7 逆転
文字数 2,391文字
「出席するのか?」
「欠席すると、
「…………」
あまりに予想外なその剣呑な答えに、
一体そっちの招待状には何が書かれていたんだ。
思わず声に出して問いかけそうになったフォルクハルトは、
危ない!
慌てて言葉を飲みこんだ。知らない素振りを続けてここで余計なことを口にしたら、会話のどこかで襤褸 が出て厄介なことになりかねない。
「それで?」書類に視線を落としたままフォルクハルトはウドに続きを促 した。
「……一、二週間で戻ります」ウドは呟 くように応 えた。
視線を合わせていないにも関わらず、心配そうに自分を見つめる相手の様子が気配で伝わってきて居心地が悪い。すぐに顔を上げて「私なら大丈夫だ」と力強く言ってやろうかと一瞬でも思いはしたのだが、思い直した。そんなことをこの場で言えばかえって効果が逆になる。
ウドとの会話はどこに落とし穴があるかわからない。慎重に言葉を選んで進めなければすぐに主導権を奪われてしまうからだ。この数年はそれが痛いほど身に染みていた。だからこそフォルクハルトは努めて無関心を装った。
「いい機会じゃないか。一、二週間と言わずに、一 月でも二 月でも実家でゆっくりしてきたらいい」
「一 月は流石に長すぎでしょう」
「そうか?二 月でも短すぎると私は思うが……」
「そんな片手間の返事で言われてもですね」
「返事の方が片手間なら問題はないだろうが」
「その書類、きちんと読んでいるんですよね?」
「もちろんだ」
「…………」
憎々しげに睨まれている気もしたが、それでもフォルクハルトは無視を決めこんだ。
「そもそも何年、親の顔を見ていないんだ? きっちり数年分の孝行をしてくればいいじゃないか」
「いや、孝行と言っても……」
今度はたじろぐ気配を肌で感じて、少しだけ悦に入 った自分に気が付きフォルクハルトは苦笑した。
いつも困らされている相手が困惑しているという光景に胸がすく。これほど爽快ならウドなんぞ永遠に窮地に立たされていればいいとさえ思った。
対するウドは不平を吐き出し、口調はすっかりと恨み節だ。
「何 たって弟の結婚式です。家督はとっくに彼が譲り受けているわけですし、こちらにはするほどの孝行がないわけです」
それに、と言いながらウドは盛大な溜息を漏らした。「まあ小言を聞くのが孝行なら、それはそうでしょうがね」
「浮いた話ばかり風の噂で聞かされていれば、小言の一つや二つは面と向かって言いたくもなるだろうな?」
「面と向かっての小言に飽きて勘当されたはずなんですがねえ……」嘆かわしいとばかりにウドは首を振ったが、ここにきてようやくいつもの調子を取り戻したのだろう。「浮いた話とは何 ですか。そもそも浮いた話の何一つないあなた様には言われたくありません」
「それこそ余計なお世話だ」書類の末尾に署名を入れながらフォルクハルトは言い返した。「私に浮 ついた話があろうがなかろうが、誰も私に小言は言わないだろうが」
「まあ、確かに」と、ウドは呻 いた。「言うのは私くらいのものでしょう」
わかっているじゃないか。
フォルクハルトはふんと鼻を鳴らし、二枚目の書類に目を通し始めた。
「本当に、あなた様はいつになったら諦めて身を固めてくださるのでしょうかねえ」と、目の前ではウドがぶつぶつと不満を呟いている。
こうなると議論するだけ無意味になるので、いつもながらフォルクハルトが黙ってその愚痴を聞き流すことになる。まるで主従が反対だ。
もちろんフォルクハルトも知ってはいるのだ。実のところ誰もが一様に王太子の次を期待していると。しかしその気がないものをどうしろというのか。伴侶も子供も必要ない。生まれてこの方そのようなものを望んだこともなく、望めば面倒ごとが増えて煩わしいだけだとも思っていた。
身軽でいなければいずれ、置いていく者を思って死の間際で後悔する。それだけはどうしても避けたい。信念と置き換えてもいい。自分の遺族はそれだけの理由で辛酸を嘗 めることになるはずで、そんな苦労はかけさせたくないというフォルクハルトなりの思いやりの結果が、これなのだ。
「とにかく私の留守中は、勝手な行動は控えるようにお願いします。幸いにして……」などと言いながらじっと自分を見つめるウドの視線が痛いほど肌に刺さってきたが、フォルクハルトはそれでも顔を上げることなく書類に署名をし続けた。「今はどことも交戦はしておりませんが、火種は至る所で燻 ぶっているんです」
「安心するがいい」署名を終えたフォルクハルトは皮肉を投げつけた。「
「……どうでしょうかな」
ウドは信用していないと言うように素っ気なく呟き、「ああ、駆歩 は禁止ですからな?」
「…………」些末だと⁈
フォルクハルトは弾かれるように顔を上げた。上げた直後には勝ち誇った笑みを浮かべる不遜な男と目が合った。……やられた!
