1 聖母
文字数 2,296文字
──デウス・エクス・マキナ(DEUS EX MACHINA)
《機械仕掛けの神の意》
古代ギリシャ劇の終幕で、上方から機械仕掛けで舞台に降り、紛糾した事態を円満に収拾する神の役割。転じて、作為的な大団円。
出典:デジタル大辞泉(小学館)──
この物語では、「デウス・エクス・マキナ」という言葉に本来的意味とは少々異なる意味をもたせています。
あくまでも、この作品内に限定しての作者の解釈です。
序 章 母なる神
死は常にその背に寄り添い、生に対して甘美な夢を囁 く。
生まれた時から私の存在は生きていても死んでいてもそう大して代わり映えがなく、今となっては死んだ方が
私はもうずっと、どちらつかずのままその中間に佇 んでいる。
その間 にも生と死との境は曖昧に滲 み続け、手を伸ばしたそこで私はいつでも死を掴 むことができた。しかしながらこの死は触れた途端に嬌声を上げて身を捩 り、まるで陽炎 のごとくするりと私の手から逃 れ去ってしまうのだ。そしてこの手の中には虚 ろな生だけが残され、まるで陽光に晒 され乾いた砂のようにさらさらと儚 く零 れ落ちていく。
私という存在は色もなければ味もない。音もなければ香りもない。
ただそこにあり、ただここで澱 のように沈んでいる。
そのように鬱屈した日々を過ごしていたある日のことだ。私は古びて朽ちかけた教会でひとり夜 を明かすはめになった。今では村人でさえ顧 みることのない、森の奥の名もなき教会の、その中で。
あの日の私は、今となっては理由さえ思い出せない些細なことでウドと諍 いし、煮えたぎる怒りを冷ますためがむしゃらに馬を走らせていた。そしていつしか森の魔性に捕まり、気付けば帰り道を見失い、情けなくも途方に暮れていたまさにその時、その教会は何 の脈絡もなく、まるで影の隅 からぬるりと抜け出すような不快さと唐突さで私の前に立ちはだかった。
何 とも妖しい教会だった。
その悍 ましい外観を見つめるだけで私は身震いし、人の業 では成しえない何かを感じて思わず息を飲み、そして胃の底から湧き上がる悪寒の前に戦慄した。しかし何 の矛盾か、その姿は私の中に筆舌しがたい敬虔な気持ちも同時に掻き立てたのだ。私はただ、その異様の姿を前に立ち尽くすことしかできなかった。
何 とも不思議な教会だった。
入り口の扉はすでに時の彼方へと消え去り、置き去りにされたように開 いた暗い穴が静かな闇の息遣いを反射する。
しばらくして我に返った私は馬を降り、余計な音を立てぬようそっと中に足を踏み入れた。恐怖や畏敬の気持ちよりも、その瞬間だけは好奇の気持ちが勝 っていたのだろう。
数歩を歩けばすぐに、聖堂の僅 かな広がりが私を迎え入れた。
満月の夜だった。
月明かりが失われた天井から煌々と降り注ぎ、歳月に沈む過去を柔らかく照らし出していた。
私はそこで、見つけたのだ。聖母の像を。
美しかった。
漆喰の壁は無残に剥 がれ、骨組みの木の柱は雨風に晒 され黴 びている。そのような廃屋にあっても、月明かりに浮かぶ聖母の像は実に美しかったのだ。
両手を胸の前で合わせて俯 き、静かに私を見つめる聖なる木。
この地の習いにより肩には相克の鳥を休ませ、足元には予言の猫を眠らせ微笑む母なる神。
高座に安置されたその像の俯き加減は実に絶妙で、下に佇む者すべてをその慈愛の瞳で見渡すよう緻密に計算されていた。私は何かに引かれるように像の前までふらりと歩み寄り、静かに跪 き、そしてただ、祈った。
何を祈ったかまでは覚えていない。おそらくはいつもそうするように、あの時も私は聖母に「無」を捧げたに違いないのだ。
それから私は、その一夜を聖母像の下 で明かした。
森の夜風はあまりに冷たく、容赦なく私の体温を奪っていった。この身に絡みつく「生」はそこでも「死」との境を見失い漂 い始め、意識の底で揺蕩 う私の期待をくすぐった。
もしや、あと一歩で飛び越える。
私は五感を研ぎ澄ませ、その瞬間を見逃すまいと時の移ろいをじっと見つめ、そして待った。
だからあれは絶対に夢ではない。現実だ。私は今でもそう思っている。
夢ではない。
私が見つめるその前で時間は確かに流れていた。月明かりが薄れ、暗闇と静寂が世界を包み、そして微 かな夜明けの光が聖母の像を照らし始めた、その刹那 。
私は確かに何者かの声を聞いたのだ。
──求めなさい。未来をそこに。
突然の声に驚き目を開き、聖母に見つめられ聖母を見つめ返した私は、仰臥したまま額 を手で押さえ、嘲笑した。
