19 好奇の目

文字数 2,372文字

「俺は行ったらだめなのか?」

「ええ、だめです」

「理由は?」

「あなた方傭兵を連れて行ったら、それこそ戦争をしに行くみたいじゃないですか」

「だから戦争に行くんだろ?」

「違います。先程の話を聞いていたのですか?」

「…………」

 押し負けた形になったイザークは口をへの字に曲げた。「まあ、そういうことなら、そうさねえ……」

 フォルクハルトは黙って相手の反応を窺った。イザークは諦めたように頭を掻き(むし)り、大きく息を吐いてから首を振った。

「それなら、交渉がうまくいくよう願ってる」

 そして言うなりくるりと(きびす)を返して立ち去っていった。その姿が見えなくなるまで見届けてから、フォルクハルトもようやく息を吐き出した。知らず緊張していたらしい。

 何を考えているのかわからないという点では、ウドよりもイザークの真意の方がフォルクハルトには量りにくい。傭兵の常で彼も忠誠を誓っているのは金に対してだけのはずだが、この男の場合は時にもっと、他人(ひと)とは違う尺度で物事を測っているような素振りを見せることがある。

 〈灰猫(グラウ・カッツェ)〉の先代が自分を(かば)って死んだ時もそうだった。後継者としてそのすべてを引き受けたイザークは、すぐにでも離反していくとフォルクハルトは覚悟した。ウドに叱られ諭されるまでもなく先代の死はフォルクハルトにも衝撃だったわけなのだが、おそらくはそれ以上にイザークに与えたものは大きかったはずなのだ。あの時フォルクハルトは、イザークから恨まれ殺意を抱かれても仕方ないとさえ思い、諸々を諦めた。

 しかし予想に反して、現実のイザークはフォルクハルトの(もと)に留まった。

「だって金は、払ってくれるんだろお?」と、そう言って。

「でもさ、もうちっと俺らと親しくしてくれねえのかあ?」とも、言ったわけなのだが。

 フォルクハルトとしては傭兵たちの意見をもとより聞いているつもりでいたのだが、足りなかったのだろうか。以来イザークが(なん)てことの無い場面で世間話を振ってくることにも気軽に応じるようにしてきたのだが、今度はそれでウドの不興を買っているから事はややこしい。おまけにイザークはイザークでウドのことを嫌っているしで、この二人が頻繁に起こす衝突については毎度のこととわかってはいても、やはり頭の痛い問題ではあったのだ。

 もちろん、ウドがイザークに心を許さないのは先代の件が大きく尾を引いているからだとフォルクハルトも理解はしている。自分が覚悟をしたようにウドもあの時イザークの裏側を疑い、今なお何かあると疑い続けているらしい。しかし、フォルクハルト自身はそれならそれでいいと思うのだ。イザークの恨みを買ってイザークに殺されるのであれば、未来に対して何の後腐れも起こさない。

 恨んでいるとすれば副官だって自分を恨んでいるはずなのだがと、フォルクハルトは不意に思った。のこのこと(みやこ)から派遣されてきた未熟な若輩者が、国王の息子という肩書きだけであれよあれよと出世を重ねてその地位を簡単に奪ってしまったのだ。恨まないはずはない。

 それにもかかわらず、ここにいる者たちは誰もが大人しい。

 王都にいるより死にやすかろうと当初は思っていたのだが、どうにもこの地は想像していたより遥かに死から遠い環境で、歯痒い毎日だった。

「まあそれも、今日限りだろう」

 フォルクハルトは呟いて、気持ちのいくつかを振り払った。盛夏の風が、序曲(オウヴァーチューラ)を奏でて舞い上がる。

 城門が開き、(つま)(おと)(おごそ)かに大地を震わしたのはそれから数刻後のことだ。

 それは見慣れた光景といえばいつもの通りであり、何かの違和感があるといえばある、その程度のことでしかなかったのかもしれない。しかしその振動は確かに何かの始まりを告げていた。

 一陣の風に(あお)られふと城を振り返ったフォルクハルトは、屋上に立つイザークの姿に気がつき、そこにあるあまりにも雄弁な眼差しを前に息を飲んだ。

──死にゆくのだな?

