで真っ直ぐヴァリースダを目指すがいいぜえご貴族様あ。馬の心配ならいらねえよお」
そうして自らの馬の腹を平手で叩いてから、言った。「乗れよ。ここから先も要所要所で俺の手下が馬を待機させてあんたを待ってる。小袋の中身を見せれば話は通じるから、好きなだけ乗りかえて全力で走りやがれ。野盗のこともこっちで引き受けてやろうじゃねえの」
しかしその気前のいい提案にウドはすぐに飛びつかず、握ったままの革袋を指で揉んだ。小石のようなものが擦 れ合う音がする。
「……俺に貸しを作ったつもりか?」
「ああ? それ、何で返してくれるう?」
と、イザークも意地が悪い。しかし嫌味も長引かせない。「こんなところで恩を売る気はねえよ。返してくれるなら結果で返せや。死の羽を生やしてふわふわと飛んで行っちまいそうなあのお坊ちゃんの重しになれるのは、残念ながら今のところあんたしかいないんだ」
まっとうな恋でもすれば少しは物の見方も変わるのかもしれねえがな。
嘆かわしいとばかりに呟くと、溜息をつきながらイザークは首を振った。ウドもその点についてだけは意見が同じだ。
この世界には女の気配の届かぬ場所などない。戦場でさえその例外にはなれないとくる。行く先々でいくらでも機会はあるというのに、どうしてあの王太子には浮ついた話が何一つ出てこないのか。
「俺さあ」ウドの思索に割りこむようにイザークは言った。「あんたに嫌われているのも本当に残念なんだぜ?」
まったく嬉しくない言葉を前にウドはふんと鼻を鳴らした。「俺に好かれたところで何がある?」
「そういうことじゃねえよ」と、イザークは苦笑した。「俺、あんたのことも結構買ってるって言いたいの」
「…………」
「だって、そうだろお?」
今度は脂 下 った顔になってイザークは言った。「あのまるで石膏の彫像のようなお坊ちゃんにもさ、ああいった可愛げな面があると教えてくれたのはあんただからな」
「…………」
「未 だにあんたしかいねえもんなあ……」と、ついには感嘆の声になった。「あのお坊ちゃんを掌 の上でころころ転がしてからかって、怒らせて、人間らしいところ引き出せるの」
「そのために」しかし、褒められたはずのウドは疲れきったような顔をした。「これまでの俺が、そのためにどれだけの辛酸を舐めてきたと思ってるんだ」
「ああ、まったく、ここ数年のあんたは何 の喜劇役者 かと思ったさ」呵々と笑いイザークは馬の腹を撫でた。「ほんと、あんたにゃ頭が上がらねえ。冗談じゃなく、尊敬してる」
くすぐったいことを言われてウドはたじろいだが、イザークはそれ以上この話題を引きずることはしなかった。
「もう、行けよ」と、生真面目な顔で道の先を顎で指し示す。「俺もすぐ追いかける。着いた日暮れにゃ
「どうしてそこまで力を貸してくれるんだ?」
「何度も言わせるなってえ」
鼻息を飛ばしてイザークは天を仰いだ。「長いこと戦場にいると、自 ずとわかるようになるんだよ。もうすぐ風向きが変わるってな」
「…………」
考えても答えが出なかったため、ウドは降参して肩を
「わかんねえなら今はいいさ。議論している暇は
イザークは笑った。「急ぐんだろ?」
「……そもそもどうして、あの王弟が動いたと知っている?」
負け惜しみとばかりにウドは険悪な顔を向けたが、イザークは
「ご貴族様、傭兵の〈耳〉を舐めると苦いと思うぜえ?」
と、返すだけだった。ウドが不愉快に顔を歪める様を見て楽しんでいるのだ。
「ヴァリースダの真相は俺もまだ
「…………」
「とにかく気をつけろ。作法を一つ間違えただけでこいつは破裂する。ガリア中が火の海になることは間違いない」
いや、そうなった方が面白いかもしれねえがなあ。イザークは呟きながら口の端を持ち上げた。「フォルクハルトのお坊ちゃんはいつか世界を手に入れるのさ。王位を譲り受けるとか、そんな
ちまちま