未来か。
まったく奇妙な話だ。今の私に未来はない。未来のないこの私に、神はいかなる未来を与えようというのだ。それともあれは、私を地獄に引きずり降ろさんとする識女の誘惑だったとでもいうつもりなのか。
わからない。
その答えを導き出せずに数年が呆気なく過ぎ去った。私は今でもガリアの焦土を駆け続けている。─────
───── この土地に生まれ育った者であれば誰でもすべからく聖母を信仰し、聖母を崇拝する。それは息をするのと同じくらい生きる上で当然のことで、聖母に祈らぬ姿を想像することさえ我々ゴールの民には難しい。
私もそうだ。そうだった。
聖母を信じてその時までを生きてきた。
世界の始まりから存在したという原始の神。すなわち世界の源 。その最初に根ざした場所を大地とし、広げた枝の先を天と定めた創造の主 。
彼女は根の広がりとともに川を伸ばし海を育て、時には山を築き渓谷を抉 り、花を開けば弾けるかのごとく矢継ぎ早に大小の命を産み落とした。混沌の中でひとり目覚め、秩序を今あるように整え律した万物の母。
《機械仕掛けの神の意》
古代ギリシャ劇の終幕で、上方から機械仕掛けで舞台に降り、紛糾した事態を円満に収拾する神の役割。転じて、作為的な大団円。
出典:デジタル大辞泉(小学館)──
この物語では、「デウス・エクス・マキナ」という言葉に本来的意味とは少々異なる意味をもたせています。
あくまでも、この作品内に限定しての作者の解釈です。
序 章 母なる神
死は常にその背に寄り添い、生に対して甘美な夢を
生まれた時から私の存在は生きていても死んでいてもそう大して代わり映えがなく、今となっては死んだ方が
まし
という有り様だ。私はもうずっと、どちらつかずのままその中間に
その
私という存在は色もなければ味もない。音もなければ香りもない。
ただそこにあり、ただここで
そのように鬱屈した日々を過ごしていたある日のことだ。私は古びて朽ちかけた教会でひとり
あの日の私は、今となっては理由さえ思い出せない些細なことでウドと
その
入り口の扉はすでに時の彼方へと消え去り、置き去りにされたように
しばらくして我に返った私は馬を降り、余計な音を立てぬようそっと中に足を踏み入れた。恐怖や畏敬の気持ちよりも、その瞬間だけは好奇の気持ちが
数歩を歩けばすぐに、聖堂の
満月の夜だった。
月明かりが失われた天井から煌々と降り注ぎ、歳月に沈む過去を柔らかく照らし出していた。
私はそこで、見つけたのだ。聖母の像を。
美しかった。
漆喰の壁は無残に
両手を胸の前で合わせて
この地の習いにより肩には相克の鳥を休ませ、足元には予言の猫を眠らせ微笑む母なる神。
高座に安置されたその像の俯き加減は実に絶妙で、下に佇む者すべてをその慈愛の瞳で見渡すよう緻密に計算されていた。私は何かに引かれるように像の前までふらりと歩み寄り、静かに
何を祈ったかまでは覚えていない。おそらくはいつもそうするように、あの時も私は聖母に「無」を捧げたに違いないのだ。
それから私は、その一夜を聖母像の
森の夜風はあまりに冷たく、容赦なく私の体温を奪っていった。この身に絡みつく「生」はそこでも「死」との境を見失い
もしや、あと一歩で飛び越える。
私は五感を研ぎ澄ませ、その瞬間を見逃すまいと時の移ろいをじっと見つめ、そして待った。
だからあれは絶対に夢ではない。現実だ。私は今でもそう思っている。
夢ではない。
私が見つめるその前で時間は確かに流れていた。月明かりが薄れ、暗闇と静寂が世界を包み、そして
私は確かに何者かの声を聞いたのだ。
──求めなさい。未来をそこに。
突然の声に驚き目を開き、聖母に見つめられ聖母を見つめ返した私は、仰臥したまま
未来か。
まったく奇妙な話だ。今の私に未来はない。未来のないこの私に、神はいかなる未来を与えようというのだ。それともあれは、私を地獄に引きずり降ろさんとする識女の誘惑だったとでもいうつもりなのか。
わからない。
その答えを導き出せずに数年が呆気なく過ぎ去った。私は今でもガリアの焦土を駆け続けている。─────
───── この土地に生まれ育った者であれば誰でもすべからく聖母を信仰し、聖母を崇拝する。それは息をするのと同じくらい生きる上で当然のことで、聖母に祈らぬ姿を想像することさえ我々ゴールの民には難しい。
私もそうだ。そうだった。
聖母を信じてその時までを生きてきた。
世界の始まりから存在したという原始の神。すなわち世界の
彼女は根の広がりとともに川を伸ばし海を育て、時には山を築き渓谷を