 イザークの青みがかった瞳が、

その瞳が、フォルクハルトを哀れむようにそう語りかけていた。何やら不可思議な光が射したとその時フォルクハルトは肌で感じ取り、そこに不確かなはずの未来を見たように錯覚した。





4





 数日かけてヴァリースダに到着したダニエルはすぐに、その西の外れに(そび)えるロルトワルヌ城塞に足を踏み入れた。瞬間に感じたものは人を頭から(つつ)みこむような静寂に、そこはかとなく漂う肌を刺すような緊張感……。城内に満ちるその異様さに思わず腕をさすったが、しかしその端々には弛緩した空気もまた多く紛れこんでいる。

 それもまた無理のない話だとダニエルは思った。この辺りは一触即発の状態が長らく続いてきた土地柄だ。ヴァリースダは膠着の中にあり続けるよう宿命づいた場所だった。

 昨今の事件で緊張の度合いがやや高まったとはいえ、その状態がしばらく続けば続いたでそれを平常と慣れてしまうのもこの地の特徴なのだ。一度(ひとたび)張り詰めたその糸を、(たゆ)まぬよう(りき)み続けることは誰であっても難しい。

 ダニエルは城内を一通り見回すと、旅装も解かずにそのまま城主との面会に臨んだ。(あらかじ)め周知されていたとみえて、

殿

を迎えても城内にさしたる混乱がないのはありがたかった。

 もっとも、

のだが。

 ダニエルは勧められた椅子に腰を下ろすことなく話を切り出した。

「ヴァリースダで狼藉を働いた者たちは?」

「一人は地下牢に」

 対する城主の答えはあまりに素っ気なかった。それでも言葉の隅に(にじ)む苦々しさに気付かぬダニエルではない。この問題を自らの手で解決まで導けなかったことへの忸怩(じくじ)たる思いが城主の中にはあるのだろう。もちろん、ダニエルにもその気持ちはわからぬではない。が、この男がダニエルと視線も合わさず、(かたく)なにその足元を見つめ続ける理由は別にあることもわかっていた。
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登場人物紹介

フォルクハルト・フォン・ツアミューレン

 東ガリア王国の王太子。王都にはほとんど寄り付かずに戦場を駆け巡る日々を過ごしている。

 とにもかくにも死にたがりで、周囲をやきもきとさせている。

ダニエル・ド・ワロキエ

 西ゴール王国の王弟。呪われた王弟として東西ガリア中にその名が知れ渡っている。

ウド・ジークムント・フォン・オーレンドルフ:

 オーレンドルフ家長男。色を好みすぎて実家からは勘当されている。

 フォルクハルトの右腕を自称しているが当のフォルクハルトには煙たがられており、願わくば消えてくれと思われている。

イザーク:

 傭兵団〈灰猫〉の団長

タイス

 ダニエルの付き人。

王后

 東ガリア国王の第一夫人。アウレリアの実母。フォルクハルト、およびその妹2人の養母。

 政治に口を出すことはないが、その権威は国王を凌ぐとも噂されている。

 フォルクハルトとアウレリアとの間にわだかまる王位継承問題については、これまで一度も自身の立場や意見を公式にも非公式にも表明したことはない。それゆえに様々な波紋を王宮内に投げかけ、憶測が飛び交う原因となっている。

アウレリア:

 東ガリア王国の第一王女、グレーデン公爵夫人、フォルクハルトの異母姉。

 グレーデン公爵との間に子がないため、年の離れた弟のフォルクハルトを我が子のように溺愛している。

グレーデン公:

 アウレリアの夫。フォルクハルトの義理の兄。

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