フォルクハルトは低い唸 り声を上げ、
「ウド……」
「厩 の者には」
しかし言葉を発しかけたところで、しかつめ顔のウドに話を遮 られた。「あなた様が
王都に戻れば王太子のあなた様でも、ここでの立場は私と大して変わらんのです。そこのところをお忘れなきように。
「ウド、それは……」
蒼白な顔のままフォルクハルトは言い返した。こうなると立場が完全に逆転してしまうがどうしようもない。数時間の空白がまさかこの根回しだったのかと思った瞬間、脳裏には敗北の文字が嘲笑 った。
「私のここでの唯一の楽しみが馬の早駆けだと知っていて、言っているのだよな?」
「欠席すると、
出席するより面倒
なことになりそうで……」「…………」
あまりに予想外なその剣呑な答えに、
一体そっちの招待状には何が書かれていたんだ。
思わず声に出して問いかけそうになったフォルクハルトは、
危ない!
慌てて言葉を飲みこんだ。知らない素振りを続けてここで余計なことを口にしたら、会話のどこかで
「それで?」書類に視線を落としたままフォルクハルトはウドに続きを
「……一、二週間で戻ります」ウドは
視線を合わせていないにも関わらず、心配そうに自分を見つめる相手の様子が気配で伝わってきて居心地が悪い。すぐに顔を上げて「私なら大丈夫だ」と力強く言ってやろうかと一瞬でも思いはしたのだが、思い直した。そんなことをこの場で言えばかえって効果が逆になる。
ウドとの会話はどこに落とし穴があるかわからない。慎重に言葉を選んで進めなければすぐに主導権を奪われてしまうからだ。この数年はそれが痛いほど身に染みていた。だからこそフォルクハルトは努めて無関心を装った。
「いい機会じゃないか。一、二週間と言わずに、
「
「そうか?
「そんな片手間の返事で言われてもですね」
「返事の方が片手間なら問題はないだろうが」
「その書類、きちんと読んでいるんですよね?」
「もちろんだ」
「…………」
憎々しげに睨まれている気もしたが、それでもフォルクハルトは無視を決めこんだ。
「そもそも何年、親の顔を見ていないんだ? きっちり数年分の孝行をしてくればいいじゃないか」
「いや、孝行と言っても……」
今度はたじろぐ気配を肌で感じて、少しだけ悦に
いつも困らされている相手が困惑しているという光景に胸がすく。これほど爽快ならウドなんぞ永遠に窮地に立たされていればいいとさえ思った。
対するウドは不平を吐き出し、口調はすっかりと恨み節だ。
「
それに、と言いながらウドは盛大な溜息を漏らした。「まあ小言を聞くのが孝行なら、それはそうでしょうがね」
「浮いた話ばかり風の噂で聞かされていれば、小言の一つや二つは面と向かって言いたくもなるだろうな?」
「面と向かっての小言に飽きて勘当されたはずなんですがねえ……」嘆かわしいとばかりにウドは首を振ったが、ここにきてようやくいつもの調子を取り戻したのだろう。「浮いた話とは
「それこそ余計なお世話だ」書類の末尾に署名を入れながらフォルクハルトは言い返した。「私に
「まあ、確かに」と、ウドは
わかっているじゃないか。
フォルクハルトはふんと鼻を鳴らし、二枚目の書類に目を通し始めた。
「本当に、あなた様はいつになったら諦めて身を固めてくださるのでしょうかねえ」と、目の前ではウドがぶつぶつと不満を呟いている。
こうなると議論するだけ無意味になるので、いつもながらフォルクハルトが黙ってその愚痴を聞き流すことになる。まるで主従が反対だ。
もちろんフォルクハルトも知ってはいるのだ。実のところ誰もが一様に王太子の次を期待していると。しかしその気がないものをどうしろというのか。伴侶も子供も必要ない。生まれてこの方そのようなものを望んだこともなく、望めば面倒ごとが増えて煩わしいだけだとも思っていた。
身軽でいなければいずれ、置いていく者を思って死の間際で後悔する。それだけはどうしても避けたい。信念と置き換えてもいい。自分の遺族はそれだけの理由で辛酸を
「とにかく私の留守中は、勝手な行動は控えるようにお願いします。幸いにして……」などと言いながらじっと自分を見つめるウドの視線が痛いほど肌に刺さってきたが、フォルクハルトはそれでも顔を上げることなく書類に署名をし続けた。「今はどことも交戦はしておりませんが、火種は至る所で
「安心するがいい」署名を終えたフォルクハルトは皮肉を投げつけた。「
勝手に挙兵して死地に赴くような
愚挙はしないから」「……どうでしょうかな」
ウドは信用していないと言うように素っ気なく呟き、「ああ、
それからこれは些末なことですがね
」と、ついでのことのように付け加えた。「私が戻るまで、お一人での「…………」些末だと⁈
フォルクハルトは弾かれるように顔を上げた。上げた直後には勝ち誇った笑みを浮かべる不遜な男と目が合った。……やられた!
フォルクハルトは低い
「ウド……」
「
しかし言葉を発しかけたところで、しかつめ顔のウドに話を
お一人で
、私的に
、馬を使うことがないようにきつくきつく申し付けてあります。あなた様が何を命令なさっても、私のこの指示を必ず優先するようにと」王都に戻れば王太子のあなた様でも、ここでの立場は私と大して変わらんのです。そこのところをお忘れなきように。
「ウド、それは……」
蒼白な顔のままフォルクハルトは言い返した。こうなると立場が完全に逆転してしまうがどうしようもない。数時間の空白がまさかこの根回しだったのかと思った瞬間、脳裏には敗北の文字が
「私のここでの唯一の楽しみが馬の早駆けだと知っていて、言っているのだよな?」