したことじゃなくて、もっとでっかく、派手に、のし上がっていく運命の「また、そんな」
呆れたとばかりにウドが眉を
「本気だってえ」
と、本音なのか冗談なのか判然としない口調で話を混ぜ返した。
「もう一度言うけど、俺、あのお坊ちゃんのことは気に入ってるんだ。実際かなり働きやすいしな。言っとくけど、あのお坊ちゃんの境遇に同情してとかそういうことじゃねえかんな?」
「…………」
当然ウドは本気にしなかった。それを表情から読み取ったのか、イザークは「やれやれ」と嘆息を漏らすと馬から降りた。
「なんとかしてやりたいんだよ。長年この家業に身を置いてるけど、こんな気持ちにさせてくれる貴族なんて初めてだ」
「金にしか忠誠を誓わない男が言う言葉は軽く聞こえるな?」
「わあ、ひっでえ!」
口を
「…………」
そんなものがあるなら今すぐにでも要求してやりたいのがウドの本心だ。一方で押し黙るウドを見つめたイザークはというと、「やれやれ」ともう一度呟き頭を掻く。境界人ってだけで肩身が狭くてやんなるね。「でもご貴族様、蝙蝠は正真正銘の獣なんだぜ?」
「?」
「鳥に見えても獣だってこと。自分の立ち位置くらいきちんと
ウドは言い返した。
「この場合鳥は何を表し、獣は何を示すんだ?」
イザークはにやりと笑った。
「まあさあ、俺もあんたもあのお坊ちゃんには生きていてほしい。互いの利害が一致するんだから今はそれでよくないかあ?」
「…………」
「だからまあ、まずは死なさないことさね」と、イザークは続けた。「そんなわけで真っ直ぐヴァリースダを目指すがいいぜえご貴族様あ。馬の心配ならいらねえよお」
そうして自らの馬の腹を平手で叩いてから、言った。「乗れよ。ここから先も要所要所で俺の手下が馬を待機させてあんたを待ってる。小袋の中身を見せれば話は通じるから、好きなだけ乗りかえて全力で走りやがれ。野盗のこともこっちで引き受けてやろうじゃねえの」
しかしその気前のいい提案にウドはすぐに飛びつかず、握ったままの革袋を指で揉んだ。小石のようなものが
「……俺に貸しを作ったつもりか?」
「ああ? それ、何で返してくれるう?」
と、イザークも意地が悪い。しかし嫌味も長引かせない。「こんなところで恩を売る気はねえよ。返してくれるなら結果で返せや。死の羽を生やしてふわふわと飛んで行っちまいそうなあのお坊ちゃんの重しになれるのは、残念ながら今のところあんたしかいないんだ」
まっとうな恋でもすれば少しは物の見方も変わるのかもしれねえがな。
嘆かわしいとばかりに呟くと、溜息をつきながらイザークは首を振った。ウドもその点についてだけは意見が同じだ。
この世界には女の気配の届かぬ場所などない。戦場でさえその例外にはなれないとくる。行く先々でいくらでも機会はあるというのに、どうしてあの王太子には浮ついた話が何一つ出てこないのか。
「俺さあ」ウドの思索に割りこむようにイザークは言った。「あんたに嫌われているのも本当に残念なんだぜ?」
まったく嬉しくない言葉を前にウドはふんと鼻を鳴らした。「俺に好かれたところで何がある?」
「そういうことじゃねえよ」と、イザークは苦笑した。「俺、あんたのことも結構買ってるって言いたいの」
「…………」
「だって、そうだろお?」
今度は
「…………」
「
「そのために」しかし、褒められたはずのウドは疲れきったような顔をした。「これまでの俺が、そのためにどれだけの辛酸を舐めてきたと思ってるんだ」
「ああ、まったく、ここ数年のあんたは
くすぐったいことを言われてウドはたじろいだが、イザークはそれ以上この話題を引きずることはしなかった。
「もう、行けよ」と、生真面目な顔で道の先を顎で指し示す。「俺もすぐ追いかける。着いた日暮れにゃ
狼の前
、覚えとけ」「どうしてそこまで力を貸してくれるんだ?」
「何度も言わせるなってえ」
鼻息を飛ばしてイザークは天を仰いだ。「長いこと戦場にいると、
「…………」