37 挑発

文字数 2,417文字

 やはりあの子供だ。

 確信した。髪や肌は何かで誤魔化したに違いない。今は波打つような金髪を無造作に首の後ろで束ね、西ゴール人らしい色白の肌を惜しげもなく光の(もと)(さら)している。

 人形のようだ。

 母を同じくする二人の妹が幼い頃から部屋に飾り楽しんできた陶器の人形そのものだ。芸術の花開く西ゴールから流れてきたあの精巧な人形を、本物の人間に置き換えたような姿が目の前にある。

 あどけなく、愛らしく、そして完成一歩手前で時を止めたような美。

 西ゴール人は男も女も小柄で眉目秀麗であると思われがちだが、この使者の見た目はまさにその印象通りだとフォルクハルトは思った。

 それは大柄で生真面目だけが取り柄の東ガリア人とはまるで対照的で、ほんの少し乱暴に扱うだけで壊れてしまいそうなほどに、儚い。

 いや、むしろ思うままに壊してみたい。

 ……ダニエルを眺めているうちにまたしても嫌な衝動に駆られ、フォルクハルトは咄嗟に顔を(しか)めた。その様子をどう受け取ったのか、眺める先のダニエルには苦笑が浮かぶ。

「物珍しいですか?」

「いえ」と、慌ててフォルクハルトは姿勢を正した。「そのような目で見ていると思われたなら謝ります」

「いいえ、いいのです」

 つまらないことを口にさせられていると言わんばかりの淡白な調子でダニエルは応じた。「好奇の目で見られることには慣れていますから」

「好奇?」

「それがいたって普通の反応です」

 フォルクハルトは軽く(またた)き、それからすぐに「ああ」と得心して呟いた。「そういう意味ですか」

「そういう意味?」

「確かにあなたの正体が何かを考え出すと、あなたを見る目も好奇なものになるでしょうね」

「あなた様は私の正体に興味がないのですか?」

「それがどのような意味での『正体』かによっては、私としても『興味がある』と答えざるをえませんが」と、フォルクハルトは冷めた目付きでダニエルを見据えた。「あなたは今、西ゴールの正式な使者としてここにいらっしゃるのですから、私の興味もまたその点に尽きるわけです」

「…………」

 探るような視線がフォルクハルトの瞳の奥まで差しこんだ。気持ちが掻き乱される。しかし、フォルクハルトはその動揺を押し殺すためにも強いて身動(みじろ)ぎをしなかった。しばらくすると相手の方が諦めたように目を伏せ、「なるほど」と、小さな言葉を(こぼ)して息をついた。「確かに私は本物です」

 使者としては。

「王弟としても本物なのですと続けて申し上げても、興味はないということですね?」

「あなたの中身が(なん)であれ」と、フォルクハルトは答えた。「私の仕事には関係のないことです」

 本当は興味しかないにも関わらず、気付くと言葉ではそう断言していた。背後から漂う失笑の気配に軽い苛立ちを覚えたが、それも表情には出さなかった。

 次いで言葉を発したのは後ろに控えたウドだ。

「何にしても感心しませんな」

「何が?」ダニエルは(とぼ)けた顔になった。

「従者を一人、それも女性を一人連れただけで単身乗りこんできたことです」と、ウドの声が続く。

「……おや、なぜでしょうか?」ダニエルは思わし気に微笑んだ。「二つの砦は目と鼻の先です。今は交戦中でもありません。私たちはもっと気安くお互いを行き来すればよかったのです」

 その発言に反応したのはフォルクハルトだ。

「そうかもしません。しかしいずれにしても、過去の話です」と言いきり、ダニエルを直視した。「今のこの状況に即した行動とは思えません」

 すると、すぐにダニエルは挑むような表情を作った。「それなら私を斬りますか? それもいいかもしれません」

「…………」

 フォルクハルトはダニエルを睨んだ。その小さな胸に懐剣(ドルヒ)を突き立てる自身の姿は容易(たやす)く想像できる。ざらつく心をそのままに言い放った。「実に、不可解です」

「不可解?」

「今のこの行動も、昨日(さくじつ)のあの行動も」

 しかしダニエルはなぜか嬉しそうに目を輝かせ、「あれが私とわかっておいででしたか!」と、声を華やがせた。「そうです、フォン・ツアミューレン閣下、あなた様は私を処罰する権利をお持ちです。昨日(さくじつ)のあれは実に無礼な行動でした」

「なぜあのような行動を?」

 疑念を口にすれば、「理由など明かす価値もない些細なものです」とダニエルは笑った。「大事なことは、表面に現れた事実だけ」

「…………」

 ほんの一瞬だが、相手の波に飲まれたことに気付いてフォルクハルトは身を引いた。「些細な理由に大きな代償を払わせると、ゆくゆくは帳尻の合わないことになりますね?」

 強いて返した淡白な反応に、意外なものを見たような顔でゆっくりとダニエルは目を見開いた。「噂と違って、お優しいのですね」

「噂?」

「剣を握れば女子供にも容赦ないと聞いていたもので。〈死神(ラ・モール)〉の異名をお持ちとか?」

 しかしその発言には流石のフォルクハルトも気色ばんだ。

「誰が、〈死神〉ですか! 実に不愉快です」

 実際そのような異名など聞いたこともなければ、これまでのフォルクハルトがそのような蛮行で名誉を失墜させたこともない。戦場でさえ武器を捨てれば情けをかけてきた。「つまりあなたは、私を怒らせに来たというわけですか」

 勢いで強く出ると、「失礼しました……」とダニエルは弱気に視線を彷徨(さまよ)わせた。「どうも人をからかいたくなるのが私の悪い癖なのです。気を悪くされたのであれば謝ります」

 その直後、「子供相手に

になって」と叱責するウドの声と、「引っ掻き回すのもいい加減にしてください」と嘆息を漏らすタイスの声が重なった。反射的に出た王族二人の「うるさい!」「わかってます!」と怒る声がそれに続き、冷却の沈黙を経てから銘々(めいめい)表情を緩ませる。安堵の空気の中でフォルクハルトは言った。

「それで、そろそろ本題に入っていただけるのですか」

 (うなが)されたダニエルは小さく頷き、タイスが腰に下げていた鞄の中から一通の封筒を取り出した。それを無言で受け取ったフォルクハルトはすぐに裏を見た